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2008/04/29

心臓の手術時期について、補足

2008年4月29日

あらためて僧帽弁閉鎖不全の手術時期について、まとめます。「心疾患の手術適応と至適時期」(医者もしくは医学生向けの本)で慢性重度僧帽弁逆流の手術適応を見ると、小生の場合は症状無し(多少息切れがあるけど、まあ無しと見て良いでしょう)、EF(駆出率)>60%(前回67%)、かつESD(LVDs=収縮時左心室内径と同じか)<45mm(小生は34mm)で、心房細動があれば手術適用、なければ経過観察という分類になります。また小生は弁形成が可能なので、症状があれば即手術対象になります。極端な言い方をすると、手術は自己申告で選択できることになります。

解説を読んでみると、
1)僧帽弁逆流は進行性疾患であること(毎年悪くなり、良くなることはないこと)。
2)駆出率が低下(特に50%を切ってから)してからの手術は予後が悪く、5年生存率が60%まで落ちること。
とあります。平たく言ってしまうと(超意訳)、弁形成ができるなら、悪くなる前にさっさと手術した方が、長生きできますよ、と書いてあるわけです。小生は100まで生きたいとは思いませんが、もう70歳くらいまでは元気でいたいと思っています。そう考えるとさっさと手術した方が良いのですが、1)の進行性疾患という割には最近進行が進むどころか、かえって改善しているので、とまどって迷っているところもあります。心臓の緊急手術になることが多く、そういう方から見ると、まさに贅沢な悩みです。

弁膜症の症状が改善した要因は、O先生は薬を飲み始めたからだと言っています。確かに心臓関係の薬は今まで何も薬は飲んでいなかったので、影響はあるかもしれません。ただワーファリンは単に血栓ができないようにしているだけで、レニベースもそんなに強い薬ではありません。またまた「薬のよく効く身体」という言葉が、ちらちらし始めています。

ただワーファリンを飲み始めてしばらくたった頃から、胃腸の調子が悪くなっています。日頃特にどうと言うことはないのですが、ちょっとしたことですぐおなかに来るようになりました。小生は禁納豆になったことが、一番影響していると思っています。近いうちに行きつけの内科に行って、相談してみます。

2008/04/28

迷う心臓の手術時期

2008年4月28日

心臓の検診に行ってきました。前回心エコースクリーニングをやり、その結果で外科に行くかどうかを決めるのですが、O先生、相変わらず「外科のN先生のところへ入ったの?」ととぼけた第一声。前回のいきさつを説明して、「おお、そうだった!」ということになりました。先生の印象に残っていないのは、緊急性が全くないからでしょう。このあたりは、自分でも緊急性がないと思っていますので、そうだと思います。

僧帽弁逆流の手術時期は、収縮時の左心室内径(LVDs)が一つの目安になります。これが45を越えてからの手術は成績が悪いと言われ、40が一つの目安になっています。小生はLVDs自体は34で悪くないのですが、左心房径(LAD)が前回43と悪く、左心房肥大から、手術を考えた方が良いと言うことになったわけです。ところが今回、これが36と改善していました。標準値が15~35とありますので、標準値をわずかに越えただけです。LVDsは相変わらず34のままです。逆流度は前回から2に下がっており、どんどん良くなっています。

O先生は否定していましたが、小生はこれはレベトールの影響だと思っています。ペグ・レベ中が一番悪く、終了後徐々に回復しています。元々心肥大は一度なったら回復しないと言われていますので、回復のスピードも遅いのでしょう。それでもどうやら着実に回復しているようです。このあたりの話は、今度肝臓科のY先生の診察のときに聞いてみるつもりです。8月ですが。

今回は、残念ながら動画の再生はありませんでした。LVDsが正常値、LADがほとんど正常値で逆流度が2なら、動画を見るまでもないんでしょう。

今判断に困っているのが、手術時期です。前回O先生から「2年は持たせられる」と聞き、だったら2年待たずに早くやってしまおうと思ったのですが、2年どころか5年くらい持ちそうな勢いです。そこで問題になってくるのが、定年時期です。定年後5年間は再雇用制度で勤務することはほぼ決まりなのですが、高額医療費については現役時代と変わりないものの、休暇が違います。定年後再雇用制度についてうちの会社は割と融通が利く方で、病気治療の目的で一旦働くことを中断することも、回復期に勤務時間を短縮することも可能なのですが、給料にはもろに効いてきます。今なら1ヶ月半の休みを取っても有給ですが、定年後はこの1ヶ月半が無給になります。経済的事情で手術時期を決めるということはやりたくはないのですが、場合によってはそういう選択も必要になってきます。

