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2005/07/28

インターフェロン治療を行うわけ

2005年7月27日

ホームページの「2回目と3回目の間」に、2003年分と2004年分を追加しました。2003年4月に山形から横浜に帰ったのですが、ほぼ同時にGOT/GPTが上がり始め、3回目開始前の1年間は、GPTはほとんど3桁の状態でした。今回読み直して気がついたのですが、去年2月にひどい風邪を引き込み1ヶ月以上風邪引きの状態でした。そのため肝臓の数値が一時的に改善し、結果的にインターフェロン開始が2ヶ月近く遅れました。そのため、北海道旅行と義母の葬儀が、インターフェロン前に間に合いました。怪我の功名ならぬ、風邪の功名です。

小生が最初にインターフェロン治療を行った1993年当時はまだINFは多数派ではなく、強ミノの方が主流でした。ただ強ミノの場合は最初は毎日、その後も週3回静脈注射を、それも一生しなければならず、この「一生」というのが引っかかってINFを選択しました。「期間限定のペースダウンは認めるが、その他は全力疾走」という会社(職場)の雰囲気もあります。なお友人は会社内の診療所で強ミノの注射をしているのですが、社内の看護婦さんに確認したところ、「私は出来るんだけど、管理課長が社内で静脈注射やったらだめって言うのよ。」ということでした。

もう一つの選択肢が、治療を行わないことです。仮に肝炎は完治しても、人生ガタガタになって自殺したら元も子もありません。ばりばり仕事して、酒を浴びるほど飲んで、出世して、「太く短く」を主張する人間もまわりにはいました。この話を冗談半分に会社の看護婦さんにしたところ、「でも楽な死に方は出来ないわよ。腹水でおなかがぱんぱんになって、動けなくなって、血を吐いて死ぬのよ。」この看護婦さん、若いときは都心の医大の第一線で働き、医療事故で劇症肝炎になり、やっと生還したという武勇伝の持ち主です。この看護婦さんの言葉が小生にとっての「トラウマ」になり、早め早めの治療に走らせているようです。

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コメント

腹水でパンパンになった人が舅が骨癌で入院した病院の隣のベッドにいました。一週間ぐらいで、就学前とおぼしき男の子と奥さん残して亡くなりました。可哀相でした。

私も自覚症状がないのをいいことに15年以上ほったらかしてきましたが、入院中、原発性で腹水が溜まっている人と、腫瘍がたくさん出来ていて、IFNはできないといわれた方が同室にいらっしゃいました。

そのお二人が、それでもまったく自覚症状がないというのを聞いて、肝臓の病気の恐ろしさを改めて思い知りました。
副作用はつらいけど、それで怖がって治療を躊躇っている人には勇気を出して欲しいですね。

コメントありがとうございます。
>gukkyさん
病院で同室の人が亡くなるのは、一部始終を見てしまうため、かわいそうですね。小生も何回か目にしました。

>kay1さん
本当に、死ぬまで自覚症状がないというのが怖いです。家がすぐ向かいにあった小学校の同級生が、10年ほど前に肝硬変で死んでいます。小生も発見が遅かったら、同じ目に遭っていたはずです。

うちも短期限定の配慮だと思います。48週完結の頃には査定時期も終わってって。。。リストに入らぬようにと気は焦るんですけどね。踏ん張り利かないし。でも肝炎って本当に自覚症状無いのかなぁ。原因が肝炎かどうかわかりませんがC肝発見時も再燃も症状有りました。身体ギブアップ出しましたから。

渡邊さん、こんばんは。
特に技術系は短期限定になりそうですね。お仲間は割と技術系の方が多いような気がします。
自覚症状は出る方もいらっしゃるようですね。ただ症状が出る時期がたまたまものすごく忙しかったりすると、仕事疲れに紛れてわからなくなるようです。今思えば、小生の1回目の時がそうでしたが、2回目以降は全くわかりませんでした。

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