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2006/04/30

ザウルスからの投稿テスト

2006年4月30日

ザウルスから書き込んでいます。入院に備えての、テストです。長文は無理ですが、まあなんとかなるかな。しかしPHSと言えども、遅い!

2006/04/29

意外な進展=セカンドオピニオン

2006年4月29日

昨日は、眼科の教授診察でした。連休前のせいか、時間が遅れ遅れです。聞いたところ、病棟で具合の悪くなった方がいたとのこと、先生方は掛け持ちですから、大変です。先にS先生に見てもらい、教授診察台の前へ。そこで待っていると、「女の子、今から見ます。暗いところはそれだけで怖がるから、明るいところで見るよ。」との声。見ると今日は外来担当ではないN講師、患者さんはお母さんに抱かれた2歳くらいの女の子。見ていると明るい検査室の方へ行き、お母さんを椅子に座らせ、女の子はお母さんの膝の上。N講師は目の高さを女の子に合わせるため床にしゃがみ込んで、両手にぬいぐるみを持って目の動きを観察中。「この先生、子供好きだ」と思える自然な動きです。体育会系のN講師の、意外な一面を見ました。

黒いカーテンの引かれた教授診察台から「S先生!」との声、教授は患者を呼ぶときとスタッフを呼ぶときとで、声のトーンが違います。S先生すぐに飛んできて検査室のN講師のところへ。声は聞こえませんでしたが、「N先生、来て下さいよ。」「主治医はお前だ。自分で説明しろよ。」という雰囲気です。S先生に連れられて教授診察台へ。教授は診察した後、「これはセカンドオピニオンだな。」と意外な答えです。もっと症例の多い大学病院の意見を聞いてみろということでした。セカンドオピニオンというのは患者から要求するものだと思っていましたが、先生から指示が出ることもあるんですね。

確かにこの桐沢型ぶどう膜炎は非常にまれで、常勤医が9人いるこの病院でも年に2,3人と聞いています。そこで失明率が70%ですから、単純計算すると治る人は2年に1人です。その中で硝子体手術をする人は半分もいないでしょうから、4,5年に1人くらい。桐沢型ぶどう膜炎での硝子体手術は、N講師は「10年前はやらなかった。」と言っていましたから、この病気での硝子体手術の成功例は、この病院では1例あるか無しでしょう。珍しい病気だとどうしてもそうなってしまいます。

小生は教授から追加検査の指示が出て、先に食事を済ませるようにとのことで、病院地下の食堂で食事を済ませます。結局3日連続で病院で昼食を取る羽目になりました。その後フレアーの検査と網膜の反応検査をすませ、かなり長いこと待って、やっとS先生から呼ばれました。漠然とK大かなと思っていたところ、何と新宿にあるT医大でした。紹介状を書いたから、そこに行けとのこと。それも5月1日は不在の先生方が多いので(メーデーか?)、5月2日です。小生も帰ってから調べてみたところ、スタッフは今の病院の倍以上、それもぶどう膜炎の専門家がずらりとそろっています。こんな病院もあるんですね。ちなみにこちらの教授の専門は、白内障です。スケジュールは2日にT医大に行き、6日(土)にS先生に報告をすることになりました。その結果次第では8日(月)に入院です。

外来診察が終わった後N講師を捕まえて担当外の外来診察を入れ、それを小生の自宅にまで連絡してくるS先生も熱心で有り難いですが(携帯電話を放り出してテレビを見ていて、何回も電話をかけさせてしまいました。申し訳ありません<m(_・_)m>。)、教授の権威を振りかざさずにセカンドオピニオンの指示を出す教授も、立派な方です。今回の病気で、小生は周りの人に恵まれているということを、つくづく感じます。

2006/04/27

十中八九手術します

2006年4月27日

やっぱり風雲急を告げていました。N講師にじっくり見てもらった結果、軽い剥離が2カ所、壊死の兆候が1カ所発見されました。その対策ですが、手術を勧められました。2週間前はN講師は現在の段階での手術は勧めていなかったのですが、今回勧めるところを見ると、網膜剥離が放置すれば危険な段階まで来ているのでしょう。逆に言えば、手術にも勝算があってのことと見ました。

手術は思っていたより大がかりです。まず水晶体を取り除き(手術のじゃまになるから)、次に網膜を保護するため眼球に枠(おそらく細いシリコンバンド)をはめます。そして硝子体の濁っている部分を取り除き、代わりにオイルを入れます。このオイルは永久に入れておくのではなく、そのうち抜くそうです。また眼内レンズは、オイルが抜けて視力が回復したことを確認できるまで、入れないそうです。この視力の目安は0.1で、それ以下だと眼内レンズを入れても意味がないとか。N講師は「手術自体はそんなに難しくはないけど、後が大変です。」と言っていましたが、確かに手術が終わってからも大変そうです。「そんなに難しくはない。」と言ってもこれだけのことをやるので、通常の目の手術は1時間半くらいですが、3時間半はかかるそうです。それも局部麻酔!そして手術が終わった後、早ければ翌日にレーザー治療で網膜の剥離部分をふさぎます。

