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2005/12/31

干支交代

2005年12月31日

今年も残すところあと数時間になりました。今年は酉年、来年は戌年です。29日のNHKで北九州市の動物園で行われた干支交代をニュースでやっていましたが、受け渡しはフクロウから何とタヌキへでした。動物園には犬がいなかったので犬科ということでタヌキになったらしいのですが、来年はタヌキ年でもあることに気がつきました。そこでうちのぬいぐる051230ETOHIKITSUGI みで、干支交代を再現しました。

昨夜11時すぎ二男から電話がかかってきて、「明日帰る、3日までいる」とのこと。やはり独身寮を追い出されるようです。しばらくパソコンを置いてある部屋(元々は子供部屋)を明け渡すことになります。
皆様、良いお年を!

2005/12/29

大変な一年?

2005年12月29日

昨日(28日)が仕事納めでした。以前手書きで図面を描いていた頃は、仕事納めの日はドラフターの定規を石けんで洗ったり、画板を家庭用洗剤で拭いたり、それこそ一年の垢ならぬ鉛筆のかすを落としていました。今はノートパソコンの埃をさっさーっと払って終わりです。小生の場合、今年は入院中に書類その他が机の上に山となっており、昨日ほぼ一日かけて整理してやっと机の面が出てきました。だしたゴミが段ボールに一箱半。しかし来年仕事を始めるとき、「書類がない」と言って探すだろうなあ。
終業後は恒例の納会。しかし小生は一昨日調剤薬局で薬の在庫切れを起こしていたため、28日中に薬局に行かなければならず、部長の乾杯だけつきあってあとはパスです。ちなみに現在ステロイドを服用中のため、こちらの方からも飲酒は止められています。

夕食時にカミさんが「大変な一年だったわね」と言っていましたが、確かにいろいろありました。8月にIFNが終わって元気はつらつで、場合によっては一杯やりながら新年を迎えるつもりでしたが、大はずれですね。ただ大変は大変でしたが、泥棒に入られたわけでもなく、火事にあったわけでもなく、経過良好で年を越せますから、副作用が軽かった分病気を一つ拾ってきただけでしょう。

振り返ってみれば、niftyの「すこやか村」が閉鎖になり、ブログを始めてお仲間に入れてもらい、調子に乗ってホームページまで作ったのは今年になってからなんですね。ずいぶん前のような気がします。そういえば、ADSLから光ファイバーに代えたのも今年でした。今年は盛りだくさんすぎたかな。

2005/12/26

通院納め

2005年12月26日

今日が年内最後の通院日です。目の状態はかなり良くなって透明度は上がってきているのですが、今ひとつというところでレーザーを打つのは来年に持ち越しになりました。炎症の度合いはどんどん治まってきているので、網膜の心配はなさそうです。ステロイドが20mgから15mgに減量になりました。
次回の診察は1月4日です。
「先生、4日からもうやっているのですか?」
「そうなんですよ(;_;)」
先生がこう言ったときの顔、まさに↑でした。

余談ですが昨日の全日本フィギュア、結構いろんな方が見ていましたね。会社や薬局、予想もしなかった人が話題にしていて、びっくりしました。

2005/12/25

薬の在庫

2005年12月25日

くるみ割り人形(松山バレエ団)を見に行ってきました。ほぼ一年おきに行っています。日曜日は昼の公演なので、殺人的なラッシュの電車に乗らずにすみます(と、言い訳)。いつもは夫婦別々のコンサートに行っているのですが、今日は珍しく一緒でした。なおカミさんは昨日は熊川哲也氏のK-バレエカンパニーに行ってきているので、くるみ割り人形の連チャンです。

さてそのカミさんが薬置き場を片付けていて一年前の薬を掘り出しました。
○ウルソ100mg×114錠:IFNを始める前に飲んでいたもの
○インダシン25×21個:解熱用の座薬、IFN開始時の退院の時にもらったもの
○リンデロン0.5mg×14錠:ステロイド剤、眼科の緊急入院前に飲んでいたもの

欲しい方がいらっしゃったら差し上げますけど、荷造りして送るほどの量でもないし、年明けにでも「燃えるゴミ」ですね。もたもたしているうちに、ゴミが有料になってしまいました。

2005/12/24

今年の医療費は100万円超

2005年12月24日

3連休を良いことに、身体を休めています。昨日は外に一歩も出ずコタツで読書でした。右目は時々すごく状態が良くなるのですが、散瞳と調節麻痺の目薬を差し続けているので、状態がよいときはハレーションがひどく、細かい字は読む気になりません。読書と言っても写真の多い鉄道雑誌か、漫画です。今日もお昼にちょっと駅前商店街に出かけただけで、後はずっと家の中です。

