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2006/07/30

1993年の記録をまとめました。

2006年7月30日

小生のホームページ「南海凡吉の部屋」に1回目のインターフェロン前後の話を「インターフェロンに挑戦」としてまとめていますが、昨日この1993年分をまとめ、アップしました。1ヶ月間入院し腹腔鏡肝生検と受け、6ヶ月間のインターフェロン投与が全部この1993年に入りました。しかも年末には顔面神経麻痺まで発病しています。古い話ですが記録が残っていたため、まとめ上げることが出来ました。ご笑覧ください。

今見てみても結構いろんな事が起こっており、記録を眺めていて思い出したことが多数あります。まだこうやって思い出せるうちに、残りの1994年と1995年もまとめてしまおうと思っています。

2006/07/29

CRとSVRはどう違う?

2006年7月29日

今月後半になりお仲間の結果がどんどん出てきますが、このところは皆さん成績が良いようです。その効果の判定ですが、小生がIFNを始めた1993年当時はウイルス検査には保険が利かず高かった(2万円以上)こともあり、ウイルス検査は半年に1回くらいしか行われませんでした。そのため、「ウイルス学的著効」という言葉は使われず、ただの著効(完全著効と不完全著効)だけでした。最近はウイルス学的著効という言葉がよく使われるので、調べてみました。

シェリングプラウ社のホームページの「あたらしい治療に関する情報」に書いてあることを自分なりに補足しておおざっぱにまとめると、
○治療終了6ヶ月の時点でウイルスが陰性の場合は「ウイルス学的著効」(SVR)
○治療終了時から6ヶ月以上GPTの正常かが保たれている場合が「生化学的著効」(BR)
○この両方を兼ね備えたのが「完全著効」(CR)
○生化学的著効だけどウイルスは陽性なのが「不完全著効」(IR)

となります。この元は厚生省(現、厚生労働省)の指針のはずなのですが、厚生労働省のホームページではこの原本が探しきれませんでした。

IFNには肝臓の細胞を壊す作用もあるため、IFNそのものでGPTが上昇することもあるようです。そういう方にIFNの効果がありウイルスが排除できた場合は、ウイルスはマイナスでもGPTは高値のため、SVRにはなってもCRにはなりません。また途中でウルソなどGPTを下げる作用のある薬を使った場合も、SVRになってもCRとは判定されないようです。

さて小生の場合ですが、3月(治療終了7ヶ月後)に著効と判断された時点ではGPTは正常値を継続していたのですが、ウイルス検査はまだ4ヶ月後のデータしか出ていませんでした。ところがその時先生はカルテに「CR」と書いていました。「著効で、HCVcore抗体量が経時的に減少する例も完全著効と判断できる」(飯野四郎著「C型肝炎のインターフェロン療法」、1997年初版、講談社)という記事もありますので、上に書いた基準の他にもっと細かい補足があるのかもしれません。

2006/07/26

世の中に、かほどうるさきものは無し

2006年7月26日

日曜日に左の膝の上を蚊に刺されました。しかも2カ所。家にいるときは半ズボンなので、「やられたか。」と思っていました。ところが今週、会社に行っている間に同じ左膝の上に、蚊のあとが増えます。会社では作業ズボンですから、結構な厚みがあります。まさか作業ズボンの上から、と思っていたら、昨日胴体に立派な縞のあるヤブ蚊がコーヒーカップの上に止まって、小生の隙をうかがっていました。今年は雨が多いせいか、会社の3回にまで蚊が出没しているようです。早速会社の経費でキンチョールを買ってきました。

しかし同じヤブ蚊でも、東京のものは小さいですね。熊本のヤブ蚊の半分くらいです。この大きさで作業ズボンの上から刺すのですから、たいしたものです。最もカミさんに言わせると、熊本のは蚊ではなく、化け物だそうですが。

