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2008/03/30

今年も桜の季節

2008年3月30日

今年もまた桜の季節がやってきました。今年の花見は、手近なところで済ませました。08032915a
自宅近くの住宅街の桜並木は、相変わらず見事です。少し歩くとコンクリートに固められた都会の川がありますが、その両岸は見事な桜並木です。08033002a


昔田舎にいた時は、桜は山に自生するものでしたが、関東の桜は人工的に植えられたものなので、人の多いところほど桜の木がたくさんあるようです。出張で高崎線に乗っていると、それを感じます。明日も出張。

2008/03/29

キハ20に会いたい!(5)

2008年3月16日(日)

2泊目を熊本にしたのは、体調が悪くなった時を考えゆっくりしたスケジュールにしたことと、その場合は慣れた場所の方がよいと考えたことが大きい。そして熊本空港からまっすぐ帰る予定だったが安い切符が入手できず、結局福岡空港周りになった。

もう今日は帰るだけなので、のんびりホテルを出る。予定よれ1本早い「つばめ」に乗ろうと思い指定席を買う。時間まで熊本駅前で市電の写真を撮る。08031603a1203
宝くじの売り場のようなものがあり日よけにちょうど良いと思ってその影にいたら、シャッターが開いて顔を出したのはなんと婦警さん、簡易交番であった。「どうぞ、どうぞ」と言われたので、お言葉に甘えてそこで写真を撮る。島鉄のキハ20も長生きだが、熊本市電の旧型車も長生きだ。熊本市電タイプを確立した1200型(旧200型)が来たので、撮る。この車両も1958年製である。今度は低床車9700型が来た。写真を撮ったところではっと気がついたら、もう「つばめ」は出発していた。熊本ということで気がゆるんだのか、珍しいミスだ。仕方無しというか、結局は当初の計画通り、「有明」に乗る。こういう時にL特急の、乗り遅れても次の自由席に乗れる制度は有り難い。08031606a9702


「有明」は787系の4両編成である。787系はデビューした時は衝撃的であったが、現在は乗ってみると、885系あたりに比べると多少見劣りがする。新幹線が博多まで開通した時は、この787系はどうなるのだろう。熊本駅も含め、鹿児島本線の博多までは新幹線工事がたけなわである。08031609a


博多駅ビルで昼食。地下鉄で福岡空港へ。福岡空港は博多駅に近いので助かる。帰りもJALのクラスJであるが、何と機材は行きと同じJA8981であった。無事帰京、多少おなかが怪しかったがそれ以外は体調も良く、たっぷり楽しめた。

(完)

2008/03/28

キハ20に会いたい!(4)

2008年3月15日(土)(つづき)

臨時のトロッコ列車のキハ2011、120列車のキハ2008+2018を撮った後、119列車のキハ2003に乗り込む。08031518a
なお現場では、「にせんさん」という言い方をしているようだ。島鉄伝統のシートカバーの掛かった車内はそのまま、運転席も改造されていないので、キハ20の「鉄ちゃんシート」付き解放運転台もそのままである。変わったのは蛍光灯化され、冷房が付いたくらいである。08031530a2003
「昭和33年帝国車両」の車内銘板もそのまま、国鉄/JR払い下げではない自社発注車である。昔からそうだったが、島鉄の車両は手入れが良い。アイドリング時のこのからから言う音は、エンジンはDMH17Bそのままか?島鉄はエンジンをこまめに止めているので、エンジン寿命が総回転数に比例するとすれば、エンジンの持ちも良いはずだ。08031508a2003


南島原から島原外港まで、一駅だけ乗る。島原外港に着き、何か変だと思っていたら、交換設備が廃止されていた。もう昼過ぎ、昼食を取る場所を探したが軽いものは見つからず、フェリーターミナルまで行く。島原/長崎といえばチャンポンだが、昨日の夕食のせいかおなかの具合があまり良くなく、うどんにする。フェリーターミナル前にバス停があり時刻を見たら、ずいぶん少なくなっている。かつては島鉄バスと県営バスがそれぞれ雲仙/長崎へ向かい、競うように発車していた。よく見たら、県営バスが島原へ来なくなっている。島原港にも、昔日の面影はない。08031537ac1201