日程は5月1日入院で2日に手術ですが、最終決定は明日の教授診察を待ってからということになります。というのも、桐沢型ぶどう膜炎ではどうしてもリスクが伴い、手術後ウイルスが暴れ出して房水を作る力が弱まり、眼球がしなびてしまうこともあるそうです。こうなると視力はおろか外観にまで影響するので、そちらを警戒すると「手術無し」になる可能性もあります。

小生自身としては、今までの半年間は一進一退であったものの下側の濁りは全く解消しておらず、また数字では0.3が出ても実力にはほど遠いため、ずっとこのままではらちがあかないと思っていました。多少ばくちかもしれませんが、手術をお願いするつもりでいます。五分五分の勝算があれば、御の字です。

2006/04/26

久しぶりの目のエコー検査

2006年4月26日

今日の診察は午後で時間に余裕があったこともあり、目のエコー検査も行いました。すると、目の中心部と網膜とのちょうど間のあたりに、膜が浮いているのが映っていました。これでは見えるわけはなく、また宙に浮いているので網膜には影響はなく、消滅するかどこかに行くのを待っていれば、やがて目は見えるようになるはずです。ただこの宙に浮いている膜は端が網膜に繋がっているように見え、これが問題視されています。端が良く見えないため確定が出来ないのですが、もし繋がっていると目の中の膜の動きによって網膜が引っ張られ、剥離を起こしてしまいます。

そのため今頻繁に病院に通い診察を受けているわけですが、もし網膜剥離が発見された場合でも、具体的に打てる手はありません。網膜の強度が足りず手術に耐えられない上、硝子体が濁っているのでレーザーも打てません。だったら早期発見しても意味ないではないかと言いたいところですが、現在網膜は2/3ほど手が打てているので、最悪の場合生かせるところだけ網膜を生かすことになるのでしょう。

この所の頻繁な診察は、かなりの負担です。小生は「短期集中」も「気長に長期」もどちらも対応できるのですが、「少し集中しながら長期」というのは、全く苦手です。会社としても、特に休暇は、ある時期に集中すれば取れますが、だらだら長期間はなかなか取れません。連休明けはまた少し変わるでしょう。

今日から目薬の「アトロピン」が追加になりました。散瞳剤と調節麻痺剤です。今使っている散瞳剤の「ミドリン」もそのまま。併用してもあまり意味はないと思うのですが、まあ害もないでしょう。

ここまで19:23記

追記です。 S先生から直接自宅に電話があり、明日N講師の臨時診察が入りました。おそらく夕方エコーの結果をN講師に見てもらっての判断だと思います。何やら風雲急を告げてきました。(23:20)

2006/04/24

炎症が目の前面に出てきた

2006年4月24日

この所眼科の診察が頻繁です。今日も行ってきました。
ちょうど目の真ん中の一番じゃまになるところにもやがあるため相変わらず見えませんが、横から入ってくる光は感じるため、やたらまぶしく感じています。これは網膜が生きていることなので、有り難いことです。

今日はフレアーという炎症細胞の検査をしたところ、前回より増えていました。しかも炎症が目の前面に出てきています。ただ前面の炎症は目薬が効く範囲なので、ある意味では眼科の得意分野です。早速目薬の量が増え、ステロイドが1時間おきになりました。また以前入院中に、レーザー治療をすると一時的に炎症は増えるということを聞いたのですが、今回のフレアーの増加はそのせいかもしれません。また秋に発病してずっと寒い時期だけだったのが今回暖かくなり始め、身体の調子事態も変わりつつあるのかもしれません。小生は熱帯仕様で暑くなると身体が活発になる方ですが、この病気は身体が活発になるとそれに増してウイルスも活発になるようなので、こちらのせいもあるかもしれません。

ただこういう状態なのでますます診察が頻繁になり、次の診察は明後日(水曜日)になりました。明日は群馬に出張です。さて、影響が出るかどうか。

2006/04/23

本の立ち読み=硝子体手術

2006年4月23日

「月間ホークス」を買いに隣の駅の本屋に行きましたが、その途中久しぶりにちょっと寄り道をしたため、いろいろ収穫がありました。
まずCD屋によってふらふらとCDを2つ(庄司沙也香のバイオリン協奏曲と、ショスタコービッチの交響曲1番)買い(これは収穫と言うより、散財(^_^;)、次に医学書の沢山置いてある本屋へ。なぜかこの本屋、本格的な(医者用、もしくは医学部の学生用)な医学書が沢山置いてあります。前回心臓病手術の本を買ったのもここです。そこで硝子体手術の本を見つけ、ちょっと立ち読みをしました。

