« 2005年7月 | トップページ | 2005年9月 »

2005/08/30

C型肝炎と僧帽弁逆流

2005年8月30日

肝臓の繊維化の状態はF1(軽度)からF4(肝硬変)までの4段階に分けられます。そしてC型肝炎は進行性疾患で、何もしないで放っておくと、10年で1段階進行します。ただ肝硬変になる前は可逆性で、ウイルスがいなくなるかあるいは活動を抑え込んで肝機能が正常になると、4年で1段階戻ります。(小俣政男著「C型肝炎」保健同人社)
また僧帽弁逆流(僧帽弁閉塞不全)も進行性疾患です。こちらも逆流の段階は4段階に分けられますが、1段上がるのにどのくらいかかるかは、資料を見つけ出していません。しかしいろいろな資料から小生が勝手に計算したところ、どうやら1段上がるのにかかる年数は5年のようです。そして残念ながら、不可逆性です。小生の僧帽弁逆流が見つかったのが1997年でしたのでそれから8年、現在の状態は逆流2度と3度との間くらいではないかと思っていますが、さてどうなるでしょう。従来の基準では、逆流3度以上が手術適応でした。なお何の病気でもそうですが、手術は早いほど予後は良いそうです。

久しぶりに駅の階段を2段ずつ駆け上がりました。(危ないので、よい子はまねをしてはいけません。)ヘモグロビンが復活してきたので駆け上がるのは平気ですが、それから回復するのに時間がかかります。回復に時間がかかるのは、逆流のせいのようです。
その他、舌の先が切れて痛かったのが、土曜日くらいに治まりました。徐々に回復しているようです。

2005/08/27

食事のあとは薬

2005年8月27日

昨日、久しぶりに部品調達のために秋葉原に行きました。秋葉原駅はつくばエキスプレス(TEX)開業のためすっかりきれいになっていましたが、TEXの駅は電気街の反対側で、見ることは出来ませんでした。秋葉原は以前のフィギュアや同人誌の「オタク」主流からまた少し変わったようで、グッズ、ランジェリー、ビデオといったアダルト系の店が数軒、それも表通りにオープンしていました。だんだん部品を買いに行きにくくなります。

リバが終わって3日経ちましたが、未だに食事のあとの反射的に「薬置き場」に手が伸びます。200年10月にウルソを飲み始めて以来、ずっと「食事のあとは薬」の生活が続いており、久しぶりの薬無しの生活ですから、無理はありませんが。なおこれも悪いカミさんは、「どうせすぐ他の成人病が出て、薬飲むようになるわよ。」と言っています。いや、しばらくはがんばる!
階段を上るのが、少し楽になってきました。なまった筋肉を戻すため、筋トレでもやろうか、という気になってきます。今まではそういう気すら起きなかったので、ずいぶん進歩です。

2005/08/25

どう楽になる?

2005年8月25日

昨日リバが終わったところで早速名古屋に出張してきました。まだまだ何も変わらず、熟睡して往復しました。なお東海道新幹線は、愛・地球博へ向かう家族連れで満員でした。会社へのおみやげのお菓子は、愛・地球博パッケージ、「仕事に行ったんだ!」と強調しておきました。

さて、ペグ+リバが終わったところで、どういう風に身体が楽になってくるでしょうか。1回目の時は半年だったのでまだ体力があり、IFNが終わったときは、それこそ鉛入りのベストを脱ぎ捨てたような爽快感がありました。2回目は1年半で終わったときにはかなりばてており、なかなかすんなりとは回復しませんでした。特に胃腸の具合やトイレが近いのはなかなか回復せず、2月に終わって6月に北海道に行きましたが、稚内から宗谷岬に行くバスが限界でした。

今回の一番感じる自覚症状は、階段を上るときに息切れすることです。さてこれがいつ頃良くなるでしょうか?ただし小生はこれはリバのせいだと思っていますが、実は僧帽弁逆流のせいで、リバが終わっても何も変わらないというパターンも考えられます。まあさすがにそこまでは取り越し苦労せず、一週間経ってリバが抜けるのを、期待して待っています。