次の列車まで少し時間があるので、タクシーで島鉄本社横の公園に行ってみる。やはり蒸気機関車であった。島鉄最後の蒸気機関車はC12ですべて自社発注、C11のようなデフを付けているのが特徴だ。63061607bc1205
全部で5両有り、確かC1205がお召し列車を引いたと思う。なお気動車も含め、4は欠番である。保存されているのは1号機のC1201、お世辞にも良い状態とは言えないが、あるだけ有り難い。何とレールの上ではなく、地面に直接おいてあった。

南島原まで歩き、旧国鉄色のキハ2013+2016の、多少は画になる写真を撮った。有明海対岸の宇土半島を走る三角線も、昔はこういう雰囲気であった。島原外港へ行き、ここでキハ2003の最後の写真を撮る。帰宅後昔の写真と比べてみたら、ホームの屋根は45年前と同じであった。08031544c201613


島原鉄道といえば、元島鉄常務の宮崎康平氏が書いた「まぼろしの邪馬台国」の映画化が竹中直人/吉永小百合の主演で撮影が続いており、島原半島でのロケがあった、という記事を新聞で見かけた。こういう記事は同じ毎日新聞でも、東京版には載っていないだろう。08031549a2003


ここから熊本へ向かう。熊本港が出来てフェリーが三角港から熊本港へ移り、その後どうなったかを見てみたかったこともある。島原から高速船が大牟田へも運航しており、博多に出るにはこのルートが最速のようだ。熊本へは九商フェリーの一般船と熊本フェリーの高速船があるが、高速船を選ぶ。高速船というからかつて神戸-洲本間に運航していた小型船を想像していたら、何と1600トンもある大型フェリーである。エンジンのビリビリいう振動とともに、40分で熊本港に着いた。途中ですれ違った九商フェリーの船は、三角港時代より小さくなっている。この高速フェリーに食われているのがわかる。08031551a


熊本市の白川の河口付近は遠浅で漁港しか作れず、明治時代に三角港が作られた。その白川の河口付近の遠浅の沖合に人工島を作って作ったのが、熊本港である。従って、フェリーターミナル以外は何もない。バス停でバスを待っていると、揺れる。路線バスで市の中心部まで35分、三角港までの1時間強を35分に短縮するために、国はこれだけの大がかりの工事をやったらしい。今回の旅行では、国の無駄な工事がやたら目に付く。

(つづく)

2008/03/26

キハ20に会いたい!(3)

2008年3月15日(土)

佐賀駅のホームに上がる。昨日は気がつかなかったが、佐賀からは唐津線が出ている。昨日の夜のDCのエンジン音は、これであった。昨日の「かもめ」の混み方を見て、今日は指定席を取っておいた。1号車である。昨日の「ソニックかもめ」と違い、今日のは「みどり」との併結で、漠然と485系と思っていたら入ってきたのはハイパーサルーン783系であった。そういえば、485系はもう北九州からは姿を消していたのだ。08031501a

指定席はがら空きで、小生を含め4人しか乗っていない。昨日の「かもめ」は時間帯が良すぎたようだ。長崎本線は佐世保線を分離する肥前山口から先は完全なローカル線となり、単線で離合停車も増える。博多-佐賀と佐賀-諫早間は乗車券は同じ料金ながら、所要時間は昨夜は40分、今日は1時間10分かかる。次第に有明海に近づき、肥前鹿島を過ぎて海沿いに走る。そして湾の一番奥、懐が広がっているはずのところが、突然直線の堤防で遮断される。あの諫早湾干拓地である。全くバカなことをしたものだ。漁業被害は、有明海すべてに及んでいる。堤防の内側の遊水池は意外と広い。今ならまだ間に合うので、即刻水門を全開にして海の回復を図るべきだ。08031502a