2006/07/24

写真は撮られているが

2006年7月24日

先週末レーザーで虹彩に穴を開けたため、今日も診察が入りました。レンズを沢山付けた眼鏡をかけると、視野は狭いながらも良く見えるのですが、濁りが横筋となって、Cの字は見えるもののどこが切れているかがわかりません。それで視力は0.07でした。目全体としては安定してきており、次の診察は3週間後になりました。ただ増殖膜が徐々に広がってきており、これをどうするかは次の診察時に教授ぬ見てもらうことになりました。増殖膜はちょうど視神経の上(いわゆる盲点)にあるため、視力には今のところ影響していません。教授診察に備え、眼底の写真を撮りました。

会社が終わったあとは歯医者です。右の上の歯がかなり深いところでやられており、今日その歯の治療が終わったので、確認のためにX線写真を撮りました。

この所撮られている写真といったら、こういう写真ばかりです。普通の、しかもスーツを着た写真は、10年以上撮っていないように思います。「葬式の写真がない!」と言われそうです。しかも昔はいきなり倒れたときはアルバムをめくって適当な集合写真から引き延ばしていたんですが、小生の写真はほとんどハードディスクの中です。いきなり倒れたら、どうするんだろう。

2006/07/22

右目の動きについて

2006年7月22日

一時期右目が左目の動きに付いてこないような気がしたのですが、少なくとも今はちゃんと付いてきているようです。しかし左に付いてきても、正しい動きとは異なるようです。
右目の30cm前の物を見ようとした場合、左目はやや右を向きます。そして右目は自分の正面にあるので正面を見なければいけないのですが、小生の場合はそこで右目も左目と一緒に右を向いてしまいます。右目の動きが変だと感じていたのは、ここでした。

手術前(=水晶体があったとき)はこういう変な動きは感じていなかったので、ちゃんと独立して動いていたんだと思います。そのころすでに立体視は出来なかったのですが、明るいものは見えたため、室内の明かりや街灯はぼやけながらも独立して見えました。そのため右目も、対象物を右目の中心に置くように動いていたのだと思います。

手術後は水晶体が入っていないため、室内の明かりは蛍光灯が一個一個独立せず、全体がぼやけた明かりとして見えます。そのため右目だけではどこを見たいのかがわからず、左目と一緒に動いているのだと思います。これが右目が全く見えなくなり光すら感じなくなると、もう左目の動きには付いてこず、勝手な方向を向いてしまうことがあるそうです。そして動くことすらなくなってしまうのでしょう。

オイルを抜いて水に置き換えるとき、視力の確保(0.1以上)が確実視されるときは、一緒に眼内レンズを入れる手術も行うそうです。そうすればぼやけてもものの形はわかりますので、また右目が独立して動くことになるのでしょう。ただし小生の場合は増殖膜が出かかっているので、オイルを抜くときに除去手術も一緒にやるそうなので、同時に眼内レンズを入れるかどうかはわかりません。眼内レンズを入れるとその後の眼底診察がやりにくくなる(普通の目と同じになるだけなのですが、現在の水晶体がない状態だと、眼底検査がやりやすい)ため、増殖膜の除去がはっきり確認できてから、あらためて眼内レンズを入れることになるかもしれません。うーん、また手術は2回か(;_;)。

昨日、入院中に眼圧調整のために虹彩に空けた穴がふさがりかかっていたため、広げる処置をしました。レーザー処置だったのですが少しちかっとするだけでほとんど痛みはなく、簡単に終わりました。また2週間分の目薬をもらってきたのですが、同じように差していても減り方が違います。行きつけの薬局で薬剤師の先生に聞いたところ、メーカーによって容器の穴の大きさが違い、そのために差が出てくるそうです。特に良く減る「ガチフロ」のメーカーは、特に穴が大きいそうです。容器の押し方に気をつけなければ。

2006/07/20

つくばエクスプレス初乗車

2006年7月20日

昨日仕事でつくばまで行ってきました。開通してだいぶたちましたが、つくばエクスプレス初乗車です。
秋葉原の入口はJR秋葉原駅のすぐ前(ヨ○バシカメラのすぐ前(^_^;)なのですが、正面でないところから入ったら、下りのエスカレータがありません。いろんなところにお金がかかっていますから、多少手を抜いたみたいです。その辺はみなとみらい線は「これでもか」と言うくらいに(ちょっとやりすぎではないかと思うくらいに)いろんな設備があります。つくばまでは快速に乗りましたが、お昼過ぎの一番空いている時間帯だったため、楽に座れました。

