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2005/07/31

「C型肝炎に出会って」

2005年7月31日

今頃になって、パソコンのメモリーを増やしました。256MBでさほどの不便は感じていなかったのですが、この所ホームページビルダーを使うことが多くなり、また作るホームページがどんどん大きくなっているので、たまらず増設です。この大きくなったホームページは、ご覧になる皆様に「重い!」と思われているかも知れません。
メモリーの増設(+512MB)は何の問題もなかったのですが、蓋を閉じるときにねじを誤って電源ユニットの中に落としてしまい、取り出すために電源ユニットを取り外してカバーをこじ開け、冷房無しで作業をしていたため、文字通り大汗をかいてしまいました。

「C型肝炎に出会って」という本を買いました(川口順子著、文芸社)。この本は別件で知り合った方のブログに紹介されていた本ですが、インターネット通販の書評では「元気をもらおうと思って買ったのに、後ろ向きのことばっかり」と酷評されていた本です。町田の小田急の中の久美堂で、町田市在住の作家コーナーというところにあって、衝動買いをしてしまいました。
読んでみて、知識の違いと言うか、意識の違いに驚かされました。この方がC型肝炎の確認されたのは1993年なのですが、「C型肝炎は、有効な治療法や薬もなく、一生治らない病気というのが当時の認識だった。」と書かれているんです。小生が強ミノとの比較の上でインターフェロンを始めた1993年と同じ年にです。小生の認識では、このころはINFに過度の期待が持たれていた時期です。
また2001年から肝友会に行かれているのですが、そこで聞いたINF治療の情報について「中には会社に通いながらINF投与を続けている人もいるそうだ。」と書かれています。小生の通っていた病院では、93年の1回目の時も97年の2回目の時も、会社に通いながらINF治療を行うというのは、言わば常識でした。
C型肝炎についての予備知識のない方がこの本を読んだ場合、C型肝炎についての誤った知識を得る危険があります。また小生は患者会や肝友会と言った組織には一度も顔を出したことはないのですが、もしこういう話が患者会の常識だとすれば、一度行って自分の体験を話してみようか、という気になります。

この方は治療前は自暴自棄になって飲酒を始め、治療中もものすごく後ろ向きで、しかも副作用がひどいため1年の予定を8ヶ月で中断されています。それなのに、完全著効です。やむを得ず治療を中断せざるを得なかった方には朗報でしょうが、小生は「神様も、ずいぶん不公平だ」という印象を持ちました。

2005/07/28

インターフェロン治療を行うわけ

2005年7月27日

ホームページの「2回目と3回目の間」に、2003年分と2004年分を追加しました。2003年4月に山形から横浜に帰ったのですが、ほぼ同時にGOT/GPTが上がり始め、3回目開始前の1年間は、GPTはほとんど3桁の状態でした。今回読み直して気がついたのですが、去年2月にひどい風邪を引き込み1ヶ月以上風邪引きの状態でした。そのため肝臓の数値が一時的に改善し、結果的にインターフェロン開始が2ヶ月近く遅れました。そのため、北海道旅行と義母の葬儀が、インターフェロン前に間に合いました。怪我の功名ならぬ、風邪の功名です。

小生が最初にインターフェロン治療を行った1993年当時はまだINFは多数派ではなく、強ミノの方が主流でした。ただ強ミノの場合は最初は毎日、その後も週3回静脈注射を、それも一生しなければならず、この「一生」というのが引っかかってINFを選択しました。「期間限定のペースダウンは認めるが、その他は全力疾走」という会社(職場)の雰囲気もあります。なお友人は会社内の診療所で強ミノの注射をしているのですが、社内の看護婦さんに確認したところ、「私は出来るんだけど、管理課長が社内で静脈注射やったらだめって言うのよ。」ということでした。