諫早で同じホームの先から島原鉄道は出ている。途中に改札はない。黄色いキハ2500の2連で、車掌付き。キハ2500の車内はクロスシートで、トイレも付いている。18m級の標準型レールバスだ。8割程度の混み方で発車、途中の乗り降りも多く、地域の足となっているのがわかる。しばらく走ると有明海沿岸に出るが、有明海は基本的に遠浅すなわちガタの海で、海の色は汚い。島原と南島原の間に、「島鉄本社前」という駅が出来ている。そこを過ぎる時に公園があり、蒸気機関車らしきものが置いてあるのがちらっと見えた。後で行ってみなければ。

南島原に到着。列車名は115列車で共通だが、休日特別ダイヤでキハ2500はここまで、これから先はキハ20の2連に乗換である。キハ2013と2016、オレンジとクリームのツートーン、旧国鉄色である。08031505a201316
キハ20の200番台が出る頃国鉄色はブルー系からこのオレンジ系に代わり、小生には一番なじみのある色だ。画になる写真を撮るなら南線の先の方だが、今日はともかくキハ20を撮りまくろうと思い、ここで降りる。降りると言っても1番ホームには交換の116列車が入っており、これがお目当てのキハ2003と2006の2連である。ともかく写真を撮る。このキハ2003が折り返すまで、約1時間半ある。昔訪問した時と同じく島鉄は入庫するとすぐエンジンを止めるので、車両基地があるのにすごく静かである。08031507a2003


一通り写真を撮った後、待合室へ移動する。またホームに出るので、一応入場券を買っておく。硬券であったので、廃止期間にかかる片道乗車券も購入、記念品とした。08031610a
待合室に古い写真が貼ってあり、島原港が南島原に近い内港から外港へ移ったのは、昭和34年とわかる。子供の頃、島の多い内港から船に乗った記憶がある。南島原の駅舎は、すごく立派だ。内港があった当時はここがターミナルであったろう。

(つづく)

2008/03/24

心臓の手術は延期?

2008年3月24日

旅行記をちょっと中断して、心臓の話です。
循環器の検診に行ってきました。小生はそろそろ外科の診察を受ける頃と思い、内科のO先生の指示を待っていました。ところがO先生はこの前外科のN先生(心臓外科部長)と一緒に小生の心エコーの動画を見て検討したので、もう外科に紹介する手続きは済んだと思っていたようです。まだだったことに気がつき、準備を始めました。
「紹介する前に心エコーを撮っておいた方が良いけど、Nは(呼び捨て!)すぐ自分ところでまた撮りたがるんだよな。本院と分院は一体だと言ってあるのに。」
測定器が変わると微妙に出てくる特性が変わるので、素性のわかった機械で撮りたい気持ちはわかります。
「その前に心臓の音を聞かせてください。あれ、(逆流が)小さくなってる!」
このところ体調が良いのですが、逆流も減っているようです。結局4月に一度心エコーを撮り、その結果で外科のN先生に紹介するかどうか、すなわちすぐに手術をするかどうかを決めることになりました。元々小生の心臓手術は、2年間くらいの幅の中でやればいいようなのんびりしたものだったのですが、この結果では2年間どころか5年10年といったスパンで延びる可能性もあります。10年も延びるのなら、その間何が起こるかわかりませんから、急いで手術をやることもありません。

僧帽弁の閉塞不全は自己修復することはないのですが、それに伴う心肥大はどうも良くなることもあるようです。現に小生の心室肥大は改善しています。小生が飲んでいるのはレニベースとワーファリンという心肥大の改善には繋がりそいもない薬ですが、元々何も飲んでいなかったので、ちょっとした薬でも効果があるのかもしれません。なお念のために付け加えておきますが、小生は仁丹を飲んで風邪が治るような頑健な身体ではありません(^_^;。

