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2006/11/28

来月からコンタクトの練習

2006年11月28日

昨日、眼科の検診に行ってきました。眼科の場合、他の病院でも多分そうでしょうが、診察の前に視力などの検査を行います。右目の視力検査の時は水晶体がないために、その分もカバーしたレンズを入れた眼鏡をかけるのですが、今までなぜか顔を上げないと良く見えないような気がしていました。そこで昨日実験してみたのですが、見えるところが小生が考える目の中心部よりやや右下に寄っており、よく見ようとすると、視野がどんどん右下に逃げていくことがわかりました。

そこで見たいところよりやや左上を見るようにすると、視野が逃げずに真ん中に止まります。そのやり方で検査の先生が持ったCの字を追ってみたのですが、さすがに遠くなるとしっかり見ないとどこが切れているかはわからなくなり、0.1までは見えませんでした。それでも動かして止まったときには、視力検査板の0.1の段にCが3つ並んでいるのが見えますので、目の動かし方に慣れれば0.1は見えそうです。なおこの見たいところから目線をはずして見る見方は、電車の中ではスリか痴漢がやっているそうです(笑)。

診察の時にS先生にこの話をしたところ、網膜の所見と矛盾していないとのこと、中心部から左側(先生の側から見て)に膜があるそうです。しかしこの膜を取ろうとすると全剥離になる危険があるため、膜は取らずにそのままにしておきます。

全体とすると炎症も治まり、来月からコンタクトの練習をすることになりました。それでS先生、角膜のあたりをじっくり見ていたのですが、
S先生「あ、手術の時の糸が残っていますね。取っちゃいます。」(看護師さんに向かって)「すみませーん、鑷子(せっし=ピンセットのこと)ください。」
看護師さん「どの鑷子ですか?」
S先生「Y○○鑷子ください。」
小生「先生、Y○○って、Y○○先生(Y教授)のY○○ですか?」
S先生「そうなんです。この鑷子の形をY先生が決められたので、Y先生の名前が付いたんです。はい、痛くないですから、左を見ていてください。」
と、診察台で糸を取りました。あとは消毒用の目薬を差して終わりです。しかしY教授、若い頃は「白内障手術の名手」として知られていたそうですが、道具もいろいろ工夫されていたんですね。

左の老眼の度が進み、眼鏡がだんだん合わなくなってきました。コンタクトを入れて落ち着いてから新しいのを作ろうと思っていたのですが、どうもそれまで待てず、古い眼鏡の片側だけレンズを入れ替えることにしました。

2006/11/26

マニュアルモード

2006年11月26日

クリスマスが近くなり、街中でも街路樹にLEDの飾りが付いたり、クリスマスツリーが飾られたりし始めました。Pb250327_1個人の家でも飾りを付ける家が増えたのですが、近所に毎年、家中に電飾を付けるお宅があります。Pb260336_1

何回か写真を撮ろうと思ったのですが、デジカメだと電飾ではなく家をはっきり撮るようにシャッタスピードが自動的に遅くなり、手ぶれをしてしまいます。そこでデジカメのマニュアルを久しぶりに引っ張り出し、マニュアルモードに挑戦してみました。1枚目がオート、2枚目と3枚目が1/20秒F2.8です。Pb260338


このデジカメ、ズームも利くしいろいろな機能が付いているのですが、シャッターボタンを押してから実際にシャッターが切れるまでのタイムラグが大きく、走行中の列車を撮るのには向いていません。そろそろ買い換えようかと思っているのですが、、、。

2006/11/24

ショートコート

2006年11月24日

先日ふらっとデパートの紳士服売り場を覗いたら、ショートコートに目がとまりました。会社では作業服で、外仕事の職場には防寒衣があり、なぜか小生も持っているのですが、出張先に持って行くわけにも行かず、寒い思いをしていました。そこで「背広の上にも着られるジャンパー」か、「作業服の上にも着られるコート」を探していたのですが、これはちょうど作業服の上からも着られそうです。