立ち読みの記憶だけですので内容は間違っている可能性がありますが、ぶどう膜炎での硝子体手術も書いてありました。桐沢型ぶどう膜炎も対象になっています。いわく、「薬物投与に頼って手術時機を逃がすと取り返しが付かないことになるので、時期を見てさっさと手術すべし。」(超意訳)。まあ、普通の桐沢型ぶどう膜炎だと硝子体の濁りがひどく網膜はなかなか確認できないそうなので、どこかで思い切った方が良いのでしょう。小生の硝子体は今の見えない状態でも「奇跡」と言われるくらい透明度が高いそうなので、網膜はほぼ全域目視確認が出来ています。そのためじっくり構えることが可能になっているわけですが、このままですむのかどうかは、まだまだわからないところがあります。

さて硝子体の混濁除去手術ですが、一応西眼科のホームページで確認し、「こんなものだろう」と思っていました。しかしぶどう膜炎、特に桐沢型ぶどう膜炎での手術は、もっと大変そうです。まず水晶体は原則撤去で、虹彩も切り開いて手術視野を一杯に確保します。そして硝子体の混濁部を言わば吸引する形で取り除くのですが、桐沢型ぶどう膜炎での混濁部は網膜のすぐ近くにあるので、網膜を傷つけたら一巻の終わり、慎重の上にも慎重にやる必要があるのでしょう。なお手術後虹彩の癒着防止のため、結膜に薬液を注射するという記載もありました。小生は今虹彩が水晶体に癒着してそれをはずす目薬を点眼していますが、はずれないときは眼球直接注射の可能性が出てきました。くわばらくわばら。

また「ステロイドを投与しても混濁が改善しない場合は」という記載があったところを見ると、ステロイドは透明度を増す働きもしているようです。ただ小生は目の活力がない(眼圧が低い)のはステロイドのせいではないかと思っており、ステロイドを止められれば眼圧は上がると思っています。ステロイドを止めるためには炎症がなくなることが大前提ですが、先週聞いたときにも硝子体内に新しい湧出物は出ていないそうで、どうやら炎症事態は収まりつつあるようです。後はじっくり発病後1年の秋まで待って、そこでそれからどうするかを決めることになるのでしょうが、毎週病院に通うのが長期間になると休暇をやりくりするのが結構苦しくなってきています。半休取得の回数制限がなくなり、本当に助かっています。051305

小生のホームページに「インターフェロンに挑戦」の85年から92年までをアップし、次は93年の原稿作成なのですが、先に旅行記の方をアップしてしまいました。目玉は下北半島 にある横浜町の菜の花畑です。ホームページに使わなかった「恐山と菜の花畑」の写真を付けておきます。そろそろ菜の花の季節です。

2006/04/22

東海道新幹線の死亡事故

2006年4月22日

NHKの4月の番組改編で10時のニュースがなくなり、新しく始まった9時のニュース(ニュースウォッチ9)は見ていると不快になるので見なくなり、夜に読書の時間が増えました。入院中に読もうとため込んで置いた本を読み始め、まず「あやつられた龍馬」(祥伝社)を読み上げ、次に「新幹線保線物語」(山海堂)を読みました。
この新幹線保線物語、東京オリンピックの前に突貫工事で作られた東海道新幹線を何とか走れるような状態に維持し、やがてそれを270km/h対応路線に改良し、さらに乗り心地を良くしていく記録で、なかなか読み応えがあります。東海道新幹線は東北新幹線よりも乗り心地が良く、なるほどと思わせる部分がいろいろあります。

ただ気になったのがこの本の所々に出てくる「鉄道事故による乗客の死傷者ゼロ」という表現です。この本で取っている「鉄道事故」の定義がわかりませんが、残念ながら東海道新幹線は1995年に三島駅で鉄道会社(JR東海)責任による乗客の死亡事故を起こしています。ドアに乗客の手を挟んだまま発車し、そのまま引きずって振り落とし、死亡させたものです。(この事故の詳細については、TASK/鉄道安全推進会議=NPOのホームページに詳しく載っています。)ハインリヒの法則ではありませんが、同様の死亡事故寸前の事故は、各地で起こっているようです。そのうちにまとめようと思っているのですが、JRの本州3社は民鉄に比べてドアの安全目視確認が十分ではなく、ドア回路に頼る傾向があるような気がします。保線に携わる方でも、東海道新幹線は「死亡事故1」という記録をはっきりと認識し、自戒にしてもらいたいものです。