そのワーファリンですが、2.5錠にしてもPT INR=1.08と、全く効いていません。そのため今度は3.5錠/日に増えました。4錠ではなく3.5錠にするところが、O先生です。帰りに寄った薬局でナオコ先生が大笑いしていました。

2008/03/23

キハ20に会いたい!(2)

2008年3月14日(金)

金曜日であるが、今日は休暇。日曜日に帰ってくるのでいわゆる「お疲れ休み」がなく、その分朝寝坊してゆっくり出来る出発時間にした。前線が西から近づいており、傘を差しての出発になる。横浜駅で昼食、京浜急行で羽田空港へ。京急の横浜駅が改修され、トイレが広くきれいになった。早めにチェックインするが、チケットレスはチェックイン時まで手元に航空券がないので、どうも落ち着かない。やがてチェックイン後も航空券を発行しない完全チケットレスになるようだが、個人的には好みではない。

時間があるので、展望台に上がってみる。雨はもう止んでいる。JALもすっかり新塗装に代わり、鶴丸の機体はいなくなった。登録番号から、旧JASとわかる機体もある。JASのレインボーカラーも姿を消してしまった。かつてはなんだかんだ言いながら、JASをもっぱら使っていた。

14:30発のJAL331便、クラスJである。機体はB-777、JA8981はJALのB-777一番機で、塗装変更前は「シリウス」という愛称が付いていた。かつてはJASのレインボーシートをよく使っていたが、この通常料金+1000円というのがちょうど手ごろな価格で、このクラスJが出来てからもっぱらJALを使っている。前線が来ていたが特に揺れもなく、定刻に福岡空港に着いた。預けていた手荷物を受け取り出ようとすると、出口に係員は立ってはいるものの、番号の照合をやっていない。手荷物預かり証は自分で回収箱に入れる。列車内の客室端にある荷物置き場と同じだと言ってしまえばそれまでだが、福岡空港だけなのか、それともJALだけなのか、ちょっと気になる。

福岡空港から博多駅までは地下鉄で二駅、それで250円はちと高い。東京ではパスネットが姿を消しつつあるが、福岡の「よかネット」カードはまだ健在、しかし半分しか使わないので購入するのは止める。スイカに相当する「スゴカ」にも興味があるが、使う機会はまず無い。08031401a885


博多から佐賀までは各停でも行ける距離だが、体力の温存を考えて特急にする。「かもめ」35号は「白いかもめ」の885系、振り子車である。バケットシートが快適、やはり特急にして良かった。ただ振り子車なので、ポイント通過時は良く揺れる。JR九州の特急車は荷物棚が飛行機のような収納ボックスになっている。見た目はきれいだが、忘れ物しそうだ。週末ということもあってか、鳥栖からは立っている人も出る混み方になった。08031402a


約40分で佐賀に到着、佐賀市は初めてである。ホテルにチェックイン後少し歩いてみたが軽く食事が出来るようなところはなく、駅前の西友でビールとにぎり寿司を買い込む。小生がいた頃はキリンビール福岡工場には缶ビール製造設備はなく、缶ビールは岡山から運んできていたが、さすがにこの時代、福岡工場製の缶ビールが並んでいる。ただし福岡製はラガーと一番搾りだけで、他の銘柄は相変わらず岡山工場、バドワイザーは栃木工場であった。

(つづく)

2008/03/22

キハ20に会いたい!(1)

2008年3月3日

島原鉄道の南線(島原外港-加津佐間)が3月末で廃止されることは知っていた。しかし今の島鉄は小生が知っている島鉄とは別物で、関係ないことと思っていた。しかし「鉄道ファン」誌4月号を見て驚いた。キハ20、それも自社発注のキハ2003が生き残っているではないか!南線廃止と同時にこのキハ20群も廃車になるとのこと、これはどうにかしてもう一度行かねばならない。

