2007年9月初旬
山形新幹線用に新造車製作のニュースを聞く。400系の置き換え用で、いよいよ400系も姿を消すことになりそうだ。山形新幹線は、米沢時代は月に3往復もしていたものだが、写真らしい写真を撮っていない。心臓の手術前に写真を撮りに行くことにする。やはり板谷峠の写真が良く、ねらいを回りに人家が多くて線路近くに道路がある板谷に定める。
2007年9月下旬
方眼紙を買い込み、それこそ数十年ぶりにダイヤを引く。これで板谷の通過時刻が割り出せる。ねらいを10月始めの3連休の、6日か7日に定める。この二日間は臨時列車が多く、それだけ収穫が見込める。
2007年10月3日
群馬出張の切符は買うが、風邪気味なので板谷峠行きの切符はぎりぎりまで待つことにする。なお福島-米沢間の各駅停車は本数が少なく、行きに使える列車は1本だけ、帰りは一旦米沢まで行き、そこから引き返すことになる。
2007年10月5日
体調は良くなり、明日決行することにする。会社の帰りに切符を買うが、すでに予定していたMAXやまびこ109号は満席、仕方なしに自由席とする。帰りのつばさ126号は指定席が取れた。
2007年10月6日
会社に行くより30分遅く家を出て、京浜東北線経由で東京駅へ。平日はラッシュアワーだが、さすが土曜日で座れる。東京駅の新幹線改札内の女子トイレが長蛇の列、東北/上越新幹線の改札内はスペースが狭いので、長距離列車の出発駅にしてはトイレが少ないのだ。
MAXやまびこ109号の自由席もすでに長蛇の列。20分前では少し遅かったようだ。1本あとの電車にしようかとも思ったが、1号車にそのまま並ぶ。発車時刻のほんの数分前に乗り込む。折り返し運転の東京駅ではいつものことだ。E4系の1-3号車の2階は6列ベンチシートでリクライニングが出来ないのでまっすぐ1階へ、1階に何とか1つ空席があった。
出発して気づいたが、この列車は上野に止まらず、大宮のあとは福島までノンストップである。座れて良かった。1階では何も見えないので、コーヒーを飲みながらカメラのセッティング。一応写真展に出すことも考え、画素はフルスペックの7M、シャッター優先のAEとする。シャッターは1/500とする。
福島到着。前方へ行くとつばさとの連結部は人だかり、連休とあって家族連れが多い。つばさは発車するとすぐに連結器カバーを閉じる。そしてつばさがホームを離れる頃、やまびこのE4系も先頭の連結器カバーを閉じる。このあたりの動きは、見ていておもしろい。200系K編成の時代は連結器自体が引っ込んでいたので、もっとダイナミックだったろう。ホームの端に行き、目当てのMAXやまびこ/つばさ110号を待つ。少し肌寒い。
まずE4系のMAXやまびこが左端から右端へ、線路を大きく横切って入線する。置きピンの練習もかねてまず小手調べに写真を撮るが、正面過ぎて渡り線の感じが出ない。上りホームから撮った方が良かった。続いてつばさ110号が入線、ホームにかかる頃に連結器カバーを開ける。ちょうど出発するやまびこ47号とすれ違い、上りホームから狙ったら影になるところだった。パンタ上昇の瞬間も撮り、外へ出る。
次のねらいは山形新幹線が高架から地平に降りたあたりである。地図で当たりを付けておいたあたりに、ひたすら歩く。線路際は工場や家がつづき、なかなか切れ目がない。やっと踏切を見つけると、少し福島よりに戻ったあたりに跨線橋がある。これは良いポイントだ。
このあたりまで旧福島機関区の跡地で、かつては板谷峠越えのEF71やED78、さらに東北本線のED71もいたところである。すっかり草に覆われた中に、線路だけが残っている。奥羽本線沿いは、こうした廃墟が多い。またここは、法律上の新幹線と在来線の境界付近でもある。上り下り1本ずつ撮影、編成全部が入る写真が撮れた。
(つづく)
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