2006/04/18

混濁除去手術は、今のところ無理

2006年4月18日

このところ眼科の診察が頻繁です。それだけ危ないところがあるわけですが、ぎりぎりのところで踏みとどまっています。
予約時間から1時間以上経って(いつものことです)、診察室内の待合所に呼ばれました。待っていると、
「南海凡吉さまー。」(ありゃ、今日はN講師が先だ!)
N講師はそのうち聞こうと思っていたことを、先に説明してくれました。

○網膜に、壊死の兆候はない。(ただし3時半の位置に少し気になるところがあるそうで、そこは要観察。)
○硝子体の混濁除去手術というものもあるが、今それをやると、失明はおろか、眼球全体が萎縮して外観まで変わってしまう可能性が高い。
□現在小生の目は房水を作り出す能力が低く(そのために眼圧も低いのですが)、今硝子体混濁除去(たぶん、硝子体を人工のものに交換する手術)をやると、眼球全体がしなびたトマトのようになってしまうそうです。
○ステロイドを飲んでいると炎症は治まるが、身体の抵抗力がなくなるのでウイルスの活動はかえって活発化する。そのため、炎症の度合いを見ながらステロイドは減量する。ただ1年間くらいは薬は続ける。
□ステロイドを飲んでいるとウイルスの活動は活発化するということは、知りませんでした。ステロイドも5mgくらいになると身体も楽で、副作用もあまり気にしなくても良くなるので、少し長く飲んでも良いと思います。
まさに長期戦になります。リファンピシンが登場する前の結核は、療養所にそれこそ年単位の入院が必要でしたが、それを思い出しました。

なおその後のS先生の診察で、瞳孔が硝子体と癒着していることが発見され、目薬のミドリンが追加になりました。これは瞳孔を開く薬なので、皆さんお世話になった方も多いと思います。見えないはずの右目ですが、このミドリンを差すと、なぜかまぶしく感じます。網膜が生きている証拠でしょう。

眼圧の標準値は、7~22(mmHg)です。小生はそれまでが下限ぎりぎりだったのですが、先週は4台にまで落ちました。さすがにこの時は頭を下にすると目が痛かったのですが、これは1日だけでした。今日は5台まで回復しましたが、まだまだ低いです。眼圧が低いときは網膜剥離が疑われるので、診察が頻繁に入っています。今のところ、網膜には異常はないようです。右目の視力は相変わらずありませんが、天体望遠鏡の前に雲がかかっているような状態なので、そのうち晴れると思っています。

2006/04/16

1985年から92年までのまとめ

2006年4月16日

1回目のIFNに関することを少しずつ書きためていましたが、今日1985~1992年を小生のホームページの「インターフェロンに挑戦」にまとめました。1985年にB型肝炎とわかってから、1992年のIFNを打つための紹介状を書いてもらうまでです。本当に書きたかったのは「目から鱗」が相次いだ1993年と1994年なのですが、そこを書くための言わば前振りです。どうぞご笑覧ください。肝心の1993年~1995年は、順次追加していきます。

「3回目のインターフェロン」もけりが付きましたので、そのうちに整理してホームページにまとめます。その時はこのブログのタイトルもかえるつもりですが、「多病息災日記」は少し厚かましいかな?

2006/04/14

もやが移動しただけ?

2006年4月14日

眼科の診察に行ってきました。実は昨日あたりから右目がどんどん見えなくなってきており、もうテレビの画面も全く確認できなくなっています。普通だったら大騒ぎするところですが、明暗はわかることと、右目がまぶしくハレーションが起こった感じがそのままなので、今日の診察まで放っておきました。今まではこのハレーションが起こっているときは良く見えていたのですが、今回は見えません。

視力検査では全く見えず、久々の視力0です。ところが先生が目の中を見てみると普段と変わらないそうで、「悪くなった感じがあります?」と逆に聞かれました。ただ目(硝子体)の中の「もや」が中心部に移動したらしく、それが視力のじゃまをしているようです。そのためある瞬間だけぱっと見えることがあります。今日も今まで見えなかった眼圧検査の目標の緑のLEDが、一瞬見えました。

これはひょっとすると(あくまでも、「ひょっとすると」です)、先日急激に視力が落ち再燃したかと思ったのは、単にもやが移動しただけだったのかもしれません。ただその影響か、あるいは対策として取ったバルトレックスとステロイド増量の影響か、今まで濁りのために打てなかった自分から見て目の右下部(時計で言えば、3時から4時)に今日初めてレーザーが打てました。先生は「一番打ちたいところ(たぶん、5時あたり)にはまだ打てない」と言っていますが、退院後5ヶ月でやっといくらか前進しました。

