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2005/09/28

体調の変化

2005年9月28日

ペグ+リバが完全に終わって一ヶ月をちょっと過ぎたところです。貧血は一週間で戻りましたが、その他は徐々に回復してきています。この所の変化は、
○夜中にトイレに起きなくなりました。
IFNは利尿作用があるようで、いつもトイレが近くなります。ずっと夜中に1回か2回起きていたので、「そろそろ歳か」と思っていたのですが、IFNが終わって一ヶ月経ったら夜中にトイレに行かなくなりました。今回はさほどトイレに行かないと思っていたのですが、やはり影響があったんですね。
○宴会で疲れなくなりました。
昨日は転勤する男の壮行会。身内ですが、以前は気楽な顔ぶれでも疲れていました。ただ運動不足その他で血の巡りが悪くなっており、同じ姿勢を長時間続けると、てきめん腰痛が起きます。先週末の芸術劇場ではそのあと姉たちに三次会までつきあったので、そのあと大変でした。なお腰痛は最近自力で治せるので、今日はほぼ回復しています。
○髪の毛が少し戻りました。
これが最大のニュースかも知れません。自分で「あれ、戻ってきたかな?」と思い、いつも少なめに評価するカミさんに聞いたところ、「増えてきた」という返事、やはり少しずつ戻ってきているようです。カミさんはそのあと、「でも、時間の問題よ」など余計なことを言いましたが。うるさい!今が大事なんだ。来月あたりは写真に撮ります(^^)v。
体重は現在69Kg、肥満度±0を維持しています。

2005/09/25

ホームページに新しいコンテンツ

2005年9月25日

小生のホームページ「南海凡吉の部屋」に、新しいコンテンツ「インターフェロンに挑戦」を追加しました。85年のB型肝炎発覚から93年の1回目のインターフェロンを経て、97年のIFNリターンマッチに至るまでという、大構想です。後半はパソコン通信に書いた記事など日記的な文章が残っているのですが、前半は記録とメモだけで、文章にしていくのが大仕事になります。とりあえず文章の残っていた96年97年分からアップしました。
今読み返してみると、96年頃同期生(93年に一緒に入院していた仲間)がIFN-βの投与又は再投与を受けて次々完治していたのに、当時は2回目は自費(約400万)だったのであきらめたとか、強ミノ投与寸前まで行ったものの、GPTが下がって様子見をしているうちに治験の話が来て飛びついたとか、結構興味深い話があります。すでにIFNを始められた方にはあまり役に立たないと思いますが、一種の肝炎治療発達史です。

2005/09/24

ブログ検索ツール

2005年9月24日

ココログ内検索ツールというのをを見つけました。(作成者のCurryさん、ありがとうございます)自分のブログ以外では使えるのはココログだけなので、お仲間では対象になる方は少ないですね。特に括弧内など、時々文字化けすることがあるようです。サイドバーの下の方に貼り付けてありますので、試してみてください。

自分のホームページ内のgoogle検索ツールも見つけて試してみましたが、googleのサイトに展開されたものの検索ですので、約3ヶ月以上経った記事でないと検索対象になりません。何か良い検索ツールをご存じの方は、ご教示下さい。

2005/09/20

第一関門突破!

2005年9月20日

IFN終了後一ヶ月の検診に行ってきました。
   GOT=15.4
   GPT=10.8
IFNが終わって肝臓への負担が減ったせいか、IFN中よりかえって数値は良くなっています。なおウイルスは8月のIFN最終日のデータになりますが、マイナスです。

主治医「南海さんは先月で治療終わったんですね。(データを見て)あ、治ったな、こりゃ。次は12月になりますが今日のウイルスの結果知りたいですか?これだけ(GOT,GPTが)低けりゃ、マイナスですが。」
小生「はい、知りたいです。」
主治医「では来月のこの日にボク宛に電話してください。結果だけお知らせします。」

他の値は、WBC=5000、RBC=475万、HB=14.8gと、順調に回復しています。
小生「終わると体調戻るもんですね。」
主治医「そりゃそうだよ。」
小生「ついでに体重も戻り、3kg太ってしまいました。」
主治医「ちょっと塩分が多いね。食べ過ぎだよ。」
小生「はーーい。」(昨日スルメを食べたのが、まずかったかな。)
経過が順調だと、主治医も機嫌が良いです。