さてその快速、ともかく速いです。秋葉原からつくばまで45分、昔土浦からバスに乗り換えていたことを思えば、雲泥の差です。帰りはほとんど各駅に止まる区間快速でしたが、駅間を飛ばすこと!「速い」の一言です。
つくばエクスプレスも常磐線と同じく地磁気観測所への影響を避けるため、守谷から先は交流電化になっています。常磐線の旧型車に乗ると、交直転換点では車内灯が全部消えるのでよくわかったのですが、最新の車両なので室内灯もついたまま、交直転換は全くわかりませんでした。

実に快適だったのですが、各駅にはホームドアを装備しており、また車両の半分は高価な交直両用車と、設備投資は相当な額がかかっています。人口減少時代に入った日本、はたしてどのくらい利用客が増えるのか、ちょっと心配になりました。

2006/07/17

手術から2ヶ月

2006年7月17日

昨日で右目の2回目の手術をして2ヶ月になりました。退院当初、右目は痛くて触れませんでした。そのため洗面の許可は出たのですが、右目の回りはさわらずに洗っていました。左右関係なく平気で洗えるようになったのは、半月ほど前です。
今日の明け方(と言っても、完全に朝ですが)無意識に右目をこすっていて、自分でびっくりしました。2ヶ月でやっと平気でこすれるようになりました。外観も、「目はどうかしましたか?」と言われない状態になってきました。退院した頃は1ヶ月で外観は戻ると思っていたのですが、2ヶ月かかりましたね。そうこうしているうちに、再手術の時期が近づいてきました。

この外観の「目が腫れている」とか「パンダ」とかは、目の中身とは全く関係が無く、単なる手術の後遺症で、今やっとその後遺症が無くなったところです。手術の本当の後遺症、目の奧にバンドを巻いたことによる影響は、目が動きにくくなると言われていました。その影響で右目が何となく右下方向を向いていたのですが、それもほとんど気にならないようになりました。ただ鏡で右目を見た場合、左目だけで見ているのでどうしても右を向くことになり、右目は見返さないので左につられて右を向いてしまうようです。

昨日、今日と、朝11時近くまで寝ていました。夜は12時すぎたら寝ていましたので、毎日10時間近く寝ていることになります。カミさんは「壊れた。」と言っていますが、やはりどこかが疲れているのでしょう。まあ、精神的には問題ないようです。

2006/07/15

歳のせい?

2006年7月15日

歳のせいか固有名詞が出てくるのに時間がかかるようになってきましたが、特に人の名前が出なくなってきました。先日朝、会社近くの駅で降りたとき、前をお昼に食堂でよく見かける資材の課長が歩いていました。通勤時間に会ったのは初めてです。「あ」と思ったものの、その課長の名前が出てきません。毎日のように見かけてはいるものの、一緒に仕事をしたのは10年以上前です。会社までの道、歩きながらずーっと考えていて、会社に入って階段を上がった頃やっと思い出しました。やれやれ、出てきて良かった。

働き盛りで「ぼける」原因の一つに、日頃頭を使っていないことが上げられていました。会社の仕事はルーチンワークが多く、頭を使っているように見えながら、実は反射神経だけで行動していることが、かなりあります。小生の仕事はR&Dでしかも新規事業をやっているので頭を使うことは多いのですが、のめり込んでいくとだんだん言語系がお留守になってくるようです。また広く人と接することはありませんから、人の顔と名前の記憶が元々苦手な小生は、脳のその方面に血がまわらなくなってくるようです。

miyaさんのブログには2つのことを同時にやると脳が活性化するということが書いてありましたが(「あるある大事典II」からの孫引きです)、小生はその他に日本語(プログラミング言語ではなく、と言う意味です)を使うこと、積極的に人の名前を思い出すことも重要なようです。日曜日の「N響アワー」で首席奏者の名前を言ってみよう。