小生が島原鉄道に最初に行ったのは、1963年(昭和38年)である。当時中学3年生、引率者付きとはいえ、高校受験前によく行ったと思う。63061608b

当時の主力は湘南型2枚窓の、国鉄キハ45000(後のキハ15)に相当するキハ4500で、その他国鉄乗り入れ用としてキハ26とキハ20がいた。630616052601

そして2エンジンのキハ55は、キサハ代わりの旧型機械式気動車を牽引していた。キハ26は一番の花形で、諫早で準急「ながさき」に併結され、長駆小倉まで足を伸ばしていた。両運だがトイレ付きで、空気バネ装備でシートカバー付きのため、国鉄区間でも島鉄車を選んで乗る人もいたと聞く。キハ20は3両いて、01と02がいわゆるバス窓、03が200番台以降に相当するが、エンジンだけはDMH17B装備だったと記憶する。キハ20はもっぱら長崎乗り入れ用で、後年家族旅行で長崎に行った時、島原外港から長崎までこのキハ20を利用したことがある。63061606b2601_3


当時の塗装は、キハ26とキハ55は国鉄準急色と同じ黄色に赤帯だが、赤帯が3等を意味する3本線になっており、これがキハ58に準じた急行色に変更した時の「ネコひげ」に繋がっていく。島鉄ホームページの「旧島鉄色」とは、この急行色をいう。キハ20はキハ4500と同じマルーンとクリームのツートーンで、落ちついた色であった。63061602b2003


そのキハ2003がまだ生きているとのことである。カミさんに話すと、カミさんはこういうことはあおることはあっても止めることはない。最初は金曜日の終業後出発することも考えたが心臓のこともあり、無理しないように金曜日に休暇を取ってゆっくりしたスケジュールで出かけることにした。島鉄のホームページにキハ20の運行予定表が出ており、3月15日だと撮影可能時間帯にキハ2003が運行されている。15日までまだ一週間以上あるので航空券も割引で確保、宿は食事のことも考えて佐賀と熊本を取った。島原からだと、熊本に出た方が諫早に戻るより早い。ただ航空券は福岡発の方が安く、羽田-福岡往復になった。後は天気だけである。

(つづく)

2008/03/20

コンタクトの世代交代

2008年3月20日

今年の1月、新しいコンタクトを発注しました。今までのメーカーは○レですが、今度のはメ○コンです。○レのブレスオーは含水率(酸素透過率もほぼ比例)が78%と最高なのですが、メーカーか指定の眼鏡店かわかりませんが対応が悪いので、行きつけの眼鏡屋さんで新しいものを作りました。

小生のコンタクトは水晶体の代わりをするもので、それを病院で処方してもらったので、当然保険は利くと思っていました。また保険は利かないまでも医療器具として医療費控除が認められると思っていたところ、これはどちらもダメということでした。ならば病院に出入りする眼鏡屋さんにこだわることもないので、行きつけの眼鏡屋さんに頼んだものです。

最初に作ったコンタクトはだんだん汚れが落ちなくなって半年くらいでレンズが白内障状態になり、メーカーに調査を頼みました。原因は不明でしたが、調査費を取られました。その時に作ったスペアのコンタクトは半年もしないうちに壊れ、メーカーで洗浄してもらった初代のコンタクトを使っていました。しかし古くなってコシが弱くなり、時々勝手に外れるようになったので、新しいものを買うことにしたのです。

新しいコンタクトは薄いブルーに着色されています。会社で、アクリル樹脂は黄変しやすいのでブルーに着色して防ぐ(ごまかす?)ことがあるというのは聞いていたのですが、主成分がジメチルアクリルアミドですから、同じ考えなのかもしれません。製造番号が打ってありそこが濃いブルーなので、そこだけ汚れが落ちていないようにも見えます。含水率は72%とやや落ちるものの、装着感に差はありません。逆に中心部分がやや大きいようで、少し良く見えるような気がします。これは新しいコンタクトで視力を計っていませんから、感覚的なものです。また半年で壊れるようなことがあれば、無償で補償してくれるそうです。

