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2006/12/09

キャンディーズの時代

2006年12月9日

miyaさんのブログでも話題になったキャンディーズ、小生にとっては北九州時代、結婚して子供が1人だけの時期と重なっています。NHKの番組の中では都倉俊一氏が「日本の社会に余裕があった時代」と言っていましたが、個人的には全く余裕のない時代でした。それまでの家賃9800円のボロアパートから、ピアノが置けるようにと下上津役(何と読むでしょう。答えは文末です。)に新築された賃貸マンションに越したのは良いのですが、家賃は月収の1/3を越え、経済的には四苦八苦でした。初めての子供が生まれたのですが、2人とも末っ子で弟妹を見たこともなく、また東京生まれのカミさんには周りに頼れる知人もなく、本だけが頼りの育児でした。熊本の実家は初孫誕生で大喜びなものの、義母も含めてこれまた育児経験がある女性が誰1人おらず、誰か経験者が「男の子はこんなものよ」と一言言ってくれれば、どんなに楽だったかもしれません。精神的に全く余裕のない状態だと子供にも伝染し神経質になり、自家中毒で何回病院に担ぎ込んだかわかりません。

昔のアルバムを見ると、長髪のお父さんに超ミニのお母さん、2人とも若いと言うより幼い!写真は幸せそうな若夫婦で、周りからも「チェリーナみたい」(わかる方は、相当古い)と言われたものですが、カミさんは発狂寸前だったと言っています。キャンディーズはそんな中、テレビの中で元気で、小生達も歌番組を楽しみにしていました。そして1978年4月のキャンディーズのさよならコンサートは、東京に転勤が決まった同期生の送別会の二次会で見ていましたが、その7月には小生も東京に転勤になり、東京を拠点に全国を飛び回る過酷な生活が始まります。一方カミさんは自分の実家に近くなって小生の実家から遠くなったことで精神的にも落ち着き、二人目の男の子が誕生してからは長男も落ち着きました。その後も波乱は続くのですが、とりあえずは一段落です。

NHKの番組のあと会社の若い連中にキャンディーズを知っているか聞いてみたのですが、皆キャンディーズの解散後に生まれたこともあり、名前だけ走っているという程度でした。一方1975年生まれの長男はかなり詳しく、世代の差を感じます。長男は、アイドルの客席からの応援の形はキャンディーズで確立され、その後変わっていないと言っています。そう言われて気がついたのですが、時代的にあれは学生運動のシュプレヒコールと同じです。キャンディーズの主な支持層は団塊(学園紛争の主力だったのは、この世代)の一つ下の世代で、「全キャン連」も「全学連」(死語!)のもじりですから、おそらくそうでしょう。どちらも遠い昔の話です。

なおキャンディーズの歴史については、digiさんのブログに詳しいです。そして下上津役の読み方は、「しもこうじゃく」です。読めましたか?digiさん以外の方。

小生のホームページの中の「桐沢型ぶどう膜炎治療記」に3回目の入院中とその退院後、10月11月分をアップしました。ご笑覧ください。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

TBありがとうございました。
キャンディーズ全盛のころ、年の近い叔母の出産前後によく手伝いに行きました。叔母は自分の身内の姉(私の母)が隣県にいたのでしょっちゅう一家で来ては、我が家に子供を預けて友達とあうべく遊びに出かけていましたが、今から考えると大切な息抜きだったのでしょうね。そういう時、私は幼い従兄弟をつれてよく歩いていたので「若いママですね」なんて声を掛けられました。その従兄弟も今では立派な?パパになっています。
digiさんのところにも書きましたが、高校の友人が子供がまだ小さいころ福岡県に移って行きましたが、風習が違うので随分とまどったようですよ。

ところで「下上津役」読めませんでした、残念。それと「チェリッシュ」なら分かるのですが・・?(古い証拠ですね(^^ゞ)

コメントありがとうございます。

>miyaさん
カミさんの母親がまだ元気(今考えれば、現在の我々とほぼ同じ歳)だったので、機会を見つけては東京に遊びに行き、カミさんの実家に子供を預けては遊び回っていました。そういう意味で、長男はおばあちゃん子です。
カミさんが北九州に来てまず驚いたことは、スーパーに行き、見たことがある魚がないことでした。東京に来る魚は北日本が主体で、西日本の魚とは違うんですね。
その当時台所用洗剤に「チェリーナ」というのがあり(今でもあるかな?)、若い夫婦が手を繋いでベビーカーを押していくCMが流れていました。「チェリーナ、君のかわいい手、」というCMソングでした。このCMに出てくる夫婦みたい、と言われたものでした。まさに見てくれと中身は大違い、でしたが。

あ~、あのCM思い出しました!って古い証拠ですね(^^ゞ

ちなみにチェリーナは今でもあるようです。使っていないのでピンと来ませんでした。検索すると大容器の商品しか見あたらない・・・

「下上津役」懐かし過ぎて、涙が出てきます。数分固まってました。
冬になると玄海灘の魚が食いたくなります。
「チェリーナ」はもう長い事見てないです。「しゃぼん玉」石鹸は、関東でも見る様になりましたけど。

>miyaさん
あのCMは見たことのある方には印象に残っているようですね。チェリーナはピンク色でしたが、ネットで見つけた業務用チェリーナも、やはりピンクですね。しかしチェリッシュとチェリーナ、どっちが古いのかなあ。

>digiさん
引っ張り出して申し訳ありません。小生がいたのは国道200号線から少し三ヶ森によったあたりで、通勤には三ヶ森から筑豊電鉄を使っていました(ものすごいローカルネタ)。
「シャボン玉」石鹸は見ませんが、宮島醤油の「ばら」はどこかで見かけ、うれしくなりました。

「上津役(こうじゃく)」含めた私の郷里、現在の北九州市八幡西区南西部の紹介と想い出などを完全に忘れてしまわない内に、ちょこちょこまとめ始めています。
(私のブログのサイドバーLinkに、私のHPへリンクされています)

南海さん、ひょっとして大平にあった新中鶴炭鉱の新三抗・竪抗(通称:ゆうれいビル)が写った風景写真などお持ちじゃないですか?
自宅のアルバムを探しても無くて、今度実家に帰った時に探そうとは思ってるのですが...

>digiさん
ホームページ、ざっとですけど読ませていただきました。小嶺村のことは知りませんでした。小生の田舎(熊本県三角町)も、平家の落人伝説があります。休日に(明日は出勤日です(;_;))じっくり読ませていただきます。
さてその竪坑あと、住んでいた下上津役のアパートから良く見えたので気になり、一度近くまで行ったことがあります。ただ写真を撮ったかどうかは、記憶にありません。写真を撮っていてもアルバムに貼っていたのは子供の写真だけで、それから5回引っ越していますから、出てくるものやらどうやら(^_^;。カミさんが最近家の整理にかかっていますので、出てきたらご連絡します。

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