2006/07/13

ついに観念、形態安定ソフトシャツ

2006年7月13日

小生は以前Y体のワイシャツを着ていました。ところがスーツもワイシャツも大きめ(だぶだぶ)が流行になり、Y体は姿を消しA体とB体だけになりました。それで仕方なしにA体のワイシャツを着ていたのですが、「形態安定・ソフトシャツ」が幅を利かせるようになったらJIS規格のワイシャツ自体が姿を消してしまいました。「形態安定・ソフトシャツ」はソフトな仕上げだけでなく、JISのA体に比べると一回り太めになっています。さらに「ゆったりサイズ」になると、もう一回り太くなっています。スーツはまた細めのY体が出てきたのですが、中のワイシャツは相変わらず太めのままです。

少しワイシャツの買いだめをしておいたのですがそれもなくなり、長袖のワイシャツはついに「仕立て」に切り替えました。これも最初は東京駅八重洲口の百貨店のバーゲンでまとめ買いしたため、何とか息をついてますが、今度は半袖のワイシャツが無くなってきました。以前は夏中長袖で通すこともあったのですが、入院が続いて体力も落ちたためすっかり暑さに弱くなってしまい、今年はもう半袖にしています。

最近少し太り気味のため太めのワイシャツでも良いのではないかと思い、ついに「形態安定・ソフトシャツ」を着始めました。袖の付け根あたりがだぼっとして太すぎ、上着を着ると気になるでしょうが、上着無しだと何とかなります。定年まで夏はあと2回、これで何とかなるでしょう。

先日電車で座っていると、女子高校生の一団が駆け込んできました。そして一息ついたところでブラウスを整え始めたのですが、ぴんとさせるのではなく、スカートから少し引っ張り出してわざとだぼっとさせています。小生の頃はたるんだワイシャツ/ブラウスをピンとするように治していたものですが、流行はいろいろ変わるものです。

2006/07/09

「3回目のインターフェロン」総集編

2006年7月9日

目が70%くらい開くようになってきました。人の目は意外と左右アンバランスなので、そろそろちょっと目にはわからなくなります。ただ中身は何も変わっていないのに、「目は治った」と誤解されそうです。最も手術前は右目は外観上全く正常なのに、実用上は全く見えませんでしたので、同じになったと言えばそれまでです。変わったのは目の表情で、手術前は悪い方の目には表情が無く、じっくり見るとちょっと怖かったのですが、今回は目の軸線がやや下を向いてしまったこともあり、少し優しい表情になりました。他の方のブログに中井貴一が歳を取って小生に似てきた(小生が、ではありません)と書きましたが、この右目の方が中井貴一に似ています。

小生のホームページに、「3回目のインターフェロン」の総集編をまとめました。とりあえず、2005年までです。この3回目のインターフェロンはすんなり始まったわけではなく紆余曲折があったのですが、今回はそのあたりもまとめて2003年4月を始まりとしました。このあたり(2004年3月まで)は「2回目と3回目の間」として発表していたものですが、「3回目のインターフェロン」にまとめたことにより、流れがすっきりしてわかりやすくなった、と小生は思っています。

2006/07/08

湿疹!薬疹?

2006年7月8日

昨日朝起きて指が妙に痒いので見たら、湿疹が出来ていました。それと首筋に一つ。湿疹など珍しくありませんが、小生は湿疹が滅多にできたことがなく、前回できたのはおそらく30年くらい前です。最近変わったことと言えば、一昨日の昼から歯の治療のための抗生剤「メイアクト錠」を飲み始めたことくらいです。そこで気になって薬局からもらった解説を見たら、「発疹・かゆみ等の過敏症錠や、気になる症状が現れた時は、、、」。どうやら発疹の副作用がありそうです。しかし会社では何ともなかったので、そのままにしました。来週また出たら、その時は薬を変えてもらいます。

