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2005/11/28

一旦足踏み

2005年11月28日

今日は退院後2回目の診察、と言うより、仕事に行き始めてから初めての診察です。やっぱりと言うか、今まで順調に濁りも少なくなってきていたのですが、今日は逆転して先週より濁りが多くなっていました。そのため今日はレーザー用に診察時間も午後だったのですが、レーザーを打てる状態ではありませんでした。特にウイルスが暴れ出した気配もないので、単なる体調か、ちょっとした目の状態の違いでしょう。そのため、今日で終わるはずのステロイドと抗ウイルス薬も、一週間延長です。
昨日はお風呂に入ろうと思ったときに、テレビで変なウイルス学者の話があってそれを見てしまい、結局睡眠時間が足りなくなってしまいました。その上今日は診察は午後だったのですが、午前中に拡大鏡を付けての半田付けをやってしまいました。もうちょっとおとなしくしなければいけません。今週は、睡眠時間7時間絶対確保です。

昨日はミューザ川崎に初めて行きました。曲はいわゆる名曲コンサートだったのですが、小学校の校内放送以来(小学校では、放送部でした)というような曲を何曲か、初めてフルに聞きました。
ミューザ川崎コンサートホールは、客席が巻き貝状と言うか、螺旋状になっているのですが、そのため思いがけに所に傾斜があったり段差があったりするので、距離感のわからない片目にはちょっと怖いホールです。

2005/11/26

今日は休養日

2005年11月26日

今日は土曜日なのに会社はやっているのですが、小生はフルタイムで連続2日間仕事に行き、少し疲れたので休養日です。少し風邪気味のようで、市販の薬は飲んで良いと言われているのですが、まずはイソジンからです。まだ喉がちょっとおかしいくらいで痛みまではないので、これで良くなるでしょう。来週は5日間フルですが、月曜日に診察が入っているので、また半日は休みになります。もう12月、11月はほとんどありませんでした。

先週の土曜日、コンサートのチケットを取ってあったのですが、さすがにまだ行く元気はなく、会社で他の人に譲りました。明日(27日)もコンサートがあるのですが、今度は昼間だし、行くつもりにしています。人混みは危ないので、マスクをしてちょっと着込んで行きます。屋内なので、サングラスは止めておきます。

2005/11/23

ぶどう膜炎で失明された方の話

2005年11月23日

会社に同じぶどう膜炎で失明された方がいました。しかも小生のいる建物の、一つ下のフロアにいる女性だそうです。帯状ヘルペスだそうなので、同じ桐沢型でしょう。

その方は原因がわからず眼科の専門医にかかるのが遅れ、大きな病院に行ったときにはすでに視野の一部が暗くなってきていたそうです。視野の一部が暗くなるときはもう網膜剥離が始まっていますので、治療は一刻を争います。大きな病院に行ったら「うちでは出来ない」と言われ、別の病院を紹介されたそうです。そして紹介された病院に入院したものの、3日で失明してしまったそうです。そこではウイルスの検査から始まったそうですが、並行して抗ウイルス薬の投与を始めたかどうかはわかりませんでした。

この方が行かれた最初の病院も、その次の病院も、会社のあるあたりではよく知られた、名の通った大きな病院です。しかし一つめの病院では治療が出来ず、二つめの病院でも処置が後手に回ったようですです。小生はレーザー治療をやっているときに、網膜剥離まで来たら即手術すると言われていましたので、その方も入院したときに即手術をすれば、あるいは失明しなかったかも知れません。

こうやってみると、どこの病院にかかるかによってその結果がかなり変わるようです。小生は今回の大学病院は特に下調べもせず、自宅から近いことと、義母(カミさんの母親)が白内障の手術を受け順調だった、という二つで選んだのですが、偶然に良い病院を選んだようです。やはり幸運だったと言わざるを得ません。

2005/11/21

視力0.5??!