今日は朝からの検診だったので、お昼前に会社に着きました。いつものように社員食堂で若手と一緒に食事していると部長登場。
「南海君、ずいぶん機嫌良さそうだけど、検診の結果が良かったのかね。」
いかん、いかん。最終確認は来年の2月なのに、ついついはしゃいでしまいました。
ともかく、第一関門は無事突破です。

2005/09/18

僧帽弁逆流について

2005年9月18日

僧帽弁逆流について、ちょっとまとめます。小生はまだ勉強中で解説できるほどの知識もないので、これは自分のまとめと思ってお読み下さい。

心臓は、設備屋的な言い方をすれば、2連の往復動ポンプです。往復動ポンプですから各ポンプに吸い込み側と吐き出し側と弁が2つずつあり、全体では4つの弁があります。弁の病気としては、「開かない」か「閉じない」かの2つで、組み合わせてしては、心臓全体で弁の病気は8種類あることになります。複数の障害が同時に起こることもあります。小生の病気はその中で、左側の吸い込み側の弁が閉じない、僧帽弁閉鎖不全という病気です。閉じないと言っても弁が全く動かないわけではなく、完全には閉じ切れていない状態で、その程度は年々進行していきます。

吸い込み側の弁が閉じきれないと、ポンプの容積の定量を吸い込みますが、吐き出すときにはその数割しか吐き出されず、残りは吸い込んだ方に逆流します。そのため病名は僧帽弁閉鎖不全ですが、症状として僧帽弁逆流という言い方もします。
逆流が起こると、身体が必要とする血液量が供給されないのですが、心臓はその分をカバーするように大きくなり、必要量を確保しようとします。そのため、僧帽弁逆流はなかなか自覚症状の出てこない病気です。

僧帽弁で起こった逆流を心臓が自分でカバーして必要量を確保するので、それでうまくいきそうですが、言わば現場で勝手にボアアップの改造をするようなもので、必ず動力系(心筋)に無理が来ます。無理して動力系が止まればそれこそ命取りになり、僧帽弁逆流で怖いのは逆流自体ではなく、その無理によって引き起こされる心筋梗塞などの心筋の病気です。アメリカなどでは自覚症状が出る前に手術を勧めるのは、心臓全体に被害が広がる前に対策を打とうという考え方です。

心臓は肝臓などの化学工場と違い所詮ポンプですから、病気(障害)はおおざっぱに分けて動力系(心筋=狭心症や心筋梗塞など)、機械系(弁関係=心臓弁膜症など)、及び制御系(信号伝達=不整脈など)の3つになります。動力系と制御系の病気には内科治療も可能なのですが、機械系の心臓弁膜症の内科治療は弁膜症によって引き起こされる二次的症状の改善にしか使えず、弁膜症本体の治療には外科手術しかありません。今までのような数ヶ月に渡ってGOTやGPTの推移を見る治療ではなく、切った張った(貼った)の一発勝負になります。

さて弁が故障しているわけですから、その修理は局部修理か交換のどちらかになります。心臓の弁も、弁修復か交換かのどちらかになります。幸い僧帽弁は弁修復が可能ですが、破損がひどかったり、あるいは石灰化が進んでいたりすると、弁修復が不可能で弁交換になります。弁交換には生体弁と機械弁の2種類があり(細かく分けるともっとあるようです)、それぞれ一長一短があります。
生体弁は交換すればあとのメンテナンスは不要なのですが耐久性が悪く、約10年で再手術の必要があります。なお心臓の手術は回数を重ねるごとにリスクが大きくなってくるようで、3回目の手術は普通避けます。そのため生体弁の2回目の手術の時には機械弁に切り替えるのが普通のようです。
機械弁は半永久的に持つと言われています。その代わり交換後は一生抗凝血薬(ワーファリンなど)を飲む必要があります。そのため、出血が止まりにくいなどの影響も出てきます。これから出産を考えた女性は再手術を承知の上で生体弁を選択されるのは、この抗凝血薬の影響を考えてのことです。また半永久的と言っても機械部品ですから、数十年にわたる長期使用では故障することもあり、その場合は再交換になります。弁交換手術の場合は手術時期をぎりぎりまで遅らせるのは、この弁の寿命を考えてのことです。