小生のコートの1枚は、親父が着ていたものをもらったトレンチコート(その親父も、今年13回忌でした)、もう1枚は1990年のイギリス出張の時に買ったもの(何と小生のIFN歴より古い!)と、どちらもかなりくたびれています。そこで衝動買いに近いのですが、買うことにしました。「ポイントカードで5%引き!」だったし(^_^;。なお色はベージュ系にしました。黒がシックだったのですが、夜黒いジャンパーを着ていて、車にはねられそうになったことがあるからです。

帰って自分のコートをよく見ると、トレンチコートはかなりひどい状態だったので、早速ゴミにすることにしました。ところが古着は燃えるゴミですが、ボタンは燃えないゴミ、市の広報には古着のボタンは取って出すように書いてあります。「ゴミにするのならクリーニングに出すな!」とカミさんが文句を言いながらボタンを取ってくれましたが、トレンチコートのボタンって多いんですね。20個もありました。

急に冷え込んだので、早速そのコートを着ています。12月の初めに早速出張がありますが、作業服に着替えることは無さそうです。

2006/11/22

伊豆長岡へ

2006年11月21日

前日に思い立ち、日曜日に伊豆まで行ってきました。行き先は伊豆長岡です。日曜日だから混むだろうと思い、前日に「踊り子」号の指定席を確保しました。

さて当日、「踊り子」号に乗るのは初めてですが、スーパービュー(鉄道ファンはSVOと略しています)ではない普通の「踊り子」だったので、車両は185系、ときどき群馬の帰りに利用する「草津」と同じ車両です。それでも東北/上越系の200番台の寒地向けとは違い暖地向けで、シートの感じがちょっと違います。06111901

土日にしか走らない不定期列車なのに、車内は満員。取れた指定席は1Aで、車両の端の壁に面したところです。しかも戸袋窓で、景色もやや悪いです。それでも伊豆まで座っていけます。

大船から先の東海道(在来線)を日中に下ったことはあまりありません。海が近くなると、東海道を下っている感じが出てきます。あいにくの曇り空で海の色が鉛色ですが、熱海に近くなるとミカンが色づいているのが見かけられます。

「踊り子」は熱海で切り離し、前7両が伊豆急下田に向かいます。その時後5両に乗っていた車内販売員も、前へ引っ越しです。後5両は乗務員もJR東海に交代します。185系は5両編成だけになると電動車比率が下がって残った電動車の負担が大きくなるのですが、ちょうど降り始めた雨もあり、熱海の発車で見事に空転しました。

丹那トンネルを抜けて三島へ。三島は町が好きで、何回か来たことがあります。そこで伊豆箱根鉄道の乗務員に交代です。修善寺へ向かう伊豆箱根鉄道の駿豆線は、伊豆と行っても海岸ではない、言わば中伊豆へ向かいます。小生が伊豆へ来たのは、天城から河津七滝へのコースと、西伊豆での研究室の合宿、どちらも学生時代です。駿豆線に乗るのは、初めてです。06111905


今回の目的は伊豆長岡のギャラリー・ノアールでやっている工藤絢子さんの個展を見に行くことです。工藤さんにお会いするのも目的の一つではあります。と言うのも、工藤さんは小生と同じ桐沢型ぶどう膜炎で、硝子体の手術もされた方です。最初の手術は工藤さんの方が早かったのですが、オイルを抜く手術は小生の方が先でした(別に張り合っているわけではありません)。この病気は数が少なく(病院では、数年に1人と言われたそうです)、小生もこの病気の方とお話しするのは初めてです。病院では、いろいろご苦労もされたようです。小生は、病院運に恵まれていると思いました。

この病気になってから個展を開こうと思われたそうですが、いや、見事なものです。小さめの作品ですが、小生の好きな作品の写真です。06111909
個展そのものの案内はありませんが、伊豆の国市の案内がこちらにあります。終了日順に並んでいるので、12月10日を見てください。