身体を使わないなら良いだろうと、今年の医療費を整理しました。本当は下半期の業務報告書でも書けばいいのでしょうが、ストレスの原因になりそうで、仕事関係は放棄しています。今年はまだあと1回病院に行きますが、現在の時点で医療費は110万を超えていました。昨年が年間43万だったので、大幅な増加です。やはり3週間の入院が効いているようです。

確定申告の時は添付資料としてエクセルの表を付けて出すことが認められているので、今年も付けて出すつもりです。昔まだ表計算ソフト(どころか、パソコンも)が一般的でなかった頃、表を作ったら必ず上司が縦計横計の検算をやっていました。今はファイルでもらうと集計式を見るだけで、検算まではしません。おかげで検算しない癖がついてしまい、印刷した状態でも検算しないことがよくあります。表計算ソフトは悪意はなくても集計がずれていることがあり、印刷物はきちんと検算しないと危険です。税務署に提出する集計表は印刷物ですが、税務署では真面目に検算するのでしょう。

2005/12/21

ペグ終了4ヶ月後の結果

2005年12月21日

昨日、3ヶ月ぶりに肝臓の検査に行ってきました。ペグ終了後4ヶ月目にあたります。
     GOT=19.0、GPT=17.1
で、心配していた抗ウイルス薬の影響もなく、こちらは順調です。その他ももう4ヶ月経っており、またこちらもステロイドや抗ウイルス薬の影響はなく
     WBC=9.1千、RBC=536万、HB=16.4g
と、順調です。
先生によると「99%治った」とのことですが、正式判定はIFN終了半年後の2月、小生は診察日の関係で3月になります。小生はIFN終了後ずっとGOT/GPTが正常値を維持していますので、次回も正常値でウイルスもマイナスなら完全著効、正常値でウイルスがプラスなら不完全著効となります。先生は著効と決めているようで、次回3月の診察後は診察は半年に1回になるそうです。

余談その1:肝臓の診察が午前中で、午後から来年の打ち合わせがあったので仕方なしに会社に行きました。そしてその後サントリーホールに向かい、IFN終了後すぐに切符を取ったマエストロ・ジャン・フルネのラストコンサート(都響)を聞いてきました。行きは逆方向なので全部座って行け、帰りの電車だけ我慢すれば、座って音楽を聴いているだけ、と言い訳しながら行ってきました。でも帰りの電車は、殺人的です。三連休を安静に務めます。

余談その2:会社の保険屋さんに出す眼科の診断書をもらってきました。ちょっと覗いたところ、「病状好転につき、仮退院中」と書いてありました。看護師さん達の「今度いつ来るの?」は本当でした!

2005/12/18

外に出ない日

2005年12月18日

「安静にしていなさい」という台詞、その昔結核療養所に入院していたときにさんざん聞かされました。まだリファンピシンがやっと治験の頃で、特効薬と言われていたストレプトマイシンを使っても、治す基本は自分の体力でした。結核療養所では午前と午後に2時間ずつの「安静時間」というのがあり、この間はおとなしく寝ていなければならず、この時間は基本的にテレビも読書も禁止でした。強力な効果で、「身体が疲れても、影響はありません。」と本に書いてあるインターフェロンとは、かなり違いがあります。

小生は今「身体を安静に」と言われていますが、帯状ヘルペスには薬があまり効かないので(効いても追っ払うくらいの効果しかないので)、昔の結核の時代を思い出しました。結核の療養は、頭も使わずぼんやりとひなたぼっこをしているのが一番良いと言われましたが、小生も退院後温泉かどこかに行ってのんびりするのが一番良かったのでしょう。次善の策とすると、わくちゃんがやられたような「計画的休日」が一番良さそうですが、もたもたしているうちに年末に入り、休暇が取りにくくなってきました。そこで次々善の策、「外に出ない日」というのを作りました。外に出る用事は昨日(土曜日)のうちにすませておき、今日(日曜日)はこもりっぱなしです。点滴に繋がれていた入院中と違い、横になることはありませんが、狭いアパートの部屋の中なので、運動量はぐっと少なくなるでしょう。