何とかまとまったかな。

2005/09/16

ペグとペガシス

2005年9月16日

ペグイントロンもペガシスも、どちらもペグインターフェロンαであることは知っていたのですが、ペグイントロンがペグインターフェロンα-2b(出典ハチロウさん)、ペガシスがペグインターフェロンα-2a(出典は、miyaさん)であることを初めて知りました。勉強になります。なお、お二方の、どちらも興味深い記事を引用させていただきました。
小生のホームページの2004年で、ペグの話がいろいろ出てきます。現在はペグと言えばペグイントロンのことですが、主治医は「ペグインターフェロン」の意味で使っており、またペグイントロンよりペガシスの方が承認が早かったこともあって、当時はペグ=ペグインターフェロン=ペガシスでした。もしお読みいただく場合は、現在と用語の使い方が異なることをお含み置き下さい。
(今日のブログは、リンク掛けまくりだな)

ペグイントロンAと書いていましたが、正しくはペグイントロンです(ペグのつかないものは、イントロンAですが)。訂正しました。(2005-9-17追記)

2005/09/15

コメント無しで、紹介だけします

2005年9月15日

鉄道好きの仲間のホームページに紹介されていました。「廃線跡を旅する」という、かなりマニアックなホームページですが、このホームページのオーナーさんがあの福知山線の事故で一両目に乗っておられ、事故の前からある程度回復するまでの、詳細な手記を書かれています。かなり重いです。お読みになる方は、それなりの覚悟でお読み下さい。

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小生の方は、この所新規のプロジェクトが動き出したこともあり、毎日スーツ姿で初めての会社を訪問し、初対面の方と会っています。これは結構疲れ、一昨日は久しぶりに会社から帰って横になりました。こういう仕事は自分のエネルギーレベルの低い、IFNを打っている最中には出来なかったですね。IFNが終わるのを待っていたように新しいプロジェクトが動き出したのは、幸運でした。

コメント欄の設定を変え、HTML形式が使えるようにしました。文字の色を変えることも可能になったはずです。

2005/09/13

戻った?戻りすぎ!

2005年9月13日

小生は身長177cmで、標準体重は69kgです。今回のIFNを始める前は体重は約70kgでしたが、終了時には67kgまで落ちていました。さすがに3kgも痩せると、まわりから「痩せたね」と言われていました。ところがIFNが終わって(リバも飲み終わって)3週間、あっという間に戻ってしまいました。それも昨日計ったら70kg!戻りすぎです。減量しなくては。
わくちゃんの所にも書きましたが、食べる量は変わらないどころか、戻ることを見越して減らし気味だったのにこの有様、それだけペグ+リバは胃腸に負担がかかっているようです。今食べるものが何でもおいしいのですが(食欲の秋)、小生あまり心臓に負担を掛けられないのでジョギングなどは出来ず、食べる量を制限するしかありません。まず間食を減らす(止めるとは、言えない)事から始めます。
それと、時々鼻血の混じる鼻水は、ほぼ止まりました。皆さんご期待の髪の毛は、まだまだです。

2005/09/10

手術後の満足感

2005年9月10日

今読んでいる本(「命に値段がつく日」色平哲朗+山岡淳一郎、中央公論新書)に、手術後の満足感の話が出てきます。手術自体はうまくいったとして、総合的な結果についての術後満足度です。手術は名医が行いこれ以上はないくらいうまくいっても、その後の入院中の病室が汚かったり、対応が悪かったりすると満足度は下がります。その中で、やはり手術前に痛み(特に激痛)がある症状ほど、術後の満足度は高いようです。手術後激痛が嘘のように消えていれば、それは満足度は高いと思います。
これから先は小生の考えですが、ガンなどの摘出手術の場合は摘出したところを患者に見せますが、これによって満足度が上がるのではにかと思います。「こんなものがあったんですよ。でも取ってしまったから、もう安心です。」というわけです。
反面、このまま放っておいたら危ないから今のうちに、と言って予防保全的に行う手術は、満足度は低いようです。術前も術後も自覚症状としては何も変わっていないわけですから、頭では理解してもなかなか満足とは行かないと思います。小生がそのうちやらなければ行けない僧帽弁閉塞不全の修復手術など、その代表のような手術ですね。自覚症状はない、摘出するものもない、その上に術後の回復に半年近くかかる手術ですから、頭で納得させるしかない手術でしょう。「自覚症状があったら手術を勧める」と教科書に書かれているのは、このあたりもあるのかも知れません。