2005/08/23

今日で完走、ゴールイン

2005年8月23日0823

今日最後のレベトール(右側の写真)を飲み終わり、今日ですべて終了しました。これで本当の完走です。
これから先はどんどん楽になっていくかというと、実はそうとばかりも言えません。ゲリラ掃討のために駐留していた強力な軍隊が撤退を始めるわけですから、今まで押さえつけられていたちんぴらが悪さを始めることがあります。小生は1回目の時、IFN終了後一ヶ月くらいで顔面神経麻痺が起きました。この時はかかりつけの開業医で適切な治療を受けたため後遺症は残りませんでしたが、やはり要注意です。IFN終了後はもう治療が終わって医者に行かない生活になっているため、何か症状が出たら自分で判断し、行動する必要があります。IFN投与中より、余計に身体の状態に気を配らなければいけないかも知れません。

2005/08/20

お化け屋敷

2005年8月20日

この所やたら暑いので、少しは涼しくなるように今日は怖い話です。怖いのが苦手な方は、読まないでください。082001

インターフェロン(特にα)の副作用として、抜け毛がよく知られています。この抜け毛は、IFNが終わると元に戻るといわれています。小生は若い頃は毛が多くて太く、当時はやりのIVYのヘアスタイルなど、やりたくても出来ませんでした。現在最終のペグから3日目、頭髪の具合はおそらく底です。現在は前から見ると上の写真ですが、上から見ると下の写真のように、かなり透けています。 そろそろバーコードリーダーに反応する、と言われるゆえんです。

さて、本題。

シナリオ1:

これでINFが終わるので、髪の毛は元に戻り始める。さすがに若いときのような「ふさふさ」にはならないが髪の毛一本一本が元気になるので、見た目はずいぶん毛が多くなる。082002

シナリオ2:

IFNを止めると元に戻ると行っても、それはあくまでもIFNをしない状態に戻るのであって、髪の毛が元に戻るわけではない。親父はこの年齢では「波平さん」だったので、現在髪の毛がある方が奇跡である。カミさんのとどめの言葉が響く。

「インターフェロンなんて、関係ないわよ。亡くなったお父様に、似てきただけじゃない。」

さあ、どちらでしょう。少しは涼しくなりましたか?

小生のペグの副作用は注射後翌々日までなので、峠は越えました。と書こうと思ったら朝からおなかの調子が悪く、またウエストが細くなりました。現在最終ラップを走行中、なかなか最後まで楽させてもらえないようです。

2005/08/17

ファイナル・ラップ

2005年8月17日

本日ペグの最終注射終了、いよいよファイナルラップです。1年間はさほど長く感じませんでしたが、時間の長さはその人の生きてきた時間の長さに反比例すると言います。1年間は小生にとっては人生の1/56、40才の方の1年は人生の1/40ですから、1年間の体感時間は小生の1.4倍になります。小生が「あまり長く感じない」と言っても、割り引いてみた方が良いかもしれません。なおリバビリンはいつ止めても良いそうですが、「けじめ」として来週の火曜日まで続けることにしました(A型だなあ)。このため、あと一週間は今までと同じ副作用が起こります。気を緩めないようにしよう。

ペグ終了時のデータは、
    GOT=20.7、GPT=17.1、ウイルスは、6月のデータですが、マイナスです。
その他、WBC=2700、RBC=405万、HB=12.6g。
鉄分を減らすためにお茶(タンニン酸含有=鉄分の吸収が悪くなる)ばかり飲んでおり、貧血症状が出て「やりすぎたか?」とも思ったのですが、何とか持ちこたえました。次回検査は判定の出る3ヶ月後でいいということでしたが、リバウンド確認のために来月に入れてもらいました。来月だと良い結果はまだわかりませんが、悪い結果だとわかります。さて、どうなる事やら。
少なくとも向こう十年はこれ以上強力な薬は出てこないそうで(動物実験の段階で失敗したそうです)、インターフェロン自体がこれが最後になるかどうかはわかりませんが、著効を狙うインターフェロンはこれが最後になります。

病院の帰り、「のだめカンタービレ」を探しに入った本屋で、「心疾患の手術適応と至適時期」という本(専門書です)を買ってきました。

目出度さも ちゅうぐらいなり ペグ終了(盗作)

2005/08/15

八景島水族館

2005年8月15日

久しぶりに、八景島水族館に行ってきました。ここの大水槽の中を飛ぶように泳ぐトビエイが好きで、以前横浜市大病院に通っていたときはよく来ていました。

081401 081404

水族館は涼しいかと思っていましたが、人は多く、ともかく暑かったです。

夜は中華街で同期会。いろいろ聞いてみると、小生以外は皆役職定年で一旦会社を退職しているんですね。小生は置いて行かれたのか、それとも一人だけがんばっているのか。どちらにしろ仕事があるだけありがたいです。なお同期の一人は早期退職に応募し、これから国境なき医師団の事務方としてボランティアで仕事をするそうです。