もう一つの選択肢が、治療を行わないことです。仮に肝炎は完治しても、人生ガタガタになって自殺したら元も子もありません。ばりばり仕事して、酒を浴びるほど飲んで、出世して、「太く短く」を主張する人間もまわりにはいました。この話を冗談半分に会社の看護婦さんにしたところ、「でも楽な死に方は出来ないわよ。腹水でおなかがぱんぱんになって、動けなくなって、血を吐いて死ぬのよ。」この看護婦さん、若いときは都心の医大の第一線で働き、医療事故で劇症肝炎になり、やっと生還したという武勇伝の持ち主です。この看護婦さんの言葉が小生にとっての「トラウマ」になり、早め早めの治療に走らせているようです。

2005/07/26

台風から無事脱出

2005年7月26日

今回の台風は関東地方の南側を通過しているものの、雨は山沿いの方が激しいようです。午後6時頃の運休路線は、吾妻線、青梅線の先の方、西武秩父線、箱根登山鉄道。遅れが八高線。高崎の手前にいたので雨は結構激しかったのですが、会議が予想より早く終わり、まわりも「帰れるうちに帰ったら?」という雰囲気だったので、すたこらさっさと湘南新宿ラインの特別快速で帰ってきました。雨は朝から激しく、朝は傘を差しているのに全身びっしょりになり、お中元のタオルをもらって全身拭くはめになりました。
早く帰ってきたおかげで自宅近くの開業医が開いている間に着き、日程を無理にずらす必要もなくなったので水組の予定が火組のままです。(ねこままさん、済みません。)
今日終わって残りは3本ですが、リバビリンの最終日が8月23日なので、やっと残り1ヶ月を切ったところです。2回目の時は週に3回だったのでカウントダウンになったら早かったのですが、今回は週1本なので、カウントダウンになっても結構時間がかかります。あまり早くカウントダウンを始めると、かえってくたびれるようです。

2005/07/24

明日から泊まりの出張です

2005年7月24日

26日(火)の会議に備え、明日から準備のため出張することになりました。久しぶりの泊まり出張です。なお26日の帰りは遅くなるので、次の注射は27日(水曜日)になります。
注射の曜日は来週にまた火曜日に戻そうとも考えたのですが、最後の8月16日が近くの開業医が休みでまた注射が17日にずれるため、今週から終了まで「水組」にすることにしました。「水組」の方はお見かけしませんね。

2005/07/23

言っているそばから

2005年7月23日

わくちゃんのところで(http://wakuchan-2.cocolog-nifty.com/toriaezu/2005/07/204_716a.html)
「INFはどうも後半に胃腸に来ることが多いようです。」などと第三者的なことを書いていましたが、言っているそばから小生にも来ました。
14日(木)、風呂から出て残り少なくなった髪を乾かしているとき、突然腹痛が襲ってきました。あとは下痢と腹痛で、トイレに入ったっきり。脂汗かそれとも個室が暑かったのか、全身汗まみれでタオルを2枚洗濯物行きにしてしまいました。少し治まったあと30分位のつもりで横になったのですが、1時間ほど寝てしまったようです。カミさんが起こしに来てやっと気がつきました。そのあと髪を乾かす続きをやりまた寝ましたが、こういう一過性の下痢は安全弁が吹いたようなものですから、翌日には残りませんね。翌日は食事も通常通り、コンサートも行ってきました。

コンサートはチョン・ミョンフン指揮の東京フィル、ショスタコービッチのバイオリン協奏曲はたっぷり40分はかかる大難曲を樫本大進氏が熱演、ドボルザークの8番ではマエストロ・チョンの手綱さばきを堪能しました。
サントリーホールはいつもは安いRAブロックなのですが、今回は割引チケットだったので奮発してRBブロックでした。ここは貴賓席にもなるところですが、いやあ、良い席です。
東京フィルの主席フルート奏者は見覚えのある顔、どうやら元は新星日響にいた方のようです。ドボルザーク8番の後で拍手を受ける時、マエストロはフルートに「良かったぞ」というようなサインを送っていましたが、3回目位に一人だけ立たせて拍手を受けさせました。なにやら自分の知り合いがほめられたような感じで、うれしくなりました。こういうとき「ブラボー」と声が出せれば良いんでしょうが、なかなか出ません。