このあとはクリスマスあたりの連休中、そして年末年始の休みで何日か、この「外に出ない日」を作るつもりです。さて、どうなるか。次の眼科診察は26日です。

眼科診察の前に、20日に久しぶりの肝臓の検診があります。前回(9月)の時は順調だったのですが、それからステロイドを初め、いろいろな薬をいやになるほど使っています。もしこれだけ薬を使っても肝機能が正常なら、ウイルスはいなくなっているのではないかとも思えるのですが。若干心配でもあります。

2005/12/16

安静は身体を休めること

2005年12月16日

眼科の診察に行ってきました。透明度は上がっていないものの、炎症の度合いは下がってきています。どうやらゴミが巻き上がって、それが透明度を下げているようです。そのため、どうかした弾みにものすごくよく見えます。11月21日の瞬間風速も、たまたまゴミが下の方に下がったときだったのでしょう。
実は一昨日、拡大鏡を付けて精密部品の半田付けを行ったところ、見える方の左目ではなく見えない方の右目が痛くなりました。

小生「一昨日半田付けをしたら右目が痛くなりました。やっぱり目はあまり使わない方が良いんですか?」
先生「いいえ、目を使うことは、全く関係ありません。」
小生「では安静は身体を休めた方が良いんですね。」
先生「そうです。」
小生「筋トレなんかはだめですね。」
先生「とんでもない!絶対ダメです!」

ちょっと予想外の回答でした。コタツで漫画や、ぬくぬくパソコンが良いんですね。逆に身体を使わないようにとのことですが、最近からだが軽く、階段を駆け上がっても平気になって来ました。やはりおとなしく、エスカレータを使うようにしなければいけません。

2週間前からステロイドが20mgに増量(再増量)になっていますが、血液検査の結果、血糖値が120まで上がっていました。正常範囲ですが、上限ぎりぎりと言うところです。最も空腹時測定ではなく、確か採血の日は診察前にのど飴をなめていたので、あまり値は信用できません。念頭にだけは置いておきます。121601


帰りがけ、病院の玄関ではこんな飾り付けをやっていました。7時頃まで残っていれば、聞けたんでしょうけど。(クリックすれば、大きくなります。多少ぼけていますが。)

2005/12/13

安静について

2005年12月13日

一ヶ月前(正確には一ヶ月と1日前)、眼科医からは「安静にするように」と言われて、退院しました。一ヶ月経っても、この「安静」が計りかねています。まずこの病気は精神性疾患なので、精神的なストレスが一番悪いことはわかっています。これは、極力(極力にしかなりませんが)排除中です。その次は、目の安静と身体の安静と、どっちが優先されるかです。

1)暖かい部屋へこもり、ほとんどすわったっま。その代わりパソコン三昧、ホームページの更新も。
2)暖かい日を選び、外へ散歩。携帯電話など、当然持たず。

さてこの1)と2)、どちらがこの病気に悪いのでしょうか。小生は1)が悪いような気がしていますが(ということは、ブログの更新もあまり良くない?)、通勤時にたまたま座れるとすごく楽に感じるので、2)もあるかな、という気がしています。次の診察は金曜日、今度は午後で時間に余裕があるので、じっくり聞いてきます。

この前の日曜日はコタツにこもり、萩尾望都の「バルバラ異界」の文庫本を読んでいました。結構はまります。良かったのやら悪かったのやら。

2005/12/10

臨時診察とお通夜

2005年12月10日

昨日(9日)は午後の臨時診察でした。ところが午後は会社では技術担当と営業担当の二人の常務を前にした業務報告会、小生はトップバッターです。昨日の報告会から会議開始時に配布し終了時に回収していた印刷資料が廃止になり、プロジェクター一本になりました。役員さん(お年寄りと発音します)にはやはり印刷物が渡っているとは言うものの、業務報告書だけです。関連資料をパワーポイントで作っておき、報告書と資料との間を行ったり来たり、それも「補足しますと」とか「この用語の意味は」で行き来したので、特に追求されることもなく(見事煙に巻いて)、無事時間通りに脱出し定刻に病院に着くことが出来ました。次は使えないだろうな、この手は。

小生の目の状態が一番良かったのは、例の視力0.5を記録した11月21日です。退院して一週間後、会社に出る直前の日ですが、ステロイドを20mgから10mgに減量して一週間後でもあります。そしてその一週間後少し悪くなったときは5mgまで減っていました。悪くなったのが会社に行きだしたせいか、ステロイドの減量が早すぎたのか、わからないところでもあります。多分両方が原因でしょう。昨日の診察では、
網膜の状態:剥離の兆候は見られない→○
硝子体の状態:良くはなっていないが、悪化もしていない→△
と言う状態でした。少し変化を付けるためステロイド目薬の点眼回数が増え、一日8回(2時間おき)になりました。これで目薬3つを一日4回(約4時間おき)、6回(約3時間おき)、8回(約2時間おき)と使い分けることになります。時間割が、めちゃくちゃ大変です。なお左目はゴミが浮いたように見える状態が続いていますが、炎症は何もないので、放ってあります。次の診察日は、来週の金曜日です。