C型肝炎のインターフェロン治療も、似たようなものかも知れません。治療中が一番具合が悪く、治療が終われば結果の如何に関わらず体調が良くなるのですから、治療後の満足度は低いでしょうね。

なおはちさんが著効されました。お祝いを申し上げます。おそらく治療の満足度は、ここへ来て急上昇したことと思います。

2005/09/07

病院のはしご

2005年9月7日

台風の被害に遭われた方にお見舞いを申し上げます。
台風14号は天草下島を縦断後島原半島に上陸しましたが、気象庁の定義によるとこの「上陸」というのは本土4島に限るんですね。従って公式発表上は沖縄に上陸しても「上陸」とは言いませんし、九州本土と橋で結ばれていて人口15万人の天草でも、言わば海扱いです。人が住んでいる島に上陸したら「上陸」と認めるべきだと思います。

今日は会社を休み、病院を2軒はしごしてきました。2軒目は行こうと思いながら夏休みにかかり、混むので敬遠していた自宅近くの眼科です。結果は白内障、緑内障、眼底すべて異常なし。中近両用眼鏡と遠近両用眼鏡の使い分けは「適切です。」とほめられました(^^)v。
終わったばかりのインターフェロンの説明をしたところ、「南海さんはペグですか。最近のインターフェロンは良くなりましたね。昔はいろいろあったのですが、最近は皆さん問題なく、中止依頼の手紙を書いたのは一人だけです。」なんだなんだ、この近くにそんなにIFNをやっている人がいるの?まあ、人口の多いところではありますが。瞳孔が開いたまま横殴りの雨の中を帰ったので、結構大変でした。

順序は前後しましたが、本命の循環器内科の検診が今日でした。先生にいろいろ聞き、それから「心疾患の手術適応と至適時期」という本を調べてみたところ、小生の状態は「自覚症状があれば手術」という状態なんですね。IFNが終わって言わば自覚症状が無くなった状態なので、「では心エコーを撮ってみましょう。」と言うことになりました。心臓が肥大し、左室収縮末期系が40mm(教科書では45mm)以上になると自覚症状がなくても手術推奨になるのですが、小生は去年のデータで38mm、多分今年は40mmを超えそうなので部長先生、「心エコーは自分で見てみたいので、私がやります。」と言うことで、次の検査日程が決まりました。最近の心エコーは感度が良くなり、心エコーだけで手術の適否までわかってしまうそうで、次の検査が重要になります。
まあ僧帽弁逆流は非可逆製の進行性疾患なので、ここ数年のうちには必ず手術をしなければならず(死んでも良いからやらない、と言えば話は別)、時間の問題ではあります。

2005/09/05

高校の同窓会名簿

2005年9月5日

昨日の雨はひどかったですが、皆様の所は被害はありませんでしたか?。小生の所は雷がひどく、近くに落ちたらしくてその時スタンバイにしているパソコンが起動してしまいました。通信線は光ファイバにしたので放っておいたのですが、やはり危ないときは電源を抜かないとだめですね。
今朝もまだ所々水が残っていたらしく、朝の横浜線で十日市場の駅では、上から滝のように水が落ちていました。ちょうど電車の8号車の1番ドアのあたりだったのですが、手前の駅で「8号車1番ドアのあたりは滝のように水が落ちており、ずぶ濡れになって会社に行けなくなります。どうぞ他のドアからお降り下さい。」という、ちょっと変なアナウンスをしていました。


久しぶりに、それこそ数十年ぶりに高校の同窓会名簿が送ってきました。個人情報保護法のあおりで名簿の発行を取りやめたところが多く、ひょっとするとこれが最後の発行になるかも知れません。

小生は高校時代の仲間とはほとんど音信不通のため、いろいろびっくりすることが多いです。
「化学部の女親分」と言われていた成績優秀でしっかりした子、今は薬学部の教授。さすが!
新聞部の論客は、ジャーナリスト。やっぱりねえ。
弓道部で一緒だった当時88kgあった巨漢、今は小児科の先生。今も巨漢かな?

