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2005/06/30

渇水お見舞い

2005年6月30日

北九州と四国、瀬戸内地方は記録的な渇水だそうです。お見舞い申し上げます。
小生の二男が生まれた1978年(昭和53年)には北九州にいましたが、この時も記録的な渇水でした。新幹線が折返しの博多で給水できず、途中の広島や岡山で給水したり、博多の喫茶店では水を出さなくなりました。カミさんは東京で5月に出産したのですが、戻ってきても水が心配なのでしばらく東京の実家にいるように指示していたら、7月に小生が東京に転勤になってしまいました。引っ越し荷物の中に「ひしゃく」が入っており、住居となった埼玉での荷下ろしの時に大笑いされた記憶があります。

さて、今週もバテ気味です。毎日昼休みに横になり、15分くらい眠るのを楽しみにしています。貧血のせいもあるでしょうが、急に暑くなり身体がまだ暑さについて行っていないのもあると思います。書き込みなんかやっていないで、早く寝なければ。

2005/06/28

肝臓は順調

2005年6月28日

暑いさなかに月1回の検診に行ってきました。貧血になると暑さにも弱くなるのかと思っていたら、東京の今日の気温は36℃!これじゃ九州生まれの小生でも暑いはずだ。

さて肝臓の方は、
  GOT=18.5
  GPT=14.4
と、きわめて順調です。ウイルスも5月24日の結果ですが、-です。
貧血の方は、
  白血球:   3000(3400)  ()内は基準最低値
  赤血球:   397万(400万)
  ヘモグロビン:12.2g(13g)
と下限値を割り込んだ状態です。しかし割り込んでいるだけで、さほど問題とする値ではないようです。

カルテに前回の循環器内科の検診時のことが書き込んであります。
先生「これ、どうしたの?」
小生「最近3階の事務所まで上がると、息切れするんです。しゃがみ込むほどではないですが。」
先「エレベータ無いの?」
小「貨物用しか。」
先「ヘモグロビン12.2だからねえ。女の人は割と強いんだけど、男は貧血に弱いからねえ。」
特に処置や薬の量の変更はありません。エレベーターがあれば、無理せずに乗れということでしょう。今ほとんどエスカレータを使っていませんが、ペグの終了まで使うようにします。

なお心臓の手術を勧められた話をしたところ、「えーっ」と驚いたあと、「緊急でなくて良いのね。(ペグ+リバは)今順調だから、ここで中断したくないんですよ。」先生も三度目の正直に期待しているようです。なおペグが終了したあと一週間は、何もしない方が良いそうです。
次回の検診は8月16日、ペグの最終日です。注射はあと7回。

2005/06/26

脱毛は遺伝?

2005年6月26日

この所また一段と髪が薄くなってきました。ボディブローのようにあとから効いてくる副作用もありますが、脱毛もその仲間とは知りませんでした。物の本によると、インターフェロンによる脱毛は投与を止めると元に戻るとありますが、これはあくまでも髪の毛が丈夫な人に対する話で、インターフェロンによる脱毛が年齢による脱毛へと、そのままバトンタッチしそうな気配です。
カミさん曰く、
「あら、インターフェロンの副作用じゃないわよ。亡くなったお父様に似てきただけじゃない。」
副作用一覧ではなく、親の写真を見た方が早いかも知れません。

ホームページの「旅行記」に、99年の北海道旅行などを追加しました。お暇な方はどうぞ。

2005/06/23

今週は身体がだるい

2005年6月23日

法事の疲れが残っているのか、今週はどうも身体がだるいです。今日は会社で一日実験室に閉じこもって試作基板を作っていたので、いくらか楽になりました。明日一日何とか乗り切れば、土日は休みです。がんばろ。

だるい原因として考えられるのは、
1)元々小生は実家を飛び出した人間だし、田舎での法事で気を使って精神的に疲れた。
2)この所副作用で貧血気味になっており、そのせい。
3)旅行疲れもあって、心臓の逆流が激しくなった。
4)いつも注射のあとの水、木はあまり体調が良くないが、今回は旅行疲れからペグに引き続いただけ。
5)歳のせい。
と、身に覚えはありすぎるほどあります。何にしろ、行事があったら休養期間を取らないとだめのようです。