さて新しいコンタクトをしばらく着けてみて大丈夫ということを確認し、古いコンタクトに戻しました。○レ専用のたんぱく除去剤が、2ヶ月分くらい残っていたからです。また古いコンタクトはメーカーから帰ってきた時にはまだ取り切れない汚れが残っていたのですが、毎日の洗浄剤を過酸化水素系に変え、週1回のたんぱく除去をメーカー純正と過酸化水素系とを隔週で使うようにしたら、すっかりきれいになりました。汚れがひどい原因は、○レ純正の洗浄剤の洗浄力が足りなかったのです。

そうこうして1ヶ月半ほど使っていたところ、コンタクトが行方不明になりました。どうやら洗浄してケースに移す時、また指にくっついて戻ってしまい、そのままどこかに落ちてしまったようです。○レのコンタクトは無色透明でしかも最近すっかりきれいになったので、保存液に入れると全く見えなくなります。それがかえってあだになり、ケースに入っていないのに気がつかなかったようです。

そこで新しいコンタクトが本格的にデビューしました。新しくて弾力性があるので、今までの感覚でつかんでいると、取り落とします。こういう時にブルー着色は有り難いです。ケースも白にし、あるかないかが一目でわかるようにしました。とは言うもののこれも寿命のあるもの、近いうちにスペアを頼まなければなりません。九州まで旅行したし、小型パソコンは遠くなります。

2008/03/16

無事帰ってきました

2008年3月16日

無事福岡-羽田経由で帰ってきました。W-ZERO3のバッテリー残量が少なくなったので、コメントの返事は失礼しました。
帰ってきて自分のブログを見たら、ものすごくぼけた写真です。W-ZERO3で初めて撮った写真ですが、どうやらオートフォーカスが効いていなかったようです。あらためてマニュアルの読み直しです。口直しにLUMIX FZ8で撮ったキハ2006の写真をどうぞ。P1000222a


今日は単なる移動日です。とは言うものの、行きがけの駄賃に熊本市電の写真を撮ってきました。熊本市電は昭和30年製造の車両から日本最初のインバータ車、さらには最新の低床車まで、待っていると何が来るのかわかりません。今日は予定より早めに博多に移動しようと思っていたところ、低床車の9700型が来たため写真を撮っていたら乗り遅れ、結局予定通りの列車になりました。P1000268a


なお東京では「銀河」の廃止が話題になっていたようですが、熊本にいたので新聞もテレビも「なは」の廃止の話題ばかりでした。「なは」の最終列車のヘッドマークは、沖縄の「ゆいレール」に寄贈されました。

2008/03/15

島原から熊本に移動しました

島原から熊本に移動しました
2008年3月15日

島鉄の南島原を中心にキハ20をたっぷり堪能してきました。高速フェリーなるものに乗りたくて、熊本に移動しています。諫早経由より熊本まわりの方とが早いのですが,最速は大牟田まわりのようです。明日福岡経由で帰ります。

2008/03/14

佐賀にいます

佐賀にいます
2008年3月14日

佐賀まで来ています。もともと会社が終わってから出発する計画だったので、活動するのは土曜日だけ、前後が移動日というのんびりした日程です。佐賀県はあちこち行きましたが、佐賀市は初めてです。