帰りも「踊り子」、充実した楽しい1日でした。

2006/11/18

畳替え

2006年11月18日

小生の住んでいるアパートは、畳の部屋が一部屋だけあります。この部屋の畳替えを前回やってからずいぶん時間が経ちました。狭い家だと畳替えは結構大変で、その部屋のものを他の部屋に移し、そして畳を外に出せるだけの通路を確保しなければなりません。畳だと急カーブは曲がれないので、通路の確保も大変です。この半分言い訳のなんだかんだ(子供の受験、小生の入院、単身赴任、etc.)でずっと畳替えをサボっていたのですが、ついに今回決行しました。その前に部屋の整理を続け、他の部屋にタンスを移動できるスペースを確保できたことが大きいです。

小生の子供の頃の畳替えは、職人さんがやってきて家の前に台を置き、そこで表替えをやっていました。その作業の様子を良くじっと見ていました。なお小生は職人さんのこういう仕事を見るのが好きで、左官さんの仕事をあまり熱心に見ていたので、左官の親方から親父に「弟子に欲しい」と申し入れが来たそうです。

さすがに今はトラックで畳屋さんに運び、完成したところで持ってきます。家具の移動は全部職人さんがやってくれますが、タンスの裏はずっと掃除ができなかったので、長年たまった埃はものすごかったそうです。今は家にはいると、ぷんと新しい畳のにおいがします。畳が片付くと、次に埃がたまっているのは小生が使っている部屋になります。カミさんから攻撃を受ける前に、何とかしなければ。

なおそのカミさん、子宮頸ガンの方も異常なく、単なる炎症だったそうです。老化現象の一つかもしれません(^_^;。

2006/11/15

福岡往復日帰り

2006年11月15日

月曜日に福岡まで、日帰りで往復してきました。この出張が決まったのが先週の水曜日、群馬でのことです。時間がないので、帰り道に渋谷で降り、ビュープラザに飛び込みました。JTBが7時で閉まるのに、ビュープラザは8時まで開いているので、こういう時は助かります。飛行機に1年乗らなかったら運賃制度がすっかり変わっており、ANAのスーパーシートが利用料金ではなく運賃そのもの(国際線のファーストクラスと同じ)になっており、外の割り引きと併用できなくなっていました。もう少し早く決まれば一週間前のスーパーシート割り引きが使えたのに、惜しいことをしました。結局同行者と同じJALで、行きだけクラスJが取れました。

さてそのクラスJ、なかなか良いですね。シートはかつてのJASのレインボーシートより良いようです。ただしJASでは各シートにあったに液晶ディスプレイは付いていませんでした。これは飛行高度や今どこを飛んでいるかが分かり、面白かったのですが。
びっくりしたのは飲み物のサービスの時、乗客一人一人の名前を呼ぶことです。「南海様、ご搭乗ありがとうございます。」と言われた時には、本当に驚きました。まあ飛行機の搭乗券は記名式ですから、チェックインデータを転送すれば一覧表はすぐできるのですが、良いサービスだと思います。

福岡での昼食は博多ラーメン、実は博多で食べるのは初めてです。東京で食べたものと、ちょっと違いました。仕事は順調、帰りもJALですがめずらしく国際線仕様のB747-300と、疲れましたが楽しめました。

と、これは群馬で書いています。今週は、会社に顔を出すのは2日だけです。

2006/11/11

心臓の弁の手術はぎりぎりまで待つ?