2005/06/22

たけしの部屋の翔子さんへ

2005年6月22日

たけしの部屋(http://cgi35.plala.or.jp/~endout/heartbbs6/yybbs.cgi)は心臓病の会議室なので、C型肝炎及びインターフェロンの解説はこちらに続けます。
お母上が現在67才で15年前にC型肝炎とわかったと言うことは、当時52才、1990年ですからやっとC型肝炎という言葉が出始めた頃ですね。それまでは非A非Bと言っていました。そのころはまだインターフェロン治療(以下INFと書きます)はそれほど多くなかったと思いますが、5年後(1995年)には多くの方がINFをされるようになりました。しかしたけしの部屋にも書きましたが、INFには使えない条件もいろいろあります。

「C型肝炎のインターフェロン治療」(飯野四郎著)に書いてある、1997年当時のINF投与の好ましくない条件を挙げると、
1.過去・現在に精神症状がある。
2.過去・現在に神経に障害がある。
3.過去・現在に心臓に障害がある。
4.糖尿病で治療している。
5.自己免疫性疾患がある。
6.年齢が65才以上である。
7.肝臓病が進んでいる。
となっています。しかし小生は心臓病なのにINFを続けていますので、この条件にあてはまったらINFは絶対だめというわけではありません。

小生がお勧めするC型肝炎関係の参考図書をあげておきます。
飯野四郎著「最強のC型肝炎治療法」講談社
熊田博光著「C型肝炎は治る、防げる」廣済堂出版
島村善行著「肝臓がんと肝硬変」主婦の友社

特に島村先生の本には、肝臓がんになってからの「打つ手」がいろいろ書かれています。
がんばらずにがんばりましょう。

2005/06/21

無事帰ってきました

2005年6月21日

熊本での法事を終え、無事19日(日)夜帰ってきました。やはり結構疲れたようで、今日(21日)もまだ疲れが残っています。インターフェロンを打っているときには、長距離の旅行はするものではないですね。
旅行は、こういう感じでした。

17日(金)
会社をフレックスタイムで早めに上がり、羽田へ。購入した「超割」のチケットではスーパーシートの予約が出来ないので、当日羽田で購入。ところがスーパーシートは満席で、キャンセル待ちになる。キャンセル待ち番号はS-1で、これなら変更できると思った。ところがANAのキャンセル待ちはAから始まり、目の前で終了した。普通席は窓側を確保しておいたのだが、当てにしていた機内食が無くなり、熊本に着いてコンビニ弁当を買う羽目になった。

18日(土)
熊本で合流した姉は足が悪いので、レンタカーを手配していた。山形でアリオンに乗っていたので同じクラス(出てきたのはコロナプレミオ)を手配したが、この車前も後ろもボンネット/フェンダーが全く見えず、初めての人には勧めない車である。慣れは怖いもので、山形では見えないのに壁から5cmに止めていた。
レンタカーゆえカーナビが付いているが、宇土半島にはいると地図の右半分は青(海)、左半分は白(目標物が何もない)となり、その間に道路が1本通っている。「これでも地図か!」と言いたくなる。結局カーナビはじゃまになったばかりだった。一周忌は滞りなく終了。そのうち実家の荷物を片付けるためにだけ来なければいけないが、心臓のこともあるので、先のスケジュールは全く未定である。

19日(日)
ともかくホテルでぎりぎりまで休み、まだ時間があったので熊本市内の繁華街を覗く。高校時代に良く買った蜂楽饅頭がまだ健在なのを見つけ、うれしくなるSENYOKI
熊本から羽田への飛行機は今度はB767、スーパーシートは付いていないが足の悪い姉を見て係の人が前から2番目の席を取ってくれる。しかも優先搭乗扱い。車いすの人が2組いる。羽田では沖止めで、タラップを降ろされる。姉は手すりにつかまれば何とか降りられるが、車いすの人は手すりにつかまりながら反対から支えられるようにして降り、結構大変だったようだ。羽田では珍しくANAスポットに政府専用機が2機止まっていたが、これは翌日の日韓首脳会談に行くためとわかった。