2005年11月21日

今日から会社ですが、その前に病院に行き、眼科の診察です。まず恒例通り視力検査、今日はなぜかよく見えます。右は霧の中に丸いものが見える、という感じなのですが、数値としては視力0.5が出ました。かすんでいる上にカットガラス越しのような見え方なので、実際にはまるで役に立たないのですが、以前は視力検査表など全く見えなかったので、ずいぶん進歩しました。診察の先生の評価は、「劇的ではないが、見えてきている」とのこと、時間はかかりそうですが、時間をかければどんどん良くなるようです。なお左は裸眼で1.5まで見えました。左は遠視(老眼とは、言わなかった)のため、日によって変動するそうです。

よく見えるため網膜の反応検査までやり、折角だからと言うので左もじっくり見てもらいました。左には異常はありません。これが何よりです。
ところがいろいろ検査を追加したためどんどん遅くなり、午後1時に会社に着くため駅のエスカレータを急ぎ足で登るという馬鹿なことをして、足が痛くなってしまいました。今度は膝のちょっと上です。まあこのくらいなら、リハビリのうちでしょう。明日はおとなしくします。

2005/11/20

明日から仕事です

2005年11月20日

一週間のんびりしましたが、いよいよ明日から仕事を始めます。本音ではもう一週間くらい温泉にでも行ってゆっくりしたいところですが、そうも言っていられません。体重も65kgまで戻ったし、良いところでしょう。
とは言うものの、来週月曜日はまず眼科の診察に行くので、仕事をするのは半日です。翌火曜日に一日仕事をしたら水曜日は祝日、タイミングとしてはうまいスケジュールになっています。
小生仕事を始めるとなかなかブレーキがかからなくなる方なので、ともかくセーブしなければいけません。外見ではやつれがとれ全く健康体に見えるので、特に要注意です。ステロイドが5mgに減り感染症はあまり気にしなくても良くなったのですが、しばらくはマスクで「病人」を演じます。
右目の視力が回復するにつれ、ハレーションがかかったような映像になり、特にパソコンの画面を見ていると集中力が長続きしません。パソコンの画面と印刷物と、うまく時間配分をしなければいけないようです。

休んでいる間に、季節がすっかり変わってしまいました。明日からコートです。

2005/11/19

不便なこと

2005年11月19日

現在右目の視力は、測定値としては0.05という数字があるものの、右目中心部が見えないため、実質的には片目です。片目が不便なことは想像していたのですが、意外なところで不自由なことに気がつきました。

まず階段、これは想像していた通り、下りが怖いです。駅などのように段毎に黄色い線が引いてあるところや、色違いの滑り止めゴムがついているところはまだ良いのですが、美観優先で同じ色にしてあるところは距離感がわからず、どうにもなりません。特に石造りの白一色が一番だめです。そこに手すりがなかったりすると最悪で、そういう階段は極力避けるようにしています。

距離感がわからないので、人混みが一番の苦手です。柱はかなり大回りして避けていますが、突然出てくる人は、避けようがありません。これは相手がよけてくれることを期待し、そのまま歩いています。

ナイフでリンゴをむくのは、平気でした。予想していなかったのが、歯ブラシに歯磨きを付けるときです。片目でこんなに難しいとは、思っても見ませんでした。またティーカップにお湯を注ぐとき、ティーカップの縁で合わせているつもりでも、お湯の量がばらつきます。まあこんな事で「不便だ」と言っていられるのは余裕が出た証拠です。片方失明されている方はこの不便をずっと忍んでいらっしゃるのですから、頭が下がります。

右の視力が徐々に回復してきているため、最近は左の目の映像に右の「外乱」がかぶさるようになりました。右目は治療のため瞳孔が開きっぱなしのため、明るいとハレーションを起こし、かなり見えづらくなります。これも良くなってくる過程の一時のこと、しばらくは我慢です。

2005/11/18

治療の初動について

2005年11月18日

どんな病気も早期発見、早期治療は重要と言われていますが、小生の桐沢型ぶどう膜炎は早期治療が特に重要で、治療開始の遅れと予後の状態は反比例するとも言われています。小生の場合結果論だけ言えば、初動は10日遅れています。

まず最初の自覚症状、目の奧が長時間炎天下にいたときのように痛くなり、目が真っ赤になたのが9月10日頃でした。ところがこれは自然治癒(もしくはそのまま潜伏)し、9月20日に眼科(自宅近くの開業医)で眼底を見てもらったときには異常はありませんでした。この時会社を休んで休養を取っていればそのまま発病しなかった可能性もあるのですが、「たら、れば」は除外します。
また目が痛みを伴って赤くなったのは9月28日頃で、10月3日にまた眼科に行きました。この時は何かの感染症と診断され、消毒用の目薬をもらっています。この時は「これで良くなるはずだけど」言われていたのですが、どうにも良くなるような気配がないので、10月7日に再度眼科に行っています。
眼科の先生が「これはただごとではない」と思い始めたのはこの10月7日からで、「ぶどう膜炎」と診断され、大学病院への紹介状を書いてくれた上に直接大学病院に電話し、3連休明けの診察予約まで取ってくれました。そして大学病院へ行ったのが10月11日、この時からステロイド剤の服用を開始しています。そのあとステロイド剤を増量したのが10月18日、網膜壊死が発見されて緊急入院となったのが10月21日でした。経過をまとめると、次のようになります。