まあ、5月の手術は流して次の診察を6月に入れましたから、それまでゆっくり考えられます。手術をするのは、早くて今年の秋でしょう。カミさんは「1ヶ月半くらいなら、給料なくても良いじゃない。」と言っています。ただこれは蓄えがたくさんあるのではなく、カミさんは日頃霞を食って生活しているので、給料にあまり関心がないのです。小生も現在比較的体調が良いので、今手術したらもったいないという気持ちは、あります。さて、どうしよう。

追記です。PT-INRが1.42になりました。目安の1.8まで、もう少しです。ワーファリンの量が4錠(4mg)に増え、先生はこれで決まりだろうと言っています。なお小生は花粉症のせいでこの時期良く鼻血が出ますが、ワーファリンと鼻血とは、関係ないそうです。

2008/04/27

砺波から帰ってきました

2008年4月27日

高岡から砺波を回って、帰ってきました。チューリップはちょうど見頃でしたが、高岡にも見るところがたくさんあり、びっくりしました。路面電車を含んで鉄道が元気です。富山ライトレールと万葉線、どちらも写真だけは撮ってきました。Dscf0065a

旅行記をまとめるつもりでいますが、明日が心臓の検診日で、しばらくそちらの話題になると思います。

2008/04/26

富山にいます

富山にいます
富山に来ています。上越新幹線からほくほく線経由でした。明日はチューリップを見に砺波に向かいます。

2008/04/23

身体の具合が悪い?

2008年4月23日

先週末からの行動は、

18日(金)AM:海外某社のCEOが社長に会いに来るとのこと。同席できるかとの電話が本社からある。「隣に座っているだけで良いから」と言われるが、そんなことはないだろう。OKの返事を出す。
18日(金)PM:所定時刻のの30分前に本社に着いたら、ちょうど社長が外出から帰ってきたところ。「凡ちゃん、良いところに来た!」とそのまま社長室に拉致され、事前打ち合わせ。そうこうしているうちに、某CEO来社。一応通訳さんは付いてきたが、社長の質問は英語で、返事も当然英語、その会話は通訳無し。込み入った話ではなかったが、疲れた。
19日(土):長姉が演出する芝居を見に、目白へ。結構面白かった。終演後従姉妹と次姉との3人でお茶。全く違う世界にいる3人、こういう会話は脳の日頃使っていない部分を使うのでぼけ防止になるというが、やはり疲れる。その後次姉の家に行き、不調のパソコンと格闘。ギブアップ。疲れた。
20日(日):疲れが残っているので、遠出は止める。ふと思い立ち、近くに電車の写真を撮りに行くが、なかなか思ったような写真が撮れない。おかげで疲れ回復せず。
21日(月):明日日帰りの予定だった群馬へ、予定変更で一泊で出発。最近湘南新宿ラインのグリーン車で、よく寝る。泊まりだからということもあり、検討会は午後6時過ぎまで続く。早めに寝る。
22日(火)AM:通常の会議まで1時間半あるので、金曜日の件の報告書をまとめる。出張用のノートパソコンを持ってこなかったので、群馬から出張に出かけた人の席を借りる。ワードの設定が違うし、なのより椅子の高さが合わないのが辛い。
22日(火)PM:通常の会議後、金曜日の件で技術担当重役と打ち合わせ。この重役、自分の意見を先に言ってから人の話を聞くので、疲れる。早めに引き上げる。

22日に帰ってからカミさんに、「最近なぜか疲れる。身体の具合でも悪いんだろうか。」と言ったら、カミさんが吹き出しました。心臓の手術をしようかという人が、元気溌剌のわけはないだろうというわけです。それに先週からのスケジュールを聞いて、「普通の人だって、疲れるわよ。」確かにそうです。今日も朝から不整脈が出ています。今週の残りはペースダウンし、土曜からの旅行に備えます。