2005/07/21

熊田先生の消化器学会での講演ビデオ

2005年7月21日

過去ログを整理していたら、虎の門病院の熊田先生の2003年の日本消化器学会での講演のビデオがありました。
 http://club.carenet.co.jp/Gastroen/ifn/index.asp?SID=

このサイトは医療関係者向けで一般向けではないのですが、特にパスワードは必要ありません。ビデオのダウンロードはできず動画配信なので、ADSL以上(10Mbpsクラス以上)の通信速度が必要でしょう。このサイトは、昨日の時点ではまだ生きていました。

今週は4日しかない上に参加しない行事が多く、おかげで毎日帰りが早く楽です。明日はコンサート(^^)v。

2005/07/19

今日から半袖、上着無し

2005年7月19日

今政府が宣伝している「クールビズ」はだらしなく見える上に、場合によっては「売れない芸能人」に見えるため、ずっとスーツにネクタイを通してきました。しかし昨日梅雨が明けたので、盛夏モードに切り替えです。本当は自衛隊の制服のように上は開襟にするともっと良いのですが、シャツは2種類も持っていないのでネクタイは締めています。しかしただでさえ「鉛入りのベスト」を着ているため、半袖に上着無しはやはり楽です。今日は鞄が軽く感じました。

火組ペグ終了。あと4回、いよいよカウントダウン。

2005/07/18

副作用の変化(続き)

2005年7月18日

小生2回目のインターフェロンの時は、下痢に悩まされました。自宅から駅まで歩いて約10分、そのあと会社まで電車で30分なのですが、途中で2回も3回もトイレに駆け込みました。しかも「大」です。おかげでインターフェロン中は、バスに乗れませんでした。
それに比べると今回のペグ+リバはずっと楽で、朝から途中下車することもありませんし、何でも食べられました。しかし後半になってくると、さすがに「ボディーブロー」が胃に効いてきたようで、ちょっと重いものが食べられなくなりました。豚骨ラーメンも、最初から食べる気が起きません。とは言うものの、飛行機での旅行やコンサートでトイレの心配をしなくて良いのは、楽です。
口内炎が起こるようになったのも、後半です。今はやっと口内炎が治ったと思ったら舌の先が少し切れてしまい、痛いのなんの(;_;)。命には別状はありませんが、ものすごく不快です。カミさんは、「うん、これは見た目以上に痛いんだ。」と言って笑っています。

今日niftyのADSLモデムをNECに送り返しました。送料は自己負担です。

2005/07/16

TEPCOひかり

2005年7月16日

今日光ファイバーが開通しました。以前nifty@TEPCOひかりに申し込んだときは、「光ファイバーの引き込み経路が確保できません」と申し込みをキャンセルされました。今回は制限条件が少ないと言われたt-comから申し込み、やっと開通しました。
工事は1時間くらいで終わりましたが、電柱から線を引き込むという、久しぶりに見た「電話線工事」です。家は集合住宅(しかも賃貸)ですが、1階の端のためエアコンの配管の穴の隙間から光ファイバを通しました。

アクセスしてみて、皆さんのブログを拝見する分には従来のADSLとさほど変わりません。ただ大きなファイルをダウンロードするときは、確実に早いです。小生のホームページで「2回目と3回目の間」はタイトルバックに写真を付けていますが、ADSLの時は一瞬遅れて写真が表示されたものが、光になると時間差がありません。逆にダイヤルアップで見ると、写真が出てくるまでしばらく時間がかかります。光に慣れてホームページを重くしすぎないように気をつけねば。

このTEPCOひかりの工事日程が決まってすぐ、094***という番号から電話がかかってきました。小生は固定電話もナンバーディスプレイにしているので、発信番号がわかります。「珍しい、九州からだ」と思って出たら、何とNTTから光ファイバの売り込みでした。今までエリア外だった小生の自宅周辺にもフレッツ光が可能になったとの売り込みです。すでにTEPCOひかりを申し込んでいたので断りましたが、ナンバーディスプレイを意識して発信番号を094***にしたのなら、これは詐欺です。その後087***とか015***とか、絶対知り合いはいない場所からの着信が続きました。その後はこの手の番号の電話には出ませんが、油断も隙もありません。