昨日は頭を下にしたときに目が痛く、眼圧が高いのかと思っていました。ところが逆に眼圧が低い(低すぎる)そうで、長期間の炎症で房水の生産と排出のバランスが壊れているのだろうとのことです。しかし網膜剥離でも眼圧が下がるので、しばらくは網膜剥離に対して要警戒です。小生のように網膜の病気から仮に網膜剥離に至った場合は、元々の網膜が弱くなっているので、起こる寸前かごく初期に手を打たないと、視力は戻らないようです。そのため早期発見が重要で、しばらくは週2回の病院通いです。なお体調は、ステロイドが25mgに減った影響で、非常に良くなっています。5mgでも違うものです。

2006/04/11

肝機能「正常」でも要治療(新聞記事)

2006年4月11日

新聞(朝日新聞、4月11日朝刊)に厚生労働省の肝炎治療標準化の研究班(班長:熊田博光・虎の門病院副院長)の報告として、C型肝炎感染者のうち、肝機能検査が「正常」(この「正常」の範囲もまた各医療現場によりバラバラですが、、)とされた人でも、実際は慢性肝炎が進行し、治療が必要なケーすがることがわかった、との記事がありました。asahi.comの記事もご参照ください。
GPTが40以下でも血小板が15万未満の場合に、45%がすでに治療が必要なほど悪化していたとのことで、新たな治療指針はGPTと血小板の数値を組み合わせて治療の必要性を判断するそうです。

これからは私見です。肝臓専門医の方は血小板の量だけで肝臓の繊維化程度がわかるそうですが、血小板が少なくなるとそれだけIFN治療が困難になってくるので、血小板数を監視項目に入れるのは、良いことだと思います。なお血小板といえば東大の小俣政男先生ですが(新聞にはコメントを寄せていられます)、血小板数と繊維化程度の関連性に触れた本もあります。ご参考まで。

 小俣政男著:「心配なあなたに-C型肝炎」保健同人社 2002年初版

2006/04/10

薬のよく効く身体

2006年4月10日

眼科の診察に行ってきました。先週火曜日(4日)あたりにすごく見えだした感じがあったのですが、週末はだんだんまた元に戻ってきました。目が見えるようになるとものが二重に見え始めるので、わかります。今日の診察では視力は変わらないものの、目全体の透明度は上がっているということです。30mgに増やしたステロイドが効いてきているのか、それとも抗ウイルス剤のバルトレックスが効いているのか、我ながら薬によく反応する身体です。だからなおのこと薬の減らし方が難しいのでしょう。明後日(12日からステロイドが25mgに減り、少し楽になります。20mgを切るとずいぶん楽になるのですが、焦ってはいけません。

先週のN講師の診察では診察は一週間に1回と言われていたのですが、そこは慎重なS先生、次は金曜日に来るように言われました。午後になったのは、目全体の透明度が上がればレーザーを打つつもりなのでしょう。

なおこの書き込み、パソコン内蔵のテレビを見ながら書いています。録画をしているとパソコンは全く使えなくなるのですが、単にテレビを見ているだけなら、「ながら」が可能です。

2006/04/08

副作用の変化

2006年4月8日

現在飲んでいるステロイドの量はプレドニン30mg/日ですが、プレドニン換算で20mg以上になるのは今回の治療では3回目です。さすがに20mg以上になると身体がだるいのですが、今回は今までと少し違うようです。小生のステロイドは入院中の換算60mgの点滴から始まり、去年12月に一旦5mgまで落ちたのですが、悪化して20mgに増えました。そしてこの3月に5mg隔日にまで落ちたのですが、最悪化です。

入院中の大量投与の時は、副作用のステロイドにきびを除き、皮膚や粘膜の炎症が治まり、それどころか粘膜からの分泌も少なくなって、鼻水、耳あかなど全く出なくなりました。またからだが痒いところもなくなり、入院して2週間頭が洗えなかったのですが、全く平気でした。そしてこの「痒くない」状態は今年の3月まで続きました。

3月にステロイドが5mg隔日投与になったとき、頭が痒くなる現象が戻ってきました。そして今回30mgに増量になっても、この痒いのが消えません。やはりかゆみを抑えるためには一旦大量投与し、それから減らさないと抑えられないようです。鼻水、耳あかも同じです。なお今回多少涙目気味になっていますが、これは前回無かったことです。

ステロイドの量が多いと、眠りが浅くなります。寝付きは良いのですが、すぐに目が覚めます。入院中は典型的で、10時に眠るのですが、2時か3時に目が覚めていました。今は眠りが浅いため、良く夢を見ます。幸い肝炎が片付いて心配事が減ったせいか、悪夢はありません。夢がだんだん長編になってきており、昨夜は前日の続編の夢を見て、夢の中で記憶が連続しているのかと感心したら、それも夢だったということに目が覚めてから気がつきました。