2008/04/20

池上線

2008年4月20日

昨日(4月19日)の朝日新聞同様版Beに、池上線の紹介が載っていました。と言っても沿線紹介ではなく、「池上線」という歌です。1975年頃それなりにヒットしたそうですが、残念ながら全く聞いたことがありません。
小生が池上線の沿線、と言っても目蒲線の方が近かったのですが、に住んでいたのは1968年、69年の2年間だけです。その頃の池上線の車両は鈍重な3200型あたりが主体で、窓が大きく軽快な感じのする目蒲線の3700型と比べても、一段と「ローカル線」という感じでした。ただ当時彼女(現在のカミさん)の家が池上線の沿線にあったため、時々いっしょに乗っていました。08011312a


それから数十年、池上線にも新型車両が走る時代になりました。この朝日新聞に掲載されている写真、実物を見ていただいた方が早いのですが、桜の下を7000系が走る写真です。それが桜もきれいなのですが、電車も塗り分けの細かいところまでよくわかり、模型作りの参考になりそうな写真です。さすがプロです。こういう写真を撮りたいと思っているのですが、なかなか難しいのが現状です。
写真は蒲田駅を出発する池上線の7000系です。

2008/04/17

コンタクトを変えたら視力が上がった

2008年4月17日

眼科の診察に行ってきました。最近は3ヶ月おきになったので、行く度に様子が変わっています。昨年N講師が辞められ、後任にはどこからか別の先生が来るという噂だったのですが、結局N助手が昇格しました。N助手が(新)N講師になられたので、すごくわかりにくくなりますが、略さなくてもにた名前です。N助手は入院中に接して良い方だと思っていたので、講師昇格は何よりです。

コンタクトを東レのものからメニコンに取り替えて、初めての診察です。先生はコンタクトを入れた状態を見るわけではありませんが、診察前の視力検査に影響が出ます。メニコンに変えて、感覚的には良く見えると思っていたのですが、やはり数字も良く、0.09になりました。東レの時は0.07が最高でほとんど0.05だったので、ずいぶん良くなった感じです。0.1が見えないかじたばたしてみたのですが、ちょっと無理でした。

実際のところ、0.1が見えるか見えないかは、特に小生は水晶体が入る部分が癒着して眼内レンズが使えないので、小生にとってはなんの影響もありません。しかし先生方にとっては0.1が境界で「成功」の方に入るので、大問題のようです。

小生の右目は水晶体がないため角膜がきれいなカーブを描いておらず、コンタクトがどうしてもきちんと収まりません。そして17度という小生のコンタクトは、ちょっと(0.1mm単位で)ずれると、それだけで見え方が変わってしまいます。以前の東レのコンタクトは、茶目の上をコンタクトが適当に(適切にではなく、いい加減に)動いていました。そのため、レンズが瞳の中心に来てくれれば見えたものが、見えなかったのだと思います。メニコンのものは、外径を一回り大きく作ってもらったせいか、レンズ中心がほぼぴったり瞳の中心に来ます。それがこの数字に表れていると思います。

このあたりをきちんと病院が見てくれると有り難いのですが、現在の主力は眼内レンズに移ってしまい、水晶体代用のコンタクトは作るメーカーも少なくなり、置いてけぼりのようです。

2008/04/14

心エコー・スクリーニング

2008年4月14日

この結果で手術するかどうか決めようという、心エコー検査に行ってきました。検査名が、「心エコー・スクリーニング」となっています。
このところこのT病院に来るのはもっぱら朝になっていたのですが、今日は久しぶりに午後です。午後になると、特に今日のように天気が良くなると、中庭に散歩に出ている患者さんが大勢います。また面会の人もいて、朝とはちょっと違った雰囲気です。

エコーの検査室は、腹部の検査と共通です。検査衣に着替えて待っていると、検査している女性の先生の声が聞こえてきます。どうやら肝臓の周りを見ているようです。そしてずいぶん詳しく患者さんに説明しています。技師さんは患者さんに病状説明はしませんので、検査をやっているのは医師のようです。検査が終わったようで、先生が電話をかけ始めました。「Yですけど、××さんの、、、」げ、Y先生、自分でエコー検査もやるのだ!カーテンが開いたら、紛れもなくあのY先生でした。どうやら部長先生の患者さんのエコー検査をやっていたようです。