0814b

こちらは単なる宣伝。くも膜下出血で倒れたあと11年ぶりの舞台、どうなる事やら。 

2005/08/12

24時間ホルター心電図

2005年8月12日

今日から夏休み(盆休み)です。昨日は休み前の納会でした。以前は各現場に「板長さん」と呼ばれる人がいて腕をふるい、小生も酒は飲めないのに職人さん達と夜中まで騒いでいました。しかしもう夏休みも短くなり、騒ぐ歳でもないので、納会は途中退席です。

今年もまた夏休みに24時間ホルター心電図を取り付けました。去年は8月16日です。去年はIFNの始まる前だったので、ホルター心電図を付けたまま科学未来館に行っています。今年は疲れも残っているし、この所明け方暑くて目が覚め寝不足なので、まっすぐ帰ってきて昼寝をしました。明日朝自分で取り外し、機械を返しに行かなければなりませんが、受付に返すだけなので今日のように朝一に行く必要はありません。夏休みの楽しみは「朝寝」だったのですが、明日からやっと朝寝が出来ます。

このホルター心電図の機械、何か異常を感じたらボタンを押して記録することになっています。去年はボタンは1回も押さなかったのですが、今年は時々心臓に違和感があるため、すでに2回ボタンを押しています。IFNのカウントダウンが進んでいますが、もう一つのカウントが着々と準備を始めているようです。

2005/08/10

今日から水組

2005年8月10日

昨日は群馬への出張で帰りが遅くなったため、ペグの注射が1日ずれました。最終日もお盆休みの関係で水曜日なので、最後の2回だけ火遁の術から水遁の術へ変更です。
余談ですが、金遁の術というのはお金をばらまいて買収するわけではなく、金属音(武器の音)を出して音のする方に敵の注意を引きつけ、攻撃したり忍び込んだりする技だそうです。

先週「あと2回です」と看護婦さんに言ったところ、「えっ、もう終わりなの!」。顔にははっきり「つまんないの」と書いてありました(^_^;。先生が出てきて、1年(52週)ではなく48週だ、という説明をされていました。
ペグは高い薬なのでぴったりの量を仕入れてもらうため、小生は早め早めに連絡をしていますが、今日は「ペグの在庫がなぜか3箱あるのよ!」という声が聞こえてきました。これはもう、小生の責任ではありません。

本日終了、残すところあと1回。

2005/08/08

ペグは楽か?

2005年8月8日

皆さんがペグの副作用に苦しまれている中、小生はいろんなところで「ペグは楽だ」と言い続けてきました。この気持ちは今でも変わっていませんが、少し解説をしておきます。

小生が比較の対象としているのは、2回目のOPC-18,750MIU×1年半です。インターフェロン(以下IFN)の長期投与は1年を過ぎてからが辛いので、1年未満のペグ48週間は、ついつい「それなら楽だ」と言ってしまいます。
IFNの体感副作用「だるさ」は、よく「鉛入りのベストを着ているようだ」と言いますが、2回目の時が20kgの鉛とすると、今は3kgくらいです。3kgでも初めての方は「重い!」と感じるでしょうが、小生は20kgと比較していますので、「楽!」という表現になります。
そのほか、2回目の時は会社から帰ったら着替えてそのままベッドに倒れ込み、1時間くらい寝ていたのですが、今回はそういうことはありません。本屋に行っても、2回目の頃は棚を5冊分くらい目で追うともう疲れて本が探せなくなっていたのが、今は本屋を3軒ハシゴして本を探しています。下痢に悩まされ、次の駅の「個室」が空いていることを祈りながら電車に乗ることもなくなりました。やはりペグの方が楽です。
ただし、すべてが楽になったわけではなく、2回目までにはなかった副作用も出てきています。貧血もそうですし、全くやる気が出ない倦怠感がそうですが、小生の場合たたけばいくらでもほこりが出る身体ですので、これがすべてペグやリバの副作用かどうか、多少わからないところもあります。