翌月用はかなり疲れが残っており、今日(21日)まで引きずりました。
火組南海凡吉、残りあと8本。

2005/06/16

久しぶりの口内炎

2005年6月16日

小生は元々口内炎が出来やすく、今回のレベトールは副作用として口内炎が出来やすくなるそうで、心配していました。ところがなぜか口内炎とはこの所無縁でした。しかし先日食事中に上唇の裏側をかじってしまい、そのあとが見事な口内炎になりました。
あまり痛いので薬局に行ったところ、飲み薬はステロイドが入ったものがあるんですね。これは避けて、結局「貼り薬」タイプを買いました。あまり期待していなかったのですが、これが意外と効きます。1日2回貼り付けて、何とか乗り切っています。

明日から義母(本当は養母というらしいですが、何となく抵抗があります)の一周忌で田舎(熊本)に行ってきます。しばらくアクセスできなくなります。

2005/06/14

自分では結論を出している?

2005年6月14日

この所すっかり心臓弁膜症ブログになっていますが、ご了承下さい。
今日はペグ注射の日なので、先生を捕まえていろいろ話を聞きました。「話を聞いた」というより、小生が一方的にしゃべったみたいです。先生と話しているうちに、自分では手術する病院も含め、手術に踏み切る結論を出していることに気がつきました。先生が、「まあ何にしろ肝臓が先ですから」と言われましたが、全くその通りです。今日が終わってあと9回、レベトールを飲み忘れないようにしよう。

「身体検査」の結果が出ました。体重はいつも少なめに出ますが、66.4kg!久々の肥満度-3です。その他の所見は、「貧血気味です。注意してください。」血色素寮12.8(13.0)、赤血球数429(430)、白血球数3400(4000)、(内は下限値)。たいしたことはないですね。「HDLコレステロール低めです。注意してください。」下限値40の所34、こんな所にも影響が出ているんですね。ちなみにGOT=17、GPT=16でした。こちらはごく順調です。

2005/06/12

ホームページを更新しました

2005年6月12日

ホームページの「インターフェロンリターンマッチ記」に2000年と2001年分を追加し、これで「インターフェロンリターンマッチ記」は完結しました。ウイルスの排除をあきらめてウルソを使い始め、肝機能の数値が正常値になったと思ったら転勤を命じられるまでです。物語としてこのインターフェロンリターンマッチ記を読むと、「1年半の苦しい治療の末、ウイルスは排除できなかったものの肝機能は改善、副作用が治まったところで工場長に栄転」と、「めでたしめでたし」で終わっているのですが、現実はこうやってまた3回目のインターフェロンを行っています。
それだけC型肝炎は難病ということなのですが、「リターンマッチ記」のあと3回目に至るまでの経緯も、結構資料が残っていますので、機会を見て発表したいと思っています。
それと1回目のインターフェロンあたりのことも、今記録が残っていないか捜索中です。これが出来れば、1985年にB型肝炎とわかってからの20年間の物語が出来ます。しかし誰が読むんでしょうね(^_^;。

今回の心臓弁膜症の件では、自分のホームページを作って手術から社会復帰までの記録を発表していらっしゃる方に、ずいぶん力づけられました。小生も、後に続いてきてしまった方のお役に立てれば、と思って97年からインターフェロンの治療記を始めたわけですが、治療中だけではなくその前後も付け加えることで、よりお役に立てるのではないかと(勝手に)思っています。

2005/06/11

C型肝炎と心臓病

2005年6月11日

木曜日(9日)はグループの新入社員歓迎会でした。気を使うようなメンバーではなかったのですが、やはり疲れました。翌日も疲れが残っており、定時でさっさと上がって関内の有隣堂本店へ。知人が出した鉄道関係の本を購入するためです。
そこでついでに心臓病関係の本を調べたのですが、健康法や心臓病の入門書だけで、詳しくなると一気に専門書になってしまうんですね。その点C型肝炎関係の本は充実しています。専門書のコーナーで「心臓弁膜症の外科」という本を見つけました。おそらく医学生向けの本ですごく詳しかったのですが、価格が27000円で衝動買いするにはちょっと高く(そして重く)、とりあえずは止めました。ただこれ以上の本はないようなので、そのうち買うかも知れません。

中村治雄著「新版、心臓病」という本(主婦の友社)には、拡張型心筋症、及び肥大型心筋症について、C型肝炎ウイルスとの関連性が指摘されています。しかし小生の僧帽弁閉塞不全はリウマチ熱が原因の大部分のようで、C型肝炎ウイルスとの関連はないようです。なおペグもリバビリンも心臓病の患者は心疾患が悪化することがあるので、慎重投与の対象になっています。小生は結構危ない橋を渡っているようです。