2005/07/14

副作用の変化

2005年7月14日

ペグは残りあと5回となりましたが、この1年間に副作用もどんどん変化しています。
まず最初のイントロンAはいわゆるインフルエンザ症状が最も重く、いかにも「インターフェロン」という感じでした。ペグになり、特に80μgに減量してからはずっと楽になりました。
インターフェロンの副作用は鉛入りのベストを着ている感じで、車で言えば重量物を積んで坂道を登る感じです。気合いを入れなければ登れませんが、逆に気合いを入れると登れます。オーバーヒートに気をつけなければいけませんが。
最近はペグよりもおそらくリバビリンによる貧血を強く感じているようで(chokobananaさんのところにも血球系の副作用が強いという講演会の記事がありましたhttp://chokobanan.exblog.jp/)、特に疲労の回復が遅くなりました。疲れているときは、アクセルを踏んでも「スコッ」という感じで馬力が出ません。それどころか、初めから坂道を登る気が起きません。わくちゃんはがんばって起きていらっしゃるようですが(http://wakuchan-2.cocolog-nifty.com/)、小生は疲れているともうどうしようもなく、会議中に居眠りをしてしまいます。しかも腕組みをしたまま、「お前の報告など、ばかばかしくて聞いていられるか」と言わんばかりの態度で寝ています。考課の時に、注意されるかな。
今週はいくらか良く、3階の事務所から現場に降りて電線を探したりしています。先週は、事務所から出る気がしませんでした。
なるべく早めに休み、特に早く寝て、疲れを取るのが肝要のようです。

2005/07/12

治験について

2005年7月12日

小生のインターフェロンの2回目は、治験でした。これは主治医から「治験の枠があるけど、どうしますか?」と持ちかけられたものです。「難治性慢性活動性肝炎に対するインターフェロンの長期投与」の治験でした。実は2003年(一度2004年と書きましたが、記憶違いです)にも急遽「ペグ+リバ」の追加治験があり、これにも申し込みました。しかし申し込んだあと、対象者の条件に「過去に他の治験を行ったことがないこと」という項目があることがわかり、キャンセルになってしまいました。

小生が考える、治験の適応条件は下記の通りです。
1)治験の枠を持っている先生(もしくはその関係者)にかかっていること。
2)その病院に、毎日通えること。→治験の場合は注射だけ他の診療所で打ってもらうという手が使えませんので、特に通常のINFの場合、病院に毎日通うことになります。
3)比較的副作用が軽いこと。→治験の目的はデータ取りですので、中断されると主催者は困ります。小生はINFで熱が出にくく、退院後に解熱剤を使ったのは過去3回のINF中1度しかなく、またINFを打つとGOT,GPTはすぐ下がるので、治験対象に選ばれやすいのかも知れません。

火組、本日も終了。あと5本。

2005/07/10

ホームページに新しいコンテンツを追加しました

2005年7月10日

ホームページに新しいコンテンツ「2回目と3回目の間」を追加し、まず2001年と2002年分をアップしました。「インターフェロンリターンマッチ記」のあとのこの時代は、最初はウイルスとの共存関係が一番うまくいっていた時期で、特に2001年と2002年の山形時代は、しばらくはこのままで行くのでは、との期待(幻想)を持っていた時代です。やがて2003年からウイルスが暴れ始め、3回目のINF治療を決意することになります。この意味も含め、タイトルバックは山形の四季、春夏秋冬にしています。山形時代なので、写真をたっぷり載せました。どうぞご覧下さい。

ビデオ(DVD)「スイングガールズ」を借りてきてみました。この舞台がまさに2001年と2002年にいたところで、最後の演奏会場は工場のすぐ近くです。
余談ですが、「エンジン」のロケ地、特にあの教会は、自宅のすぐ近くという噂を聞き込みました。本当かなあ。