2006年11月11日

小生の心臓、僧帽弁閉鎖不全は逆流度3(自覚症状あれば手術適用)ですが、収縮時の左心室内径(LVDs=心エコーで調べられます)が今年の初めに27(mm)と持ち直したため、経過観察になっています。とは言っても心肥大が進むと手術になります(LVDsが40を超えたら手術適用)。しかも手術前に心筋梗塞などを起こすと手術が出来なくなり、心肥大があまりひどくならないうちの方が予後がよいので、早めの手術の方が良いとも言われています。

小生も、閉鎖不全があると血液が逆流していて、工業用のポンプだと定量送れない状態なので、弁の手術をした方がかえって調子が良くなる(今が体調が悪いという意味ではありません)のではないかと思っていました。しかし家系を見ると高血圧の家系で親戚には脳溢血で倒れた方もいるのに、小生は低血圧です。これはひょっとすると、心臓が逆流しているから血圧が上がりきれないのではないかと考えました。

もしそうだとすると小生の場合、弁の手術をすると血圧が高くなる危険があります。そうなると、ポンプの修理をしたら古い配管のあちこちから水が漏れ出すように、特に脳出血の危険が出てきます。心臓発作と脳出血のどちらを取るかといわれると、小生は迷い無く心臓の方を取ります。脳出血の方は助かっても後遺症に悩む方が多いのに対し、心臓の方は低酸素脳症になる可能性はあるものの、1か0になる可能性の方が高いです。せっかく楽な死に方が出来るのに、手術をして脳出血の道を選ぶのか、というわけです。こうなると手術時期は、ぎりぎりまで遅らせた方が良いことになります。

今度の心臓の診察の時に先生に聞いてきますが、軽く調べた段階では、よほどの(100以下の)低血圧は別として、弁の手術をして血圧が上がることは無さそうです。しかしこの判断は、結論を出すのも逡巡しているのも結果は同じなので、気は楽です。

話は変わりますが、月曜日は仕事で福岡まで、日帰りで往復です。同行者の都合で今度はJALですが、いままでずっと幹線はJAS、ローカルと合併後はANAにしていたので、JALに乗るのは合併以来初めてどころか、10年ぶりくらいになります。

2006/11/06

抗生剤の目薬、開封したら1ヶ月

2006年11月6日

今日は眼科の検診、1日早いけど手術後2週間に当たります。連休中から少し右目のまぶしさが増してきましたが、視力検査の時真ん中のじゃまになるゴミが消えていたたCの板を追うのが楽で、視力は0.07くらいでした。手術後は順調で、次回は3週間後になりました。通院間隔が開くのは安定しているということで、こちらとしても会社の調整をする必要が無く、有り難いです。

コンタクトを始めるのは1ヶ月から2ヶ月経ってからが良いとのことで、次回にはうまくいって「試し」くらいです。と言うのも小生は現在眼圧が低い(今日で4くらい、標準は7以上)ので、角膜のカーブがきれいに出ないそうです。まして小生は水晶体が無く左目よりへこんだような感じになっているので、なおさらです。そのため、コンタクトがうまく収まるかどうかを、先生は心配しています。これこそ、やってみないとわからないことなので、まずやってみます。

なお今度の手術の後から、目薬がリンデロンはそのままですが、抗菌剤のガチフロがクラビットに変わりました。実は5月の手術の前もクラビットとリンデロンだったので、クラビットが残っていました。そのため今日行きつけの薬局の薬剤師さんに聞いてみたところ、
○開封前なら、半年くらいは平気である。(薬自体の有効期限は、もっと先)
○開封後は、特に抗生剤は保存剤が入っていないので、1ヶ月が限度である。
ということでした。(ナオコ先生の実際の言い方は、もっと優しいです。)帰ってから、使いかけのクラビットとガチフロは、みんな捨てました。

明日から早速、1泊の出張です。

追伸です。一番大事なことを書き忘れていました。洗面と洗髪、普通に洗って良いとOKが出ました。今日お風呂で、じっくり(と言っても、毛が抜けすぎない程度に)洗います。

2006/11/03

古いアルバム

2006年11月3日

以前実家を片付けに行った姉から古いアルバムが送られてきていましたが、先日やっと目を通しました。「見たいから送れ」と言っていたものの、実際6冊を前にするとなかなか腰が上がらないものです。