2008/03/11

のらない出張

2008年3月11日

泊まりの出張で、群馬に来ています。今週末島原に出かけるので今週はおとなしくしていたかったのですが、いろいろ事情があり、そうも行かなくなりました。

あまり行きたくない出張というのはなぜかいろいろミスが出るもので、明日の会議のために作ったパワーポイントに貼り付ける動画をMPEG2に変換してしまい、会社の大多数のパソコンで見られなくなりました。会社の大多数はMPEG1だけなのです。会社のデジカメで撮った動画はAVIのためこれまた大多数のパソコンでは見られず、仕方なしに自宅で変換をかけたのですが、自宅のパソコンは何でも有りで、しかもパワーポイントにはMPEG2は張り付くので、うっかり気がつきませんでした。幸い、明日のプロジェクター用のパソコンにMPEG2デコーダーを追加インストールできたため、何とかなりました。しかし会社のデジカメで撮った動画が会社で見られないとは、変なシステムです。

もう一つは、今夜ホテルでパソコンを使ってマイコンのプログラムをしようと書きかけのプログラムをUSBメモリーに入れ、240Zと一緒に持ってきたのですが、3つ使っているUSBメモリーの内一つだけあるWindows98非対応のUSBメモリーに入れてしまい、パソコンの電源を入れただけで何もできなくなりました。仕方なしに、その240Zでブログを書いています。なおプログラム自体は紙でも持ってきていたので、そちらで一応作り上げました。

明日の会議は10時からなので、それまでに他のパソコンで書きかけのプログラムをWindows98対応のUSBメモリーに移し替え、デバッグをぼちぼちやります。明日は会議が終わったら、さっさと帰ろう。

2008/03/09

「TOBYO」というサイト

2008年3月9日

miyaさんのところで知りましたが、「TOBYO」というサイトがあります。言わば「お仲間アンテナ」の拡大版みたいなもので、ネット上に公開してある闘病記のホームページやブログを、病気毎にまとめてあるものです。開設者は(運営者)は株式会社イニシアティブというところで、その代表者三宅啓氏は2004年にJIMA(Japan Internet Medical Assosiation)で「患者経験調査システムPSIの概要」という口演をされています。

さてそのTOBYOですが、まだα版であちこち未完の部分も多いようです。病名に対する闘病記の数で言うと、C型肝炎は乳癌に次いで2位になっています。そのC型肝炎をクリックすると小生のこのブログがトップに来ていますが、これは闘病記の検索で小生のブログが最後に出てきたためのようです。しかしブログの画像は一つ前のmiyaさんのブログのものです。やはりα版はまだ問題が多いようです。

どういう基準で集められたのかはわかりませんが、「お仲間アンテナ」のメンバーの方はほとんど入っているようです。ただし「ほとんど」であって、「もれなく」ではないようです。またブログだけではなく、ホームページも検索対象になっているようです。小生のホームページも、ずいぶん前の方にありました。そして小生は「C型肝炎」の分類になっていますが、心臓病や目の病気には入っていません。最近は小生のブログをキーワードの検索で訪ねてこられる方は心臓病関係が多いようで、この「TOBYO」は実態に即していませんね。さらに各ブログには「日記」とか「費用」とかの、ブックシェルフに登録した人が付けたというタグが付けられていますが、このタグも実際の内容とは違っているようです。

まだα版ですが、今後これがどうなっていくのか、さらにどういう風にしたいのか、運営者が「株式会社」であるだけに、ちょっと気になるところです。

2008/03/05

計量スプーン

2008年3月5日

小生は肝臓からは飲酒OKとなったのですが、目からは「1杯だけ」と制限を受け、心臓からは何も言われていませんが、多量に飲んで良いわけはありません。そこで目が充血しない、脈拍が上がらない範囲を探って、ビールの「一番搾り」などアルコール分5.5%のものは250ml(ついつい昔の習慣でCCと書いてしまいます(^_^;)、4.5%のものは350mlと決めていました。しかしもらい物のウイスキーがあり、これは昨年の正月にドラと飲んだ時に開封しているので、こちらもそろそろ片付けないと蒸発してしまいます。そこで週末はウイスキーを「適量」飲むことにしました。