2005/07/07

最近の医療費

2005年7月7日

小生はペグが80μg/週、リバビリンが600mg/日と、体重比で言えば「48kg級」くらいの量です。従って、女性の方の治療費の参考になるのではないかと思います。リバビリンは1錠いくらで費用が変わりますが、ペグは50、100、150μgの3種類しかなく、小生は「100μg級」です。

リバビリンは2週間分ずつもらっており、週に1回行く近所のクリニックの支払は、高い日と安い日があります。
リバビリンをもらう日:1回目\22,500、2回目以降\21,830
ペグだけの日    :1回目\10,840、2回目以降\10,160
これに大病院での検査費が月1回\3,220かかります。締めて6月の医療費は、\68,550でした。これが5週目まであると、また高くなります。平均するとほぼ7万円/月で、このうち約3万円が健康保険組合から高額医療費として還ってきます。自己負担は4万円/月ということですね。

入院費については\75,730でしたが、小生は肝生検もやっておらず入院期間も5日間だったので、あまり参考にはなりません。「初回」だった会社の同僚は、「南海さん、片手(50万)いったでー。」と、青くなっていました。

去年1年間では40万円強で、確定申告(医療費の還付申請)をした結果、5万円ちょっと還ってきました。なお高額医療費として健康保険組合から還ってきた分は収入に合算されますので、医療費控除には関係ありません。

この所ペグの副作用はあまり感じず、口内炎(また出来ました(;_;))や貧血など、リバビリンの副作用を強く感じています。sasadonさんが以前書かれていた(http://wakuchan-2.cocolog-nifty.com/toriaezu/2005/06/167_ae08.html#comments)ように、「リバのボディーブロー」が一番しんどいのかも知れません。

2005/07/05

やっと疲れがとれました

2005年7月5日

土、日と二日間休んだせいか、それとも涼しくなったせいか、やっと疲れがとれました。今は上期の締め(うちの会社は6月末が上期の締めです)と下期の計画などでバタバタしており、少し頭が動くようになり、助かっています。なお疲れがとれた要因が涼しくなったせいだとすると、梅雨明け後の10日間(一番暑いとき!)が一つの山です。

7月3日のkazuさんの記事(http://blog.livedoor.jp/c_kan/tb.cgi/27076895)に、インターフェロンで完全著効後、5年以内に肝臓ガンが発症する事例が少なからず出現してきた、という話がありました。肝臓ガンは「発ガンスイッチ」が入ってしまうと、ガンの原因が無くなっても数年後にガンまで進行してしまうので(島村善行著、「肝臓ガンと肝硬変」)、著効になってもガンが発生することがあるんでしょうね。ペグ+リバのおかげで発ガンスイッチがすでに入っている人でも著効となる例が増えるでしょうから、こういう例はこれから増えるかも知れません。

今日は火曜日、ペグ終了。あと6回。

2005/07/03

自宅近くにお仲間発見

2005年7月3日

小生は大きな病院で検査を受けていますが、ペグの注射は自宅近くの小さなクリニックで行っています。先日(火曜日)注射を打ちに行ったとき、先生が話しかけてきました。
「南海さんは、GOT,GPTは割とすぐに正常化したんですよね。」
「はい、そうです。」(あとで調べてみたら、1ヶ月後には正常化していました。)
「実はうちにもう一人ペグ+リバの患者さんがいるんですが、なかなか正常化しなくて。」
体重は80kg以上ある人でリバは1000mg(12.5mg/kg、お見事!)、ペグもそれなりの量を打っているそうですが、なかなか正常化しないそうです。これ以上突っ込んだことは聞きもしないし先生もしゃべりませんが、自宅近くにお住まいの方、陰ながら応援します。(肩バンバンでもするか(^_^;)

なおその時先生も、「南海さんのリバビリンの量は、少ないですね。」と言いました。やはり小生のリバビリンの量は、心臓に配慮して少なめのようです。

その前の週に看護婦さんが注射を打ちながら、「南海さんは注射のあとが赤くならないのね。」といっていたわけが、やっとわかりました。どうやらその方は注射のあとが赤くなるようです。最も小生の方はエタノールのアレルギーで、採血のあとアルコール綿で押さえていると、そのあとが真っ赤になります。

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