アルバムは家族のものではなく母個人のものでした。昭和17年のお見合い写真から始まっており、関門トンネルの開通記念乗車券も一緒に張ってあります。名誉の負傷で内地勤務になり、当時広島にいた父が出来たばかりの関門トンネルを見たくて見合いに応じたと、娘2人(つまり、小生の姉)が言っていましたが、さて本当のところはどうだったのでしょうか。昭和18年に結婚、その年の暮れに姉が生まれています。佐賀で終戦、そして熊本の親父の(つまり小生の)実家へ、その後女の子と男の子(これが小生)が生まれています。終戦直後の実家の様子がわかります。

小生の生まれた後「公式写真」のような写真が少しありますが、結核で入院する前に撮ったものでしょう。その当時の結核ですから、おそらく覚悟して入院したものと思います。後でわかったことですが、母は結核療養所を退院した後も自宅で療養を続け、ストレプトマイシンも自宅で打っていたようです。小生は子供の頃、「ストレプトマイシン」と書いてあるバイアルを沢山並べて遊んだ記憶があります。

子供達が中学高校に行く頃、大変ですが親としては一番華やかな時期ですね。小生この歳になってやっとわかりました。アルバムの5冊目は昭和43年の初め、前年に大学に入った小生が送った写真で終わっています。中には東横線の「青ガエル」5000系の写真もありました。母が死んだのはその2年後、小生が20歳の時でした。0611035000


6冊目は昭和43年3月、三角町でやったお琴の会の写真です。小生はその会の裏方(運転免許を取ったので、もっぱらアッシー君)をやったので、その会は良く覚えています。母の昔のお琴仲間(もう大先生)やバイオリン、チェロなどのゲスト奏者も招き、盛大でした。久本玄智先生作曲の曲は洋楽器と合わせる、言わば琴の入った弦楽合奏曲のような曲が多くあるのですが、久本先生自体が忘れ去られようとしている今日、こういうフル編成での合奏を聴くことはもう無いでしょう。

その時演奏された曲の中に「茶音頭」というのがありました。お茶のお点前と一緒に演奏し、お茶を立て終わったときに演奏も終了するものですが、この時以降目にしたことも耳にしたこともありませんでした。ところが畑中良輔先生の著書「音楽少年誕生物語」を読み始めたところ、この茶音頭(著書の中では、「茶の湯音頭」)が出てきたのには、びっくりしました。

このお琴の会、母はもう身体の具合が悪いことを自覚しており、それこそ最後と思って盛大にやったのかもしれません。アルバムは姉弟の間を回覧した後処分すると姉は言っていましたが、この6冊目は小生は手元に残したいと思っています。

話は変わりますが小澤征爾のタンホイザー、横須賀の分のチケットを入手しました。

2006/11/01

明日から会社です

2006年11月1日

結局、明日から会社に行くことにしました。仕事の流れから言うと月曜日(6日)からでも良いのですが、事務処理がたまっているようなので、処理した方が良さそうです。疲れたらフレックスタイムを使い、さっさと帰ります。そして3連休、予行演習ですね。本当は今日からでも会社に行ける状態なのですが、顔と髪が洗えないせいで、何となく家に引っ込んでいます。

朝から顔が洗えないので、朝は清浄綿とか言うもので顔を拭くだけです。髪は連休中のどこかでもう一度美容院に行きます。そして月曜日の午前中が眼科の検診で、おそらくその晩から髪と顔が洗えるようになるはずです(期待)。

これだけ休みがあったのだから何かまとまったことが出来るかと思ったのですが、やっぱりだめですね。ビデオの消化もあまり進みませんでした。ホームページの旅行記の2003年分をまとめようと思ったのですが、これも手つかずです。

なおカミさんは、体ガンの方は異常なしと判定されました。今度は頸ガンの方の再検査です。一緒に出来るのですが、やらなかったのですね。精密検査ではなく再検査、灰色状態だと入口のところでうろうろしているようです。

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