さて自分の方は、コンピュータの前に座った男性技師(もしくは、先生)と、小生にプローブを当てる女性技士と、二人がかり。エコーなので痛くも痒くもありませんが、思っていたより時間がかかりました。また久しぶりに、検査中に不整脈が出ました。
ほとんどが画面の反対側のやや下向きにさせられていたので、画面が全く見えませんでしたが、後半上向きのときにちょっと覗いたら、動画の撮影でした。紐みたいなものが流れの中でピコピコ動いていましたが、あれが切れた結索かもしれません。赤と青のカラーで写っていたのは、血流でしょうか。身体の外から、ずいぶんきれいに写るものです。
この結果を聞くのは、今月28日です。

2008/04/13

会社のパソコンが壊れると

2008年4月13日

先週、会社の支給品パソコンがダウンしました。2003年に山形から帰った時にこのパソコンに変わったもので、そろそろ機種更新の対象になっていたのですが、それまで持ちませんでした。今までのものは、ThinkPad T-30で、Windows2000/Office2000/ATOK16だったのですが、同じThinkPadのT-40 Windows-XP/Office2003/ATOK19に変わりました。正規の機種更新だとHPのものが来るのですが、緊急だったので中古のT-40が回ってきました。

ハードディスクの中身の移行とその他の基本設定は同じ職場のIT委員がやってくれるのですが、その他のものは自分で設定することになります。まずATOK辞書の移行ですが、古い辞書のコピーはできたものの、新しい辞書の場所が見えません。検索すると見えるのですが、隠しホルダになっているようです。おなじXPでも、家庭用のHOME EDITIONと会社用のものとは、かなり違うようです。新しいATOKの辞書のコピーなどをいじくっていたら、偶然にうまくいきました。

T-40にはいわゆるRS-232C、シリアルポートが付いていません。しかしシリアルを使わないと仕事にならないので、USB-シリアル変換ケーブルの、その辺にあったものを挿入しました。インターネットには繋がっているのでドライバは自分で探しに行くだろうと思っていたら大間違い、久しぶりにデバイスドライバを削除する羽目になりました。

Windouws-95が出た頃、プラグアンドプレイということが盛んに宣伝されていました。最初の頃はうまくいくかどうかは祈るだけ、「PLUG & PLAY」ではなく「PLUG & PRAY」だと言われたりもしましたが、Windouws-95の終わりの頃にはこちらが用意したドライバには目もくれず、勝手にメーカーサイトから最新のドライバをダウンロードしてきたものでした。しかしXPともなるとどうやら所定の証明費用が高いらしく、かなりのメーカーはXPに対応はしているものの、所定の証明を取っていないようです。この変換ケーブルだけではなく、USB直接接続の機器もマニュアルを見たら、「XPの場合は」と手動で設定するように指示がありました。変換ケーブルの方は、仕方なしに新しい(ドライバCD付きの)ものを買ってきて、COMポートの割り付けは手動で変更し(久しぶりだ!)、なんとか動くようになりました。

やれやれなんとか環境は整備できたと思い報告書を書いていたら、また引っかかりました。MS-Office特有のお節介で、μSEC(マイクロセカンド)という単語が打てないのです。勝手にMsecに変えてしまい、おまけにCAPロックも外してしまいます。これは以前も同じ目にあったのでスペルチェックをオフにすればいいのですが、ワード2003は一段と強力になり、単にスペルチェックをオフにしたぐらいでは治りません。あちこちいじくって何とかなりましたが、残念ながらμF(マイクロファラッド)だけはまだダメです。どうやらマイクロソフトには電気屋さんはいないようです。

2008/04/10

花粉症+ワーファリン+風邪

2008年4月10日

小生のワーファリンは今3.5mg/日ですが、いつも量を増やしてしばらくは体調が悪くなります。それと、小生も花粉症です。ただ小生は杉ではなくブタクサかイネなので、症状は杉の方ほどひどくはありません。それでもこの時期、鼻をかみすぎて奧が切れ、出血すること(要するに、鼻血)がよくあります。

ちょうど先週あたりから鼻の奥が切れ、時々出血していました。しかも今年はワーファリンのせいか、なかなか止まらないようにも思えます。PT-INRの値から見ると、たぶん気のせいでしょうけど。この時期は鼻の奥が血のかたまりでふさがり通りが悪いので、何となく不快です。

そうこうしている間に急に冷え込み、今度は風邪を引いてしまいました。鼻水にくしゃみ、熱が出ると会社も休むのですが、なかなかそこまでは行きません。微熱で、単に「不快」の段階で止まっています。ただ最近は風邪を自力で治せなくなり、結局医者に行って抗生剤をもらってきました。免疫力は、回復していません。