そして会社が終わってから歯医者へ。右側が鈍く痛かったのは、ほとんど10年前に治療した歯の奥の方が炎症を起こしたようで、先週金冠だけはずしたのですが、今回はかなり奧まで削りました。右目の2回目の手術のあと、右のあごの付け根が腫れましたが、歯の影響かもしれません。歯科の先生は、右のあごの動きが少し悪くなっている、と言っていました。「ちょっと心配。」と言っただけで、特にどうこう言う指示は出ませんでしたので、放っておいて良いんでしょう。

抗ウイルス薬のバルトレックスを昨日飲み終わり、眼科用の内服薬は完全に終わりました。ステロイドも7月1日に飲み終わって一週間、どうやら今回は軟着陸に成功したようです。

しかし「ココログ」、昨日からレスポンスがめちゃくちゃ悪いです。

2006/07/04

ステロイドは無事終了?

2006年7月4日

眼科の診察に行ってきました。2週間間が空くと、会社の調整が楽です。このところ目は落ち着いており、先週あたりまでは午後3時過ぎになると右目に引っかかったような痛みがあったのですが、それもなくなりました。ただ右目が右下を向くようになってきたのは気のせいだけではないようで、炎症検査の時に目を正面に向かせるため、やや上を見させられました。よそを向いた目を正面に向ける手術もあるのですが、目を動かす筋肉を切りつめて向きを調整するため、ものすごく痛いそうです。

今日は右目の視野が広くなった感じがしました。広くなったと言っても3m離れて直径1mくらいです。それでもこのくらいだとCの字の板を持って後退する先生も見えるので、先生の動きにもついて行けます。そのため今日の視力は0.08にまで上がりました。
診察では虹彩にレーザーで空けた穴が閉じかかっていることがわかり、次回開け直すことになりました。また痛い目に遭います。その次回は21日です。

視力は良いのですが、増殖膜はわずかながら成長しているようです。ただこれは急成長しない限り、オイルを抜くときに処置することになります。またまたパンダになります。

ステロイドは今1日おきの服用になっていたのですが、7月1日で飲み終わりました。それから3日経っていますが、今のところ何も異常はありません。このまま何もなければ、去年の秋から飲み始めたステロイドがやっと軟着陸できます。

2006/07/02

最近読んだ本

2006年7月2日

「目に負担がかかる!」と言われながらも、相変わらずぼちぼち本を読んでいます。最近読んだ本では、
○渡辺謙著「誰?」:小生が変に解説するより、miyaさんのブログの5月30日の記事を読んでいただいた方が早いと思います。IFNの副作用は個人差がありますが、治療しながらの映画撮影(それも難しい映画)は大変だったろうと思います。
○小松秀樹著「医療崩壊」:元々は慈恵医大青戸病院事件の検察への意見書を一般向けに書き直した本です。航空機事故の場合も、警察の介入が事故原因の追及と再発防止策をとりにくくしている、との意見を聞きましたが、医療も同じです。この本の出版後に出た青戸病院事件の判決でも、この本で指摘してある緊急輸血時の対応不備が、すっぽり抜けています。
○白井のり子著「典子44歳 いま、伝えたい」:映画「典子は今」の、あの典子さんの書かれた本です。前向きな方が、明るい語り口で書かれていますが、壮烈な人生ですね。

その他、「積ん読」になっている本が、
○夏目房之介著「漱石の孫」
○北康利著「白州次郎 占領を背負った男」:本屋であるかどうかを聞いたら、なんと「白州次郎コーナー」が出来ていました。
さっさと読み始めればいいのに、「ダーティペア」の新刊が出たら買ってきたりしています。

昨日、手術以来初めて床屋に行ってきました。目はやっと「目はどうかされましたか?」と周りの人が聞く状態になりました。それまでは、とても聞けないような状態でしたから。鏡を見ていて気がついたのですが、頭がやや右に傾いています。立っているときは右側が見えないのでどうしても右を少し引いた「左半身」になっているのですが、そのまま右に傾いていたようです。少し気をつけて、まっすぐになるようにします。

ひょんなことで免許証を見直したら、更新すなわち写真の撮影は、去年の2月でした。ちょうどIFN真っ最中の時です。今より、髪の毛が後退しているように見えます。まだ髪の毛は、戻るようですね。

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