9月10日頃:右目が長時間炎天下にいたように痛く、赤くなる→市販の目薬(Vロート)で治る
9月20日:自宅近くの眼科にて眼底等の検査、異常なし
9月28日頃:再度右目が赤くなる
10月3日:赤みが消えないので眼科へ→クラビット点眼液とブロナック点眼液
10月7日:赤みが消えないので眼科再訪問→ぶどう膜炎と診断ブロナックを止め、新たにリンデロン点眼液とアトロピン点眼液を追加
10月11日:大学病院へ、ステロイド20mg服用開始
10月18日:ステロイド60mgへ増量
10月21日:網膜壊死発見。緊急入院、抗ウイルス薬とステロイドの点滴開始

理想を言えば、10月11日の時点で入院し抗ウイルス薬の点滴を開始するのがベストだったのでしょう。しかしこの時はまだ網膜の異常は発見されておらず、この時点で網膜壊死の治療を開始することは言わば、「国籍不明機発見」という報告で「全機撃墜せよ」と命令を出すようなものです。漫画の世界ならともかく、現実には不可能な判断でしょう。まして常勤医9名を抱え、年間手術例2000件を誇る規模の病院においても年に2,3例という病気ならなおのことです。そして「週に1回の診察では怖いので、金曜日11:30にまた来て下さい。私はその日は外来の担当ではないけど、病棟抜け出してきますから。」と言われて行ったその日に発見されました。そして即刻治療を開始していますので、小生は外来担当だった講師先生に感謝しこそすれ、10日間の遅れをどうこう言う気は全くありません。なお治療開始が先で原因究明はあとになっており、原因が帯状ヘルペスとわかったのは、治療開始から一週間経った10月27日のことでした。
なおもし左目にウイルスが回った兆候が出たら、症状が出る前に治療を開始する、と先生は断言しています。

なおこれから先の話は又聞きなのではっきりしたことではないのですが、会社に同じような病気で片目失明した人がいるそうです。その人は原因がわからず右往左往しているうちに手遅れになったということですが、十分あり得る話です。
こうやってみると小生は非常に運が良く、最も感謝すべき相手は「ただごとではない」と判断し大学病院に診察予約まで取ってくれた、自宅近くの眼科開業医かも知れません。

2005/11/17

試運転出社

2005年11月17日

仕事に復帰するのは来週からの予定ですが、リハビリをかねて会社に顔を出してきました。小生は以前「駅のバリアフリー度」を継続的に調べ、niftyの「すこやか村」のホームページに公開していましたが、会社の最寄り駅は最悪と言っていいほどバリアフルです。エスカレータやエレベータなど一切なく、階段の段差表示もありません。こういう所をいきなりラッシュに行くのは怖いので、ラッシュが終わった時間帯に、のんびり行きました。会社の方も、建物の耐震診断の結果事務所が古い建物の方に移動したため、エレベータは貨物用しかありません。この建物の3階まで上がるのが、一番疲れました。

会社についてもいきなり仕事が出来るわけではなく、たまった郵便物を整理し、回覧書類を先に回し、やっと机の面が見えたところで昼食。午後は不要なメールを捨て、過去一ヶ月の人事通達に目を通したところで帰りました。病院からザウルスであれこれ連絡していたため、一ヶ月近く放っておいた割には、書類はたまっていませんでした。なお病院では入院後一週間目あたりからベッドの上でPHS経由で通信していましたが、厳密に言うと規則違反です。

やはりデスクワークとは言え自宅にいるのと会社とでは運動量が段違いで、さすがに疲れました。足のももの裏側(後側)が痛くなったのは、歩くスピードが「会社モード」だったせいでしょう。明日からまた休養で、動き出すのは月曜からです。