小生の副作用が軽いのは、個人差もあるでしょうが、いろいろな理由で小生のペグやリバの量が少ないことがあると思います。ペグも含めたIFNの体感副作用は量に比例ではなく、ある量を超えたところでがくんとひどくなるようで、その逆にある量以下だと、ぐっと楽になるような感じです。ペグを100μgから80μgに減量したときにそう感じました。
現在小生は体重68kgで、計算するとペグは1.18μg/kg/週、リバは8.82mg/kg/日です。皆さんのこのデータと副作用の程度をバンバンさんの表に書き加えると、副作用がひどくなる敷居値(専門用語です)が見えてくるかも知れません。ペグ+リバの治療ポイントは、量よりもともかく48週間継続することだそうですので、減量も継続するための手段として有効な方法だと思います。

2005/08/06

私にとっての8月6日

2005年8月6日

小生は戦後の生まれですが、親世代はもろに戦争に関わってきました。
親父の背中の左側、ちょうど肩胛骨のあたりには、3cmくらいの弾痕がありました。子供の頃お風呂で聞いた時、親父は戦争中に鉄砲で撃たれた、と言っていました。弾丸が入ったのは身体の正面、左の肋骨の丁度下で、入口の傷は小さいので、もうわからないと言っていました。
親父は旧制中学しか出ていませんが、招集後に幹部候補生の試験を受けて将校になり、戦争中は中国大陸で連隊本部付きの通信将校をやっていました。そのため狙撃兵に狙い撃ちされたものですが、今考えると心臓をねらった弾丸が10cm下にずれたか、たまたま親父が立ち上がろうとしたせいかで、心臓をはずしたもののようです。親父は真っ先に撃たれたため十分な手当を受けられましたが、部隊はそれから敵の猛攻撃を受け、その時の戦闘で命を落とした方がかなりいたそうです。
所属していた部隊は親父の入院中に全滅してしまい、病院を抜け出して汽車で部隊の後を追う親父の写真が残されています。その後親父は「名誉の負傷」ということで内地に送還されましたが、召集解除にはならず、西日本の部隊を転々としていました。
そして昭和20年の7月には広島にいたのですが、7月中に佐賀に転勤になり、そこで終戦を迎えています。

複雑にかみ合った歯車が一つでもずれていると、小生はこの世に存在しなかったのですが、その最後の歯車が昭和20年8月6日でした。
小生は広島には、旅行では訪れた事があるものの、生活では全く縁がありませんでしたが、小生の存在の最後の鍵を握っていたのが、広島でした。

2005/08/04

暑い!

2005年8月4日

昨日も今日も、暑いです。昨日はお昼過ぎに隣の建物に行く用があり、外に出たところ、じりじりと焼けるような暑さでした。小生が「暑い!」と感じるのはたいてい33℃以上なので夕方確認したら、やっぱりそうでした。
今日は昨日で懲りて、一日事務所に籠もりっぱなし。外の気温は同じくらいに上がったようです。

明日の気温はもっと上がるようです。覚悟していましたが、一番暑い季節。しかし明日を乗り切れば土日連休、来週は4日行けば、そのあと盆休みです。そして盆休みが終われば、INFも終わりです。
かんばるぞー。

2005/08/02

心臓ペースメーカーと携帯電話

2005年8月2日

電車の中では、「優先席付近では、携帯電話の電源をお切り下さい。」というアナウンスが流れます。中には「心臓ペースメーカー等医療用機器に悪影響があるため、、、」という解説をするところもあります。小生は、何で心臓のペースメーカーがきちんとシールド出来ないのか、不思議でした。そうしたところ、電子情報通信学会誌の2005年2月号に、「植込型医療機器の電磁干渉」という解説が載っていました。

小生は心臓のペースメーカーは、ある一定のリズムで動くものだとばかり思っていました。ところが1980年以降は、心臓自身が収縮するときの電気信号をセンシングして、心臓が動かないときだけに動作するようになっているんですね。さらに最近のものは、運動により心拍数を変化させるものも出てきています。こういうセンシング機能のある電子機器だとセンシング入力と雑音との区別が付きにくく、どうしても雑音に弱くなるので、外部からの電磁干渉を受けやすくなっているんですね。

皆さん、電車の中の優先席付近では、携帯電話の電源はきちんと切りましょう。

火組ペグ終了。あと2本。今日がレベトールを定量もらう最後の日です。レベトールをもらう日は会計の度に看護婦さんがひっくり返っていましたが、今日で最後です。入院設備のない内科の開業医だと、1回の支払が2万円を超えることは、まれなんでしょうね。

« 2005年7月 | トップページ | 2005年9月 »

フォト
2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

最近のトラックバック

無料ブログはココログ