先生「前回(12月5日)と同じくらいですね。それから悪くはなっていません。」
小生「一週間位会社休んじゃえば良いんでしょうけど。」
先生「まあ、そんなに会社も休めないでしょうから。無理しないで、長期戦で行きましょう。」
小生「ステロイドが増えたので、20mgに期待というところですか。」
先生「ステロイドの量が増えたので、また副作用が出ると思います。湿疹が出たら、また皮膚科を受診してください。」
小生より、先生の方が慎重派だというのがおわかりと思います。あまり良くなっていなかったせいでレーザーは打てず、その代わり早く終わったのでお通夜に間に合いました。

多摩川を渡るのは、入院以来初めてです。そして暗くなってから知らないところに行くのも、久しぶりです。ところが右目の治療薬の影響か左目も瞳の動きが遅くなっており、暗いところに行くと全く見えません。曲がり角を一つを間違え、やっと着きました。それでも少し早かったので、案内されるままに控え室に座っていました。しかしまわりは偉そうな人だらけ、そのうち、一番偉そうな一団がやってきて、小生の前に座りました。この人どこかで見たような、、、げっ、学長だ!案内がある少し前、すーっと逃げ出しました。お通夜は神式で、玉串奉奠の手順や、音をさせない柏手の二礼二拍一礼など、すべて前の人の見よう見まねでした。

小生は大学院に行っていないので、在学中に恩師にお世話になったのは1年間だけですが、恩師の専攻は電気機器学、それも直流電動機で、重電メーカーで電動機を設計することになった小生をかわいがってくれ、卒業後もよく研究室に遊びに行っていました。卒業後5年位経った頃、助手の方(今は別の大学に移られ、教授です)を前に大型機と小型機の問題点の差をあーだこーだ言っていたとき、後で聞いていた恩師が、「南海君もいっぱしのことを言うようになったなあ、がっはっは。」と言われたことを思い出します。今もお元気なら、「何だ、南海君もやっといっぱしのことを言うようになったかと思ったら、もう定年かよ、がっはっは。」と言われるでしょうね。
合掌。

2005/12/08

網膜剥離の手術

2005年12月8日

昨日(7日、水)、凡太郎氏の見舞いに行ってきました。網膜剥離の手術は、速いですね。5日(月)の手術は予定より遅れて午後3時からになったそうですが、手術時間は2時間、局部麻酔なのでその日の夕食は部屋に帰って普通に食べたそうです。さすがにその夜は麻酔が切れて痛かった、と言っていましたが。
小生が行ったときにはもう眼帯もなく、もう全く普通にしていました。手術後にレーザーも追加したそうです。さすがに手術した方の目(右目)は良く見えなく、彼は左目も網膜剥離でレーザー処置をしているため中央部の像がゆがみ、パソコンは出来ない、本は読めない、テレビもだめでラジオを聞いて寝ているだけ、と言っていました。同じ片目なのに、小生はメールはやる、本は読む、テレビは見る、凡太郎氏の方が真面目な患者です。
明日(9日、金)「影の主治医」のN講師(小生と、同じです)が診察し、退院日を決めるそうです。ウイルスがいなく単なる外科手術なので、速いですね。

見舞いには行ったものの、小生も翌日会社があるので、早めに帰りました。眼科の病室は同じ9階だけなので、看護師さんとは顔なじみです。帰りにナースセンターの前でO看護師に会い、「Oさん、こんちわ」と挨拶したところ、
「あら、南海さん。スーツ着ていたから全然わかんなかった!」
そうしたらナースセンターの看護師さん達が気づき、
「あらあ、南海さん!」
「すてきな男性がいるから、誰かと思った」
「今度、いつ来るの?」
ちょっと待ってよ!違う意味にとれるじゃない。金曜日に来るけど、泊まりません!(そのつもり)

追記です。
大学時代の恩師が亡くなりました。まだ70代前半だと思います。毎年年賀状に「去年はエジプトに行った」など、旅行のことが書かれており、お元気な様子だったのですが。明日診察の後お通夜に駆けつけるか、それとも土曜日早起きして告別式に行くか、考えています。

2005/12/05

会社に行くとあまり良くない?