適量というと、5.5%の250mlは純粋アルコールで13.75mlになります。そして4.5%の350mlは15.75mlになります。これをウイスキーの43%に換算すると、32~36mlとなります。今度はこの量を正確に計れば良いわけです。08030117a


ウイスキーは度数が高いため、目分量で量るとついつい入れすぎてしまいます。と言って、あまり薄くしすぎるとうまくありません。やはり水割りは倍に薄めるくらいが一番自分の好みです。そこで買ってきたのが、写真の計量スプーンです。この大さじが15mlですのでこれで2杯、3mlの小さじがありますからそれで1杯追加すると、ちょうど33mlになります。これでできあがり、後は氷と水を適量です。

バー用品には、本当のウイスキーのメジャーカップがあります。シングルだのダブルだのはそのメジャーカップで何杯かを言うのですが、小生のはシングル以下なので、計量スプーンが出てきました。そして心臓からいつまで酒を飲めるのかわからないので、酒に関するものの新規設備投資はしないことにしています。計量スプーンだったら、引き取り手がちゃんといますから(^_^;。

肝炎の皆様には目の毒の話で、失礼しました<m(_・_)m>。

2008/03/02

石川ひとみさん

2008年3月2日

金曜日(2月29日)放送のNHK「きよしとこの夜」、録画しておいて、今日見ました。目当ては、石川ひとみさんです。
実は彼女がまだヒットする前、生で見たことがあります。1979年か80年、当時入間市に住んでいた小生は隣町の狭山市であったお祭り(公園か、小学校の校庭かの、本当に田舎の夏祭り)に子供連れで出かけました。そこのゲストに呼ばれていて、歌っていました。まさに、売れない歌手のドサ回りです。翌年「まちぶせ」がヒットし、「あれ、あの子だ!」ということになったわけです。

そうしたら今度は彼女がB型肝炎というのがわかり、闘病記も読みましたし、ちょっと関心を持ってみていました。元気に活躍されているようで、何よりでした。もう50才近いはずですが、相変わらずのきれいな声でした。

同じ肝炎仲間(小生はB型C型の複合感染です)として、密かに応援しています。

2008/03/01

「笑うアシカ」は池袋にもいた!

2008年3月1日

うお座生まれなので水族館好きなのかどうかはわかりませんが、サンシャイン水族館の招待券をもらったので、池袋まで行ってきました。以前行ったのは今年30になるドラ2が3歳の時、二昔(ほとんど3昔)も前です。

サンシャイン水族館は、ビルの屋上にあります。以前行った時は屋上という記憶がなく、引っ越した話も聞かないので、昔からこの場所だったのでしょう。サンシャイン水族館の名物はラッコですが、昔は貝をえさとして与えていたのでおなかの上で割る仕草が見られたのですが、どの時点からかえさはイカだけになり、割る仕草は見られなくなりました。感染防止のため、養殖のえさしか与えなくなったと聞いたことがあります。サンシャイン水族館は、昔は大きいと思ったのですが、シーパラなど回遊水槽が主流になった今日では、小さく感じます。何となく、「昔ながらの水族館」という感じです。08030109a


その「昔ながら」につきものと言えば、アシカのショー。帰り道でちょうどやっていたので見てきました。ところが、このアシカが笑うんです。「笑うアシカ」と言えば鴨川シーワールドの名物ですが、まさか池袋にもいるとは思いませんでした。カミさんが平日に行った時には出てこなかったと言いますから、土日だけの出演かもしれません。見る方に夢中で写真を取り損なったのが残念です。08030104a


サンシャイン水族館の入場券の半券でサンシャイン60に割引で上がれるので、これも久しぶりに登ってみました。高層ビルが増え、東京タワーがほんのちょっとしか見えなくなっています。新タワーを造ろうという話が出るはずですね。

写真は雛飾りから顔を出したウツボと(何でウツボの水槽が雛飾りなのだ!)、3月28日から東急大井町線の急行で運行される新6000系です。

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