2005/11/16

病院のはしご

2005年11月16日

強は肝臓でお世話になっている病院の方へ行ってきました。ただし今回は肝臓ではなく、心臓の方です。本当は2週間前に心エコーを撮ることになっていたのですが、別の病院に入院していたため、キャンセルになっています。今回はその説明も兼ねた診察です。小生の僧帽弁逆流はまだ自覚症状がないため、逆流していても不便は感じておらず、今の状態では心臓の手術など出来ないので、思い切り先延ばししました。結局心エコーが来年の1月、診察は2月になりました。そのころは目もいくらか落ち着いているでしょう。

それから眼科でお世話になっている病院へ移動です。循環器が予定より遅くなったため、予約時間ぎりぎりになりました。今日は診察の他に打てればレーザーを追加する予定でしたが、硝子体の透明度は上がってきているものの、レーザーの追加までは至りませんでした。しかし順調に回復してきており、明日からステロイド(プレドニン)は5mgに減量です。

余談ですが、小生が愛用(?)しているリンデロンの目薬は塩野義製薬が製造していますが、ライセンス元はおなじみのシュリング・プラウ社です。錠剤にも同じ塩野義のマークが付いていましたので、「リンデロン」というものはすべてそうかも知れません。

2005/11/15

ぶどう膜炎の原因

2005年11月15日

小生のぶどう膜炎の要因は帯状ヘルペスですが、そのヘルペスをここまで活動させたのは、ストレスだろうと言われています。元々ヘルペスは身体の中にずっといるウイルスで、日頃はおとなしくしています。それが体調の変化などで急に暴れ出します。同じ帯状ヘルペスから起こる帯状疱疹が、疲れから出ると言われているのと同じですね。

小生の場合、ストレスの原因の一つはインターフェロン、もう一つは仕事、山形の子会社から飛び戻されて引っ張り込まれた新規プロジェクトです。しかし小生は、「ストレスは多すぎると良くないが、ストレスが全くない人生は味気ない。」と思っているタイプなので、この2つだけではまだ発病するとは思えません。ストレスの3つめが心臓病、手術を勧められたときはさすがにショックでした。そしてC型肝炎のこともあったので、心臓手術の話は会社にまだしていません。これもストレスに追加です。とどめが、実家の後始末です。これがすべてIFNの最中に来たので、さすがに堪えたようです。人間手が2本あるので重い荷物は2つまでは持てますが、4つはさすがに多すぎたようです。入院中、窓際の明るいベッドにひっくり返って点滴を打ちながらCDを聞いているとき、妙な幸福感があり、「幸せだなあ」と思っていました。よほど疲れていたんでしょう。治療中のお仲間の皆さん、ただでさえIFNという重い荷物を抱えていますので、重い荷物はあと1つにしましょう。

今までを振り返ると、十数年に一度こうやって無理がたたって倒れています。そしてその時は反省しても、また十数年経つと同じ事をやっています。おそらく次もまたやるでしょうが、その時は70歳近く、無理をするだけの元気が残っているかどうかです。

今日自宅近くの、IFNの時にお世話になった内科に相談に行き、胃潰瘍の予防薬(ガスター)を飲み始めることになりました。胃の方はこれで一安心です。また行きつけの眼鏡屋で視力を計ってもらったところ、視力は落ちているものの眼鏡の度数としては変化はなく、見えにくいのは右目の影響で、しばらくは今の眼鏡で我慢して使うしかないと言われました。確かに右も左も結構動いている状態なので、今何かしても無駄になるでしょうね。

今回の3週間+1日の入院費は、自費のウイルス検査料5万円と診断書代3000円を含み、\551,550でした。3割負担は、やっぱり堪えます。心臓の手術のために準備していたお金の半分が無くなりましたが、準備していて助かりました。

2005/11/14

退院後初の外来診察

2005年11月14日

退院後初めての外来診察に行ってきました。退院したその日は電車の横Gに身体がついていっていなかったのですが、やはり病院と自宅とでは運動量がまるで違うようで、今朝は平気でした。退院日は駅のエレベータを初めて使いましたが、今日は階段です。階段の端に付けてある「弱視用段差表示」が、片目には非常に助かります。111402

診察の結果、心配されていた左目には何もなく、予防のため点眼していた左目の目薬も中止になりました。右目も透明度がだんだん増してきており、明日からステロイド(プレドニン)は10mgに減量です。しかし中心部の濁りは相変わらず強く、反応検査では網膜の反応がよくありません。しかし体感的には昨日テレビの文字が初めて見えるなど見えてきており、濁りさえとれれば網膜の反応は良くなると思っています。