2006/04/06

入院準備あれこれ

2006年4月6日

今回は3日に入院するつもりで、準備は万端整えていました。下着、洗面用具、この病院は箸持参なので割り箸、フォーク、スプーン。一応入浴用品。自分のものでは、ディスクマン、CD、衝動買いしてまだ読んでいないハードカバーの本が2冊、新書版が1冊。しかし入院が中止になった今も、ペーパーバッグ2つにまとめて、そのままになっています。なおザウルスもセッティングが完了し、ブログの読み書きが出来るようにしました。

実は前回の緊急入院の前にも、「入院があり得る」ということで準備をしていました。しかし入院が無くなったので荷物を片付けたところ、その4日後に緊急入院になってしまいました。そこで今度は縁起を担ぎ、荷物はそのままにしてあります。

今回入院になると2~3週間の休暇を取ることになるため、常務にまで話を通してありました。今回入院は流れましたが、同じようなことがあったのが2003年8月で、ペグの治験に申し込んだため、この時も常務にまで話を通しました。しかし治験はお流れになり、2004年9月に改めて3回目を始めましたが、著効となりました。常務に話を通してそれが流れると結果がうまくいことが「吉例」になると、非常に有り難いです。

なお2週間も入院すると3kgは痩せるため、最近太り気味72kg超になりましたが、「痩せ代」確保のためにそのままにしていました。しかし入院中止、こちらは何とか片を付けなければいけません。

2006/04/03

入院は中止になりました

2006年4月3日

眼科の検診、それも入院するかどうかを決定する検診に行ってきました。ただ今朝は朝から目が良く見え、それに先週末からあった右目が重く、顔の右半分がしびれたような症状がありません。ひょっとすると、飲み始めた抗ウイルス薬、バルトレックスが効き始めたのかもしれません。視力も0.03くらいまで回復していました。しかし目が見え始めると眼圧検査の目標の緑のLEDが見えるのですが、横の赤いLEDも含め、まだ見えません。

入院するかどうかを決定するため、炎症細胞の検査を行ったあと、N講師の診察を受けました。N講師の診察は、久しぶりです。横に主治医のS先生も立っています。
S先生「網膜上部に気になるとことが、、。」
N講師「うん、ここがレーザーの跡でしょう。だからここの○○が××だから、これは△△だよね。そしてここの○○が気になるところだけど、網膜の色が良いからこれは××だよね。(このあたりの言葉、理解不能)」
N講師は小生の目を顕微鏡で覗きながらの会話ですから、S先生は頭の中に小生の目の様子が入っているわけですね。しかしさすがはN講師、信頼感があります。

そしてそんなこんなで、
1)ウイルスによる炎症は、網膜には来ていないこと。
2)ステロイドの増量と、バルトレックスの効果が出てきていること。
3)入院して抗ウイルス薬を点滴するには、もう一度眼房水を取って(目に直接注射針を刺して採取します)ウイルス検査(ヘルペスの検査は保険が利かず、自費です)をしなければいけないが、そこまでの緊急性はないこと。
により、入院は中止になりました。
ただ入院中止は万々歳ではなく、2回の着陸失敗の後の再着陸の手段をどうするかは、先送りされたことになります。現在30mgのステロイドが5mgに落ちるには4ヶ月くらいかかるでしょうから、夏頃が本格的な勝負になります。

小生の目の状態は、一番良いときには視力検査で0.4をたたき出していますが、実力はとてもそこまではなく、最高の時でもまだ右目は実用には役に立ちません。ただもう少し見えるようになると、右目だけでも何とか部屋の中が歩けたり、食事(目の前に出されたものは)やトイレ(自分の家に限る)が可能になります。つまり今までの最高の状態でも、仮に左目が失明すると常時誰かが付いていなければ生活できなくなりますが、もう少し見えるようになると、一人暮らしは無理でも常時介護の必要はなくなります。右目に可能性がなかったら考えませんが、今回は「うまくいくと」という期待があるので、ついつい欲をかいています。左目の失明については、「あなたはいつも最悪の事態を想定する。よく精神的に耐えられるものだ。」とカミさんは言いますが、これは性格なので、どうしようもありません。

余談です。
病院での待ち時間が長いので、時々漫画を読んでいます。先週古本屋で手に入れた竹宮恵子の「地球(テラ)へ」の文庫本を読んでいたところ、師長さん(婦長さん)が来ました。
「南海さ~~ん、目薬追加します。あら、その本面白い?これ昔はまって読んでいたのよ!」
竹宮恵子氏は少女漫画の出身なので、女性ファンが多いようです。

