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2006/11/03

古いアルバム

2006年11月3日

以前実家を片付けに行った姉から古いアルバムが送られてきていましたが、先日やっと目を通しました。「見たいから送れ」と言っていたものの、実際6冊を前にするとなかなか腰が上がらないものです。

アルバムは家族のものではなく母個人のものでした。昭和17年のお見合い写真から始まっており、関門トンネルの開通記念乗車券も一緒に張ってあります。名誉の負傷で内地勤務になり、当時広島にいた父が出来たばかりの関門トンネルを見たくて見合いに応じたと、娘2人(つまり、小生の姉)が言っていましたが、さて本当のところはどうだったのでしょうか。昭和18年に結婚、その年の暮れに姉が生まれています。佐賀で終戦、そして熊本の親父の(つまり小生の)実家へ、その後女の子と男の子(これが小生)が生まれています。終戦直後の実家の様子がわかります。

小生の生まれた後「公式写真」のような写真が少しありますが、結核で入院する前に撮ったものでしょう。その当時の結核ですから、おそらく覚悟して入院したものと思います。後でわかったことですが、母は結核療養所を退院した後も自宅で療養を続け、ストレプトマイシンも自宅で打っていたようです。小生は子供の頃、「ストレプトマイシン」と書いてあるバイアルを沢山並べて遊んだ記憶があります。

子供達が中学高校に行く頃、大変ですが親としては一番華やかな時期ですね。小生この歳になってやっとわかりました。アルバムの5冊目は昭和43年の初め、前年に大学に入った小生が送った写真で終わっています。中には東横線の「青ガエル」5000系の写真もありました。母が死んだのはその2年後、小生が20歳の時でした。0611035000


6冊目は昭和43年3月、三角町でやったお琴の会の写真です。小生はその会の裏方(運転免許を取ったので、もっぱらアッシー君)をやったので、その会は良く覚えています。母の昔のお琴仲間(もう大先生)やバイオリン、チェロなどのゲスト奏者も招き、盛大でした。久本玄智先生作曲の曲は洋楽器と合わせる、言わば琴の入った弦楽合奏曲のような曲が多くあるのですが、久本先生自体が忘れ去られようとしている今日、こういうフル編成での合奏を聴くことはもう無いでしょう。

その時演奏された曲の中に「茶音頭」というのがありました。お茶のお点前と一緒に演奏し、お茶を立て終わったときに演奏も終了するものですが、この時以降目にしたことも耳にしたこともありませんでした。ところが畑中良輔先生の著書「音楽少年誕生物語」を読み始めたところ、この茶音頭(著書の中では、「茶の湯音頭」)が出てきたのには、びっくりしました。

このお琴の会、母はもう身体の具合が悪いことを自覚しており、それこそ最後と思って盛大にやったのかもしれません。アルバムは姉弟の間を回覧した後処分すると姉は言っていましたが、この6冊目は小生は手元に残したいと思っています。

話は変わりますが小澤征爾のタンホイザー、横須賀の分のチケットを入手しました。

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コメント

穏やかな休日を過ごされたようですね。
随分お若い頃にお母様を亡くされて、お辛かったでしょう。
アルバムの整理は身辺整理の問題の一つで、実家では、母の亡くなった後は父が、父亡き後は私が片付けました。ホームに入ってる姑のアルバムは捨ててくれと言われましたが、義理の妹弟達の意向も有るでしょうから、そのままになってます。自分達のは孫達のアルバムをお棺に入れてほしいと娘に頼んで有ります。
タンホイザー取れて良かったですね、小澤征爾さん大丈夫でしょうか。

コメントありがとうございます。

>meeさん
大学3年から4年になるときで、その後1年間くらいは精神状態がおかしかったです。ちょうど学園紛争まさかりの頃、各大学とも留年させずにさっさと追い出そうと計っていた時期で、今だったら留年していたでしょう。そうすると小生の結核発病は大学時代になり、多分就職先も変わり、全く違った人生になっていたでしょうね。
この秋にも姉が実家の片付けをやっていましたが、アルバムの処理には苦労しているようです。実は実家にはアルバムを含め、小生の私物が沢山置いてあります。これを片付けに、そのうち行かなければなりません。
学生時代、小沢さんのが急病で代役が立ち(曲は多分ベートーベンの第9)金額の一部の払い戻しを受けた記憶があります。

うちの母は私が高校3年の夏に亡くなりました。昔の写真は20数年前の結婚した頃にアルバムを開いたきり見てないですね。古~いオープンのテープレコーダーで録った1本きりの母の声の入ったテープもまだ、押入れに有るはずなんですけどね。去年は大掃除できなかったし今年の暮れには押入れも整理しましょかね。押し入れん中の思い出を広げたきりでフリーズしたら家内たちにまたブーブー言われちゃいますかね。

うちの母は私が中学二年の時、離婚しました。私は”ぐれ”も せず、立派な大人になりました。今は ぽんさんと 同い年、母は83で、お迎えを待つ、、じゃ暗いで、前向きの名に恥ずるので、72歳のとき、水泳を私が教え、今や500mを す~いすい。(親孝行の私と思っちゃ いけませんぜ、明智君、長生きしてもらわんと困るで、鵜飼の心境です、禁50)
だで、お袋の年金をあてにしとる、わしですじゃ。

>渡邊さん
高3とはまた(絶句)。古いオープンリールのテープ、CD化できるところが東京にはあります。ちょっとお金がかかりますが。我が家では今カミさんが押し入れの中を掃除中、しょっちゅうフリーズしています。

>前向きさん
う~ん、それは母上様の教育が良かったんですね。小生の母親は早死にしましたが、カミさんの母親はまだ元気、89才の現役主婦です。
別件の話。講演で笑いを取ろうとすると、どうしても反感を持つ人が出てきてしまいますね。お笑いタレントもそうですが。
肝炎の進行状態、小生の先生は飛行機と同じで「落ちないように高度を稼ぐ」という言い方をしていました。小生は、気球を例えに使ったことがあります。

他の5冊はいずれ処分されちゃうのですか・・なんだかもったいないですね・・。私の父の両親は父が3才のころ相次いで亡くなったらしく、10年ほど前の母のお葬式後の片づけで、初めて父方の本当の両親の写真を見ることが出来ました。父が養子になった頃の経緯を書きつづった物も初めて目にしました。子孫としてある程度の年齢になっていたから貴重に思えました。

>miyaさん
昨日長男に見せたのですが、長男は小生の母親を見たことはなく(長男にとっての「田舎のおばあちゃん」は義母)、それを考えると抜粋して取っておきたいところもありますね。全部取っておきたいところですが、これは姉弟3人とも荷物を処分しないと自分が住めなくなるような住宅事情なので。

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