2005年12月5日

昨日あたりからあまり調子が良くありませんでした。右目の見え方にはさほど差はないのですが、時々痛みがあります。痛みがあるのは、良い傾向ではありません。おまけに左目の表面になにやらゴミのようなものがあり、目の前をちらちらして、うっとうしいことこの上もありません。
診察に行ったら、案の定炎症がひどくなっていました。会社に行き始めて2週間ですが、この疲れが原因なのか、それともステロイドを割と速く減らしていったので、減らすピッチが速すぎたのか、そのどちらかはわかりません。いつもの主治医の他に影の主治医のN講師にまで見てもらい、ステロイドの量をまた増やすことになりました。5mgから20mgです。おまけに金曜日に特診が入りました。前回はこの特診の時そのまま緊急入院してしまいましたが、今回はそうならないよう、フレックスタイムをうまく活用し、ペースダウンします。主治医は「安静にしていた方が良いんですけど」と言っていましたので、場合によっては週中で休暇です。なお左目のゴミは、特に何でもないそうです。ステロイドの量が変わると、また変わるでしょう。

今日の眼科の診察で小生が視力検査に呼ばれたとき、後で「凡太郎(仮名)さーん」と呼ぶ呼び出しが聞こえました。小生は「同姓同名が世の中には居るもんだ」と思っていましたが、何と本物、小生の知人でした。高校の1年先輩で、ずっとつきあいのある鉄仲間です。向こうも呼び出し表示板で「南海凡吉(仮名)」という名前を見つけ、同じ名前が居るもんだと思っていたようです。彼は網膜剥離で、土曜日に他の病院から回されての緊急入院、今日手術だそうです。執刀は多分おなじみのN講師、うまくいくでしょう。金曜日の特診の時、小生が緊急入院しなかったら、そのまま見舞いに行くつもりです。

2005/12/03

半年に一回の定年者送別会

2005年12月3日

昨日は半年に一回の恒例、定年退職者の送別会でした。今回の対象者は昭和20年の生まれで、人口は一番少ない時期に当たります。小生はまだこういう会にフルにつきあうほどの体力は回復していないので、最初の30分だけいて挨拶だけしてかえりました。今回の送別者に一人「原価の生き字引」と言われる方(女性)がいて、その方にはいろいろお世話になったからです。近年「生き字引」と言われていた方がどんどん退職され、字引の方はLAN状の字引になっていますが、先輩方が持っておられたif~thenのノウハウはなかなか伝わっていないのが実情です。こんなことを言うと、年寄りの繰り言と言われるでしょう。

その退職される原価の生き字引さんに挨拶に行った時のこと、
「あらあ南海さん、ずっと会社休んでいたんだって?」
「そうなんですよ、ウイルスが目に回ってしまって、3週間入院していました。」
「あら、そうしたら○○ちゃんと同じ病気じゃない?そこにいるわよ。」
この○○ちゃんというのが、小生が以前書いた、桐沢型ぶどう膜炎で失明された方です。そこにいると言われても、完治された方ならともかく失明された方で、小生が治療中とは言え快方に向かっている状態では何とも挨拶もしづらく、そのままパスして帰りました。
小生もまだ綱渡りの状態には変わりがないので、無理しないようにして何とか治します。今朝は久しぶりに10時まで寝ていました。

話は変わりますが、年賀状を印刷しました。今年は2種類作り、公式用とうちわ用に分けています。まだぼつぼつと喪中欠礼が届いているので、宛名書き(宛名は手書きすることにしています)は来週からです。

2005/12/01

ホームページを更新しました

2005年12月1日

小生のホームページ「南海凡吉の部屋」に、新しく「桐沢型ぶどう膜炎治療記」というコンテンツを追加しました。入院中はパソコンは持ち込めなかったのですが、ノートに毎日日記を書いており、それを元にまとめました。わくちゃんのブログに治療状況を掲載させていただきましたが、それ以外のこともいろいろ書いています。とりあえずは退院までですが、そのうちまたまとめて追加します。

会社に行き始めて毎日バテバテで、こんなに体力が落ちていたのかと、痛感しています。ステロイドをどんどん減らしており、ステロイドが減ったことも影響しているようです。会社はフレックスタイムが使えるので、週中あたりで早く帰るか、又は遅く出社すると、ずいぶん楽です。明日も遅く出社します。今日も早く寝るようにしよう。

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