余談その2。
昨日(2日、日)の雨で桜が散ったかと思ったのですが、今朝まで持ちこたえました。青空をバックに、満開です。0604032a
写真にすると、電線がじゃまになります。朝は満開だったのですが、その後の風で今日は桜吹雪、今日まででしょう。

2006/04/02

13年間の総括(2)

2006年4月2日

明日以降書き込みが途絶える可能性があるので、「卒業文集」の続きを書いておきます。

○続・IFNの功罪
小生は1回目と今回(3回目)の2回、治療終了後ヘルペスが暴れ出し、1回目の顔面神経麻痺は無事完治しましたが、今回の急性網膜壊死はまだ治療中です。この急性網膜壊死、70%は失明する(片目ですが)病気で、意地の悪い方には、「なんだお前は、片目を差し出して著効を得たのか。悪魔と取引したな。」と言われるところです。本当に難病でお悩みの方の中には、悪魔と取引してでも治したいとお思いの方もいらっしゃるでしょうが、小生はそこまでは考えていませんでした。

確かの今回の急性網膜壊死は、最後に背中を押したのはIFNでしょうが(医学的には、根拠はありません)、原因のストレスはIFNの前から始まっています。ずっと没交渉で連絡もすべて姉二人に任せていた、熊本にいる養母(かなり長くなる複雑な事情があります)の具合が悪くなり、右手と右足が不自由な長姉と二人で見舞いに行ったのが2003年11月のこと、親父は死ぬ前に一度も会わなかったので、養母の方は死ぬ前に一度会っておこうという気持ちでした。翌2004年にはいきなり携帯電話に熊本の外科医から電話がかかり、「養母の延命処置をどうするか?」という話です。熊本には身内は誰もいないというものの、仕事中にいきなり聞かれても、これは困ります。しかも小生は養子縁組はしておらず法律的には他人なのに、「ご長男が決めてください」には困りました。その後しばらく落ち着いたかなと思ったもののやはり死んだという知らせ、その後はバタバタと喪主初体験(2004年6月26日)になりました。この時の上司が気配りが無く、喪主をやっているのに養子縁組をしていないと言うだけで弔電の一つもよこさず、熊本では肩身の狭い思いをしました。
そして葬式後にIFN開始、IFN最中の熊本での一周忌まで終わり、今年は3回忌と親父の13回忌が一緒なので盛大にやろうという話が出たところで、身体が拒否反応を示したようです。したがって、もしIFNをやらなくてもやはり急性網膜壊死が出るかあるいは別の病気がでて、熊本に行くことを不可能にするように身体が無意識に反応したと思います。

故に、小生のIFN終了後の急性網膜壊死は、非常に特殊な例です。ただIFNをやる前後にストレスの元を抱えると、ただでさえストレスのかかる治療ですから、良くないと思います。

○ペグは楽か?
従来のIFNと比べると、楽です。ただこれは1回目半年88本、2回目1年半266本の通常のIFNを打った人間(しかもその昔には、カナマイシンを200本以上打っています)の言う台詞ですので、割り引いて考えてください。また自分でも今回のペグレベでは後半のレベトールの副作用の方がきついと感じたのですが、小生は心臓病モードで通常の3/4の量でしたので、こちらも割り引いて考えてください。

○心臓病とIFN
IFN、特にペグレベの治療には、心臓病はどちらかというと禁忌症状に入ります。しかしペグレベが使えないわけではなく、レベにはちゃんと心臓病モードの処方量があり、現に小生は治療を完遂しました。ただ治療中に心臓に出る症状については心臓病にもいろいろあるため、まだきちんと整理されてはいないようです。LVDs(左室収縮末期内径)が40近くなって手術を勧められたのはペグの服用中でしたし、また服用終了後にLVDsが27まで改善したのも、眼科への入院による安静もありますが、レベの影響が無くなったせいではないかと思います。「レベの服用中は、心肥大が一時的に悪化することがある」ということがはっきりすれば、循環器の先生がびっくりすることもなく、患者も安心して(小生のようなショックを受けずに)やり過ごせるのではないかと思います。

○これで安心か?
残念ながら、著効になったからと言って手放しで安心は出来ないようです。肝臓ガンは時限爆弾のようなもので、一旦発ガンスイッチが入ったらもうIFNでも止められないと言われています。そのため、著効後も長期監視が必要になります。ただIFN以降はスイッチが入りませんから、IFNをやらない方の肝臓ガンのように、次から次へと出てくることはないようです。ではどの程度監視しなければいけないかというと、飯野先生の古い本(C型肝炎のインターフェロン療法:1997年初版)には5年と書いてあったものの、新しい本(最強のC型肝炎治療法:2004年初版)では10年となっています。それだけ時間が経ってからのガンが発見されたということでしょうが、小生の場合は10年経てば67歳、肝炎のあるなしにかかわらず肝臓ガンの検査を受けた方が良い年です。つまり肝臓ガンの監視は、一生続くということです。