2008/04/06

昔は良かった

2008年4月6日

カミさんの母親は現在90才ですが、戦前は丸の内で銀行勤め、大正デモクラシー時代の花の職業婦人、今で言えば花のOLをやっていました。当時は給仕さんがいてお茶を出してくれたなど、当時の話をすると楽しそうです。当時の企業は今よりずっと効率が悪く、人も沢山働いていたわけですが、逆に言えば雇用の創出能力は今より高かったわけで、今のような職業難の時代から見るとどちらが良かったのかわかりません。ただこういう「昔は良かった」という話が出ると、決まってそれを否定するのが医療の話でした。

小生などはまさしく現代医学の恩恵を受けているわけで、昔だったらもう3回くらい死んでいます。ところが最近は医療の面でも、「今の方が良い」とは言えなくなってきました。

地方から始まった医師不足は都市部といえども例外ではなくなってきており、また医療事故を避ける(はっきり言えば、訴えられるのを避ける)ために急患と言えども専門外の患者は診ない風潮が広まっており、行きつけの病院のかかりつけの先生以外では見てもらえないような状態が始まっています。かつて熊本の八代から人吉に行く国道の途中に、「救急車が来るまで1時間、事故を起こしたら助かりません」という標識が立っていましたが、最近は救急車が来ても1時間くらいは病院探しにかかってしまうこともあるようです。姉は13年前街中でくも膜下出血で倒れ、救急車で運ばれて緊急手術を受けて助かりましたが、今はこういう脳外科の救急患者を受け入れる病院がぐっと少なくなってきているようです。

今日から朝日新聞で毎週日曜日に「医療再生へ、選択のとき」という連載が始まりました。元々世界的に見ると人口あたりの医師数は少ないのに「過剰」として抑制策を採ってきた政治のツケなのですが、今医学部の定員を増やしたところでも役に立つのは早くて10年後です。それでも今何もしないと、この10年後が15年後、20年後になるだけです。早く手を打ってもらいたいものです。医療の世界でまで「昔は良かった」という台詞は、聞きたくありません。

2008/04/04

廃用性斜視を防ぐ手術?

2008年4月4日

3月の末から4月始めにかけては何かと忙しく、更新が出来ませんでした。
さて先日会社の実験室、実験室といっても独立した部屋ではなく、広いフロアの一角なのですが、そこで測定をしていたところ、記憶にはあるけど日頃あまり見ない顔の中年女性が横を通りました。「あれ、どこかで見たような。」と思ったら、向こうから声をかけてきました。「あらあ、南海さん、久しぶり!目はどう?」会社にもう1人いる、桐沢型ぶどう膜炎の人でした。彼女は製造部の所属なので日頃顔を合わせることはないのですが、試作品を持ってR&Dまで来たんだそうです。まあ病人が顔を合わせると病気談義に花が咲くものですが、面白い話が聞けました。

彼女はあっという間に失明してしまったのですが、それでもY市大病院の勧めで、「廃用性斜視を防ぐための手術」というのをやったそうです。話を聞いたところ普通の硝子体手術のようですが、あまり細かいことを聞かないような性格なので、詳細はわかりません。水晶体は取り除いたと言っていますから、間違いないでしょう。舞台の緞帳の下から光が漏れる程度の光はわかるそうですから、廃用性斜視の防止にはそれが効いているのでしょうか。また外見は正常と変わらず、どちらが悪いのか全くわかりません。かえって小生の方が目の奧に巻いたバンドのせいで目の中心がずれていますから、彼女から見るとどっちが悪いのかすぐわかるそうです。

そういえば小生も手術前にT医大で診察を受けた時、「これは外観保持のための手術になるな。」と言われました。小生は幸い0.07という数字が出ますが、視力が数字に出なくても少しでも光がわかれば、廃用性斜視が防げるようです。

なお彼女は、Y市大でこの病気は10万に1人と言われたそうです。たった数百人の事業所に10万にに1人が2人もいるのですから、F病院の先生が「初めて聞いた」と言うわけです。またY市大でも両目に出ることをすごく警戒していたようで、彼女は病気になって4年目で、もうほとんど心配ないと言われたそうです。小生はあと2年くらいは、要警戒です。

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