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2005/08/06

私にとっての8月6日

2005年8月6日

小生は戦後の生まれですが、親世代はもろに戦争に関わってきました。
親父の背中の左側、ちょうど肩胛骨のあたりには、3cmくらいの弾痕がありました。子供の頃お風呂で聞いた時、親父は戦争中に鉄砲で撃たれた、と言っていました。弾丸が入ったのは身体の正面、左の肋骨の丁度下で、入口の傷は小さいので、もうわからないと言っていました。
親父は旧制中学しか出ていませんが、招集後に幹部候補生の試験を受けて将校になり、戦争中は中国大陸で連隊本部付きの通信将校をやっていました。そのため狙撃兵に狙い撃ちされたものですが、今考えると心臓をねらった弾丸が10cm下にずれたか、たまたま親父が立ち上がろうとしたせいかで、心臓をはずしたもののようです。親父は真っ先に撃たれたため十分な手当を受けられましたが、部隊はそれから敵の猛攻撃を受け、その時の戦闘で命を落とした方がかなりいたそうです。
所属していた部隊は親父の入院中に全滅してしまい、病院を抜け出して汽車で部隊の後を追う親父の写真が残されています。その後親父は「名誉の負傷」ということで内地に送還されましたが、召集解除にはならず、西日本の部隊を転々としていました。
そして昭和20年の7月には広島にいたのですが、7月中に佐賀に転勤になり、そこで終戦を迎えています。

複雑にかみ合った歯車が一つでもずれていると、小生はこの世に存在しなかったのですが、その最後の歯車が昭和20年8月6日でした。
小生は広島には、旅行では訪れた事があるものの、生活では全く縁がありませんでしたが、小生の存在の最後の鍵を握っていたのが、広島でした。

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コメント

「広島」は私にとっても思い出深い場所です。今TVで灯篭流しを見て、涙が出てしまいました。治療が終わったらぜひ広島へと思っています。人生「歯車」の絡み合いかもしれませんね。

うめさん、こんばんは。
INFが終わったら広島へ旅行、良いですね。
「歯車」は、逆にかみ合ってしまった方もおそらくいるはずです。例えば、昭和20年7月に親父の代わりに広島に転勤になった方とか。
自分は生きているのではなく生かされているのだ、という思いを強くします。

歯車のひとつでも違ってくると・・・そうですね。
戦火を潜り抜けた両親から受け継いだ命 生かされていること 役だてていかなくてはと思います。
義父は江田島の海軍兵学校。当時は青年の志だったそうですが、生き残った戦友達とは戦争を悔い社会貢献に励んでおりました。

ねこままさん、こんばんは。
義父様は海軍兵学校ですか!エリートですね。親父は戦後はずっと消防団の活動をやっていました。何か思うところがあったのかも知れません。

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