いろいろ調べたところ手術後胸骨がくっつくまでに3ヶ月くらいかかり、その間は満員電車は危険なようです。フレックスタイム制を活用するなど、手を考えなければいけません。

2005/06/08

まいったなあ

2005年6月8日

小生は心臓にも僧帽弁閉塞不全と不整脈の持病があるため、定期的に循環器科の診察を受けています。今日はその循環器科の診察日でしたが、何と心臓の手術を勧められました。理由は、
1)心臓弁膜症は自然治癒しないこと。
2)かつては弁の手術は弁置換法だけだったので出来るだけ手術は遅らせたが、最近はかなりの確率で弁修復が行われていること。
→病院のホームページで確認したところ、確かに僧帽弁疾患では77%が弁修復です。
3)となれば、遅ければそれだけ心臓に他の障害が出てくるので、早いほうが良いこと。

診察は循環器内科の先生なので、手術の意思表示をしたところで外科に回され、おそらくかなりの検査を行うことになるでしょう。次に診察は9月ですので、その時までに態度を決めなければいけません。なお手術の入院期間は、約1ヶ月とのことです。

「症状が進んだら、手術だよ」と以前から言われてはいたのですが、こんなに早いとは思いませんでした。確かに言われることはもっともで、外科手術は体力のある早いときが良いに決まっています。それでも「まいったなあ」というのが本音です。外科手術は盲腸もやったことないし。

2005/06/07

40年前のオープンリールテープ

2005年6月7日

「インターフェロンリターンマッチ記」の1998年7月2日(http://homepage3.nifty.com/nankaiponkichi/returnmatch98.htm)に、箏曲の久本玄智先生からテープが送られてきたということを書きましたが、その40年前のオープンリールテープを、今度学校の先輩のつてでCD化することが出来ました。記憶よりもずっと曲数が多く、45分もありました。40年前のテープですので所々「音写り」が起こっていますが、久本先生ご自身の解説も含め、懐かしい音が再現できました。
現在のCDも、そのうち新しいメディアにコピーし直さなければ聞けない時がそのうち来るのでしょう。意外と近いかも知れません。

今日ペグの注射を打ち、残りはあと10回になりました。いよいよカウントダウンです。

2005/06/04

久しぶりの朝寝

2005年6月4日

昨日久しぶりに東京ドームにナイターを見に行き疲れたせいか、今日起きたのは11時でした。昨日寝たのは1時くらいでしたから、10時間寝たことになります。さすがにぶっ通しでは寝られず、夜中に1回トイレに起きています。昔は休日になると昼過ぎまで寝ていましたが、リバビリンを飲み始めてから夕食後の服用までの時間を確保するため、朝は遅くとも10時に起きるようにしていました。最初は目覚ましをかけていたのですが、最近は朝(といっても、9時半頃)勝手に目がさめるので、目覚ましは止めていました。久しぶりの朝寝坊です。
インターフェロンからの鬱症状のチェックポイントは、寝られるかどうからしく、小生も「この所気分がすぐれない」と訴えたとき、必ず寝付きはどうかと聞かれました。2回目の時は意識不明で倒れ込むという感じでしたが寝付きとしては良く、今回も「バタン、グー」が続いています。何やかやで時々切れそうになりますが、鬱症状とは違うようです。

2005/06/02

衣替え

2005年6月2日

今年は5月の気温が低く、いつもは5月20日頃に切り替えている冬服から夏服への切り替えが、6月にずれ込んでしまいました。明日も雨の予報、衣替えは来週です。「クールビズ」とか言ってノーネクタイ上着無しを政府が提唱していますが、冷房が入り始めると局所的に冷えるところが出るので、自分のために上着は欠かせません。

小生は身長177cm、標準体重69kgですが、INF治療前は70kgちょっとありました。ところが現在は68kgです。やはりボディーブローのように、インターフェロンの影響が出ているようです。
先日横浜高島屋のバーゲンで、夏物のスーツを買いました。細身のスーツを「スマートな方にはよく似合いますね。」と乗せられて買ってしまったのですが、その時はすでに3kg減の状態でした。現在ぴったりなので、INFが終わったらちょっとやばいかな。

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