午後からは皮膚科の診察です。まだ発疹は残っているものの枯れてきており、明日からステロイドも減量されるので、皮膚科は卒業になりました。飲み薬も一つなくなり、肝臓や腎臓の負担は楽になります。
皮膚科とは先生が副作用の治療依頼を出したこともあって連携がうまくいったのですが、自分で依頼した循環器内科とはうまくいっていません。最初に受診したときから「なんだこいつ」という感じで見られていたのですが、心エコーを撮ったものの、撮っただけで説明が全くありません。場合によっては心臓の手術をここでやろうかとも考えていたのですが、やめにしました。

退院後急に動き始めたので、あちこち筋肉痛が出てきていますが、予想に反して一番痛いのはすねでした。
写真は病院の近くの公園です。

2005/11/13

ただ今投薬中

2005年11月13日

気分一新、デザインを変えてみました。
いつものように、夜中に目が覚めました。すでに明け方、午前5時です。区切られたような四角い天井がまず目に入り、「あれ、退院したはずだったのに、」と、一瞬思ってしまいましたが、足まで覆った布団の感覚で、自宅であ111002
ることがわかりました。ベッドの横の壁紙を、カーテンと勘違いしていたようです。
入院するといつもは一日8時間くらいは寝ているのに、今回は一日4,5時間しか寝ていません。昼寝もせず、自分でも不思議なくらい睡眠時間の短い入院生活でした。いつもの慢性病センターと違い今回は臨戦態勢の病院です。夜中にストレッチャーでの入室はある、警報音は鳴り響く、スタッフは走り回るで、一度夜中(たいてい、1時か2時)に目が覚めると朝まで寝られません。今朝のように、5時まで熟睡したのは久しぶりでした。なおそれからまた寝て、起きたのは9時でした。

昨日リンクを張った「桐沢型ぶどう膜炎(急性網膜壊死)」の解説には30%~80%は両眼性と書いてありましたが、入院していた病院の見解は、「両眼性の報告例はある」「両眼性の可能性は0ではない」と言う認識で、発生確率のとらえ方に差があります。どちらにしろ治療は点滴また内服で全身に対する治療ですから、左右関係無しに治療していることになります。

入院中、退院間際まで薬は点滴主体だったのですが、今は内服です。これだけの薬を飲んでいます。
朝:バルトレックス(抗ウイルス薬)×1、プレドニン(ステロイド)×3、バイスピリン×1、セルベックス(胃薬)×1
昼:プレドニン×1、セルベックス×1
夕:バルトレックス×1、イトリゾール(抗黴剤)×2、セルベックス×1
それの目薬が2種類1日6回、あと1種類が1日4回で入ります。ぼけたら病気できないね、とカミさんと話しています。「食事のあとの薬」が何年ぶりかで途絶えた、といつかのブログに書きましたが、その状態はほんの一瞬で終わったようです。

写真は、退院の3日前に病室から見た風景です。入院中に、すっかり銀杏が色づいてしまいました。

2005/11/12

無事退院しました

2005年11月12日

先月21日よりぶどう膜炎、それも桐沢型と呼ばれるたちの悪いぶどう膜炎で緊急入院していましたが、本日予定より1日遅れで退院しました。入院期間は、3週間と1日でした。入院中に皆様から寄せられた励まし、応援にずいぶんと力づけられました。御礼申し上げます。またわくちゃんには、重ねて御礼を申し上げます。

昨日左目も少し怪しいというので1日退院がのびたのですが、今朝外来の時に見てくれたS講師の診察の結果、特に左は問題なく、無事退院になりました。しかし両眼に出る場合は少し時間をおいて出るそうなので、少しでも変な兆候があれば、症状が出る前に入院して抗ウイルス薬の点滴を始める、と言っていました。

退院はしたものの、元々69kgだった体重が61kgまで落ちた激やせ状態です。これから一週間かけて徐々に体力を戻さなければなりません。今日電車に4駅乗っただけでも、電車の加速に身体がついていっていないのがわかりました。最初の関門は、14日の外来診察です。それも朝8時半!

入院中の詳しい状況はそのうちにまとめますが、しばらくはのんびりし、徐々に皆様のブログを訪問させていただきます。本日はご挨拶まで。

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