教職員では、1年の時担任だった、その年に結核の手術をした理科の先生、クラスの有志(それもかなり多数)が献血(供血?)をしましたが、今もご健在です。

一方で亡くなった方が多いのにもびっくりします。一学年上の弓道部の主将も亡くなりました。実家が通りの向かいで誕生日が一ヶ月違い、それこそ幼稚園から高校まで一緒だった同級生が亡くなったと風の便りでは聞いていたのですが、一昨年のことでした。肝硬変です。彼も同じ医療機関にかかっていたので同じC型肝炎だと思いますが、小生のように偶然発見されることもなく、また進行も小生より早かったようです。その原因と思われる医療機関、旧満州国軍軍医少佐だった先生がやっていた個人病院なのですが、先生はとっくに亡くなり、後継者もなく医院も閉院になって、すべて歴史の彼方です。


古いログを整理していたら、インターフェロンのリターンマッチを始める前の時代の記録が出てきました。強ミノを始める寸前まで行っていたのですね。そのうち整理して発表しますが、96年以降は日記形式のものが残っているものの、パソコン通信を始める前はメモしか残っておらず、メモを肉付けして文章にするのが結構大変です。

2005/09/03

ニッサン・プリンス・ロイヤル

2005年9月3日

天皇陛下の公式乗用リムジン(御料自動車=以下御料車)として使われていたニッサン・プリンス・ロイヤルがついに引退し、次はトヨタ車に変わるという記事が出ていました。
この御料車、ベンツやロールスロイスなど、ずっと「外車」だったのが国産車に切り替わるという発表があったのが、1966年でした。造ったのはトヨタ、日産の2大メーカーではなく、どちらかというと中小メーカーだったプリンス自動車でした。元々プリンス自動車は1952年の皇太子殿下(現在の天皇陛下)の立太子礼を記念して社名をプリンス自動車とし、乗用車を献上したいきさつがあるため、皇室といえばプリンス自動車といった時代もありました。現在のように日本車が世界を席巻するはるか前の時代で、海外ではかなり驚きを持って受け取られたようです。クラッチだけは国産品に良いものがなくアメリカ製を使用したため、アメリカのメディアが「クラッチだけはアメリカ製」と報道していたという新聞記事の記憶がありましたが、今回調べてみたら、使われていたのはGM製のトルコンでした。
この発表に一番悔しがったのは、同じ1966年にトヨタ2000GTで数々の世界記録を作って意気軒昂だったトヨタ自動車のようで、当時実家に送られてきていたトヨタの広報誌「モーターエイジ」には、プリンス・ロイヤルの外板仕上げ(手たたきです)がでこぼこしていて、トヨタ2000GTの仕上げ(同じ手たたき)の方がきれいだ、といった対談記事を載せていました。よっぽど悔しかったのでしょう。
今回トヨタにとっては40年来の念願が叶ったわけです。

こんな話を知識ではなく、リアルタイムに覚えているわけですから、頭が薄くなるのも無理はないかな。

2005/09/01

一週間経って

2005年9月1日

昨日茗荷谷で打ち合わせがあり、帰りにまた部品を買いに秋葉原へ行ってきました。そして今度は店の人から聞いた本屋を探しに、初めて昭和通りの方へ行きました。秋葉原駅の昭和通り側はかつて青果市場があったあたりで、小生は行くのは初めてです。例のつくばエクスプレス(TX)は、秋葉原の昭和通り側、京浜東北線と地下鉄日比谷線の間にあります。TXの駅は地下ですが、入口は地下鉄半蔵門線渋谷駅のハチ公口のように、立派な入口が出来ています。こちらの昔をよく知りませんが、すべてが新しく、すっかり様変わりとなったようです。

ペグ+リバが終わって一週間、回復したものと、まだまだのものとがあります。
回復したもの:元気、やる気、パワー
回復しないもの:頭髪(何でこれが一番に来る!)、時々鼻血の混じる鼻水、突然来るかゆみ。
どうやら粘膜系の方が、回復が遅いようです。

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