あとまだいろいろ書きたいこともあるので、しばらくはこのブログのタイトルはそのままで、続けたいと思います。そのうち、タイトルだけ変えます。

2006/04/01

13年間の総括(1)

2006年4月1日

C型肝炎のインターフェロン治療は一応卒業しましたので、卒業文集ではありませんが、今までのことを大雑把にまとめてみようと思います。かなり独断と思いこみが入っていると思いますが、そこは「勝てば官軍」、ご了承下さい。なおインターフェロン自体は皮膚病の治療で使うこともありますし、小生のぶどう膜炎の治療でも第3選択で名前が挙がりましたので、まだご厄介になることがあり得ます。

○IFNをやろうと思ったわけ
小生がC型肝炎とわかったのは1992年の5月です。GPTは70前後で、小柴胡湯で抑えていました。IFNが保険適用になったのはその年で、やっぱり「炎」の付くものは治した方が良かろうという軽い気持ちで、申し込みました。過去に肺結核の治療で、週2回ながら1日2回というカナマイシンの注射を1年以上続けた経験があるので、半年くらいの注射は平気だろうという思いもありました。病気の完治は企てずに折り合いを付けていこうという考え方はそのころの小生にはなく、この考え方を教わったのは1回目のIFN治療の時です。このあたりのことは、そのうち小生のホームページにまとめます。

○そのころのC型肝炎についての情報
全く知りませんでした。IFN治療についてはずっとお世話になっている病院に最初に行ったとき、先生が「この本を読むように」と言って貸してくださったのですが、患者側から見た経験談は全く知ることはできませんでした。
2回目のIFNを決意する前に、1回目の入院で知り合った患者さんからの口コミ情報で「最近のIFNは効くぞ」という話が出、ずっと強ミノだった方もIFNに踏み切られたことも、2回ものIFNを始めた後押しとしてあります。この患者側から見た情報が少ないことから、2回目のIFNの時にnifty(当時はNIFTYSERVE)のフォーラムに「インターフェロンリターンマッチ記」を書き始めました。しかし小生はずっとniftyのフォーラムにいたため、ブログデビューが遅れてしまいました。

○なぜ患者会に入らなかったか
こんなに長くかかるとはそのころ思っていなかったから、というのが本音でしょうか。1回目がうまくいかなかったとき、「これは一生のつきあいになる」と思っていたら、入会していたかもしれません。また2回目を始める頃にはNIFTYのフォーラムを通じて他の難病の方や福祉関係の方と知り合いになれ、患者会の必要を感じなくなっていました。ただ都のC型肝炎の特定医療費が廃止され、また医療費の自己負担が増え、さらには混合診療(もし早く認可されていたら、ペグリバは自費扱いだったでしょう)までが取りざたされる時代になってみると、患者会に入会して圧力団体として行動していた方が良かったかな、という思いも少しあります。患者会がそういう団体かどうかは、入会していないのでわかりませんが。

○病気になって何か変わったか
「病気になったメリット」という言い方は、症状や後遺症が軽いことからの傲慢さが感じられるので、好きではありません。好むと好まざるとに関わらず変わってしまうわけですが、いわゆる「弱者」に目がいくようになったのは2回目のIFNのあたりからです。ただ小生の場合は人よりも施設の方にどうしても目が行き、「駅のバリアフリー度」などを調査することになりました。

○IFNの功罪
功はともかく出たので、書くのは罪についてになります。小生の場合、1回目は都の特定医療費のおかげで只、2回目は治験でこれまた只と、まともに医療費を払ったのは3回目だけです。この点は、かなり恵まれていると思います。会社では、課長になった翌年にC型肝炎が判明し、結局そこから先は出世できませんでした。ただC型肝炎にならなかったら(と言うより、IFNをやらなかったら)出世できたかというと、そこも疑問です。仕事上の差別は受けた記憶がなく、生産系から開発系に移動しましたが、ずっと第一線(それも自分ではんだごてを握るような第一線)にいます。これも恵まれている方かもしれません。日常生活(歯科、床屋、ETC)でも、C型肝炎による差別を受けた記憶はありません。山形に転勤したときも組織のトップで行きましたから、酒を飲まないことでいじめられることはありませんでした。

○IFN治療を推奨するか
します。ただこれからは始めようとする方は、副作用については個人差がありますので、よく調査されてください。

続きはまた書きますが、諸般の事情で